ヨコハマぽるとカップ③~続・そのチャレンジの歩み~
横浜と横浜FCを愛する皆さま、こんにちは。ホームタウン担当です。
先週のDiaryに続き、横浜FCが主催する精神障がい者フットサル大会「ヨコハマぽるとカップ」の歴史について、さっそく続けていきたいと思います。
「あれ、なんだっけ?」と思った読者の方は、コッソリ(。-人-。)と先週の『ヨコハマぽるとカップ②~そのチャレンジの歩み~』を読み直してから、下をお読みいただけると、より一層お楽しみいただけると思います。
☆2010年☆
ぽるとカップが横浜FCの本拠地にやってきた!!
この2010シーズンの大きなトピックスとしては、横浜FCが現在のクラブハウス&練習場となっている保土ケ谷区・西谷
に移転を果たしたことです。天然芝・人工芝のグラウンドを保有し、トップチームから育成年代まで共通の環境で活動を行うことができるようになりました。
ぽるとカップもこの恩恵を享受し、西谷の人工芝グラウンドを使用して大会を開催することが出来るようになりました
トップチームの活動時期と重なり、場内の利用方法や人の移動について、なにかと制限せざるを得ない部分はあるにせよ、クラブのお膝元で大会を開催できることには、主催者・参加者双方にとってみても大きなメリットです。
なにしろ、参加者の皆さまにとっては、自らが携わるスポーツの、国内最高峰のリーグで活躍するプロ選手と同じ空気の中でプレーができるわけですから、否が応でも参加へのテンションがあがります
・・・というのは、運営する立場として傍から見ていて初めて感じたことなのですが、そこに大会の魅力を感じていただけるのなら、横浜FCがプロのサッカークラブとして存在する役割が果たせていることなのかなぁ、と思ったりもします。
さしあたり、この年の大会開催にあたってのテーマとしては、
横浜FC主催2年目、新会場(横浜FC・LEOCトレーニングセンター)での開催、という条件の下、
2009年大会をベースに、今後の大会運営の基礎固めに注力することとしました。
(リーグ中断期間中のクラブハウス移転の関係で、準備期間が十分にとれなかった、という言い訳ではありません、決して!)
そんなこんなでバタバタと準備を進める中でも、主催者側として嬉しかったこと
もありました。
2009年大会参加チームの皆さまや、地域の方から、2010年大会への意気込みと期待を、折々に耳にしていたことです。
「秋の大会を目標に夏の練習を頑張っています!」
「日産スタジアムでの試合で敗れたリベンジを、絶対に果たします!」
「作業所のメンバーでフットサルを始めたばかりなのですが、参加してもいいですか?」
などなど、
今までの活動により一層、熱を込めて取り組んでいる姿や、
初めての挑戦に対する楽しみや憧れが生まれくる息吹を感じたり、
新しいことを始めたからこそ、自分達が(期待はしていたけれど、)想像をしていなかった新しい反応をいただくようになったことが、この年の何よりの収穫だったと思っています。
そして迎えた横浜FC・LEOCトレーニングセンターでの本大会当日。
160名近い参加選手を待っていたのは、
小春日和の太陽と、
まだ真新しい人工芝の輝き、
そして横浜FCの永遠のアイドル奥寺康彦でした(^_^)v
なにを隠そう奥寺は、2009年大会の本大会・決勝戦と、全ての試合をその目で見守り、2010年大会の開催決定に際しても、
二つ返事で「おー、その日は空けとくよ」と言うほど、この「ぽるとカップ」に思い入れを持っていただいています。
この背中が全てを物語る。
(撮影:ぽるとカップオフィシャルカメラマン・中島さん)
みずからも長年にわたってサッカーというスポーツ、そして横浜FCに携わってきたからこそ、果たすべき責任を感じているのかな、なんて勝手な想像を、その背中を見て思うのは私だけでしょうか
(撮影:ぽるとカップオフィシャルカメラマン・中島さん)
※余談:イワマールこと、岩丸史也選手(現・ロアッソ熊本所属)の「生涯初のハットトリック」を目撃できた、貴重なエキシビジョンマッチ
(撮影:ぽるとカップオフィシャルカメラマン・中島さん)
さて、大会のほうはと言うと、2009年大会の覇者が決勝トーナメント初戦でまさかの敗退、
逆に、前年1勝もあげることができなかったチームが、まさかの()日産スタジアムでの決勝戦進出を決める躍進を見せるなど、この大会ならではの「読みきれない」展開を十二分に見せ、
後日横浜FCホームゲーム会場で行われた決勝戦では、千葉県からの『刺客』に、その念願だった優勝カップをもぎ取られ(涙)、3年目にして初めて、優勝カップがホームタウンから「流出」するという形で、幕を閉じました。
黄色いユニが千葉県から出場の「Espacio」
この大会を通じて振り返ってみてとても印象的なのは、参加するチーム・選手の皆さまがそれぞれ、
「自分が関わっている」という意識がとても高く、会場利用のマナーや時間の遵守など、参加者の協力もあってとてもきれいに大会運営が出来た大会でもありました。
そういったことも相まって、「勝ちに行く」競技性を求めてきたチーム、「フットサルを楽しむ」スタンスで参加したチーム、両方が共存してみんなが楽しんで終えられたことが、2010年大会の収穫でした。
とはいえ、一つのものが終われば新しい欲も出てくるのが人間と言うもので(笑)、次への課題やテーマを求めて、ぽるとカップ実行委員会の冒険は2011年へと続いていきます。
「ぽるとな仲間たち」と。
☆2011年☆
二兎を追ってみる。
2011年大会を構想するにあたり、この「ヨコハマぽるとカップ」をどのような方向性で運営していくか。
今年はそのひとつの分岐点の年だと認識しています。
全国各地でリーグクラブと連携をした活動が急速に広まっている中、
あちらこちらで地域を跨いだ「各地代表」の名を冠した大会の構想、待望論が広まっているのも事実。
9月には、東京で精神医学スポーツ学会の余興として行われたフットサル交流会に私も参加させていただき、全国に広がる精神フットサルファミリーの「熱」を体感して、今後の様々な可能性を感じ取ったのも確かです。
大阪をはじめ、福岡、愛媛、千葉、札幌、東京、etc...と、精神障がい者フットサルを主宰するリーダーが着々と増えています。
(9月東京某所にて行われた交流会にて、撮影:中島さん)
神奈川県内でも、
「関東大会開催に向けた連携を」
「横浜・神奈川の代表を決する大会や、チーム編成の検討を」
と言った意見が聞こえている中、
「ぽると」のとった方針は、
①まずはこのホームタウン・横浜にいる障がい者のために草の根活動でフットサルを普及させることが優先
(=生活への密着)
②でも、優勝カップは横浜のチームで奪還したいよね(笑)
(=とは言いつつ、各チームの強化は、あくまで既存の枠の中での活動)
とし、大会開催に向けての具体的なテーマとしては、今後の大会運営により多くの人が携わっていけるような「横つながり」をいかに作るか、にスポットを当てています。
この「横つながり」、一見地味な目標のように見えますが、障害者福祉に携わる関係者にとっては、
【精神・知的・発達・身体】と大別される、障害ごとの分野を跨いだ人的・情報交流がほとんど皆無に等しいこれまでの状況から、フットサルの活動を通じて新しい交流が始められる環境が用意されていることに、大きな意義があるようです。
5月には、神奈川区役所
と神奈川大学
の協力で、フットサル交流会を開催。
西田選手と
テホン選手も、その熱気を肌で感じました。
今はまだ、栄養があるかどうかも判らない大地を耕して、種を蒔いているだけのような状況に見えるかもしれませんが、
活動を続けていけば、この横浜にしかない誰にも真似の出来ないような大輪の花が必ず目を出してくる。
そんな未来を共有しながらの、2011年の活動となっている気がします。
2011年大会の本番はまだこれからですが、
2012年の事業展開の下準備も、実は着々と進んでいます。
2012年は、上に挙げた「障がい者フットサルの普及」と「横浜の強化育成」を柱とした各種事業を模索中です。
その中では、神奈川区役所と横浜FCが大きな役割を担うようになってくるのですが・・・
ここから先はまだシークレットです(笑)
リーグの2011シーズンは間もなく終幕を迎えますが。゚(T^T)゚。サビシー
ぽるとカップの熱の高まりはこれからがピーク
アチチー
ぽるとカップ初の、「公開ドロー」を湘南戦のホームゲーム会場で実施。
ニッパツ三ツ沢球技場で、「もう一つの真剣勝負」のドラマが繰り広げられました。
来週のこのDiaryでは、直前に控えた「ヨコハマぽるとカップ2011」の情報を、小ネタを交えてご紹介したいと思います。
まだまだシーズンは終わらない・・・
ホームタウン担当・A