時代・生まれてきた境遇、自分では如何ともできないものがある。
「そんなもの、その人次第でなんとかなる」なんて決して俺には言えない。
俺の場合
家族・・・いたって普通の家庭に生まれた。一人離れた三男だった事もあり、奨学金貰ってたけど、大学は一人暮らしさせて貰った。両親健在。兄二人。両親との仲、良好(書いてる間に親父より電話あり)
時代・・・大学在学時にインターネットというとてつもない、新しい波がおこる。本人はそれには気づかず。時代は就職超氷河期。本人的には全く納得のいかない就職⇒結果としてまあ可もなく不可もなく⇒自己鍛錬は続く
俺の場合、まあ「自分次第でなんとかなる」ってレベル。
社会人になって経済的に余裕ができてからは、やりたい事をやりたいようにやれてる。結局自分で金を稼いで、自分に投資できるってのが自立って事か。
両親には多大なる感謝。
決して裕福な家庭ではなかったけど、そこそこまともな人格に育ててくれたのは両親のおかげです。
色々の事、些細な事で比較をしてしまい、自分の今の境遇を嘆く事は今では特に無い。大人になってしまえば殆どの事は自分次第で変えられる事だと思うし。今の生活を楽しめてる。何より両親が健在な事が一番だ。
だけど凄く優れた人格で、凄く優れた頭脳を持っていても、経済的な事情とか家庭の事情、その他の事情で何かを諦めなきゃいけない人は、日本でも山ほどいるとおもう。それは特に自立する前の段階でだと思うけど。
「それでもやる人はやる」とか「学校でてなくてもすげー人はすげー」とか真実なんだけど、じゃあその人に見合った機会を社会は企業は与えているのかってハナシ。
生まれながらのアドバンテージ/ディスアドバンテージの差、というよりディスアドバンテージを出来るだけ小さくする事がフェアな社会ってやつじゃないでしょうか。