今週は、休日に国立近代美術館を訪れ、横山大観展を拝観しました。

 

 

 

話題になっていました40Mほどの大作「生々流転」など、本当に素晴らしかったです。

 

 

横山大観さんの絵画は、とても昔から好きで、今回はとても楽しみにしていました。

 

今回ふと気づいたことで、横山大観さんは150年前の明治元年生まれで、今年は明治に入ってから、ちょうど150年の節目になる年でした。

 

その中で横山大観さんの師が「岡倉天心」さんだったことを知り、私が20代前半の時にとても大きな影響を受けていたことを思い出しました。

 

 

「茶の本」 岡倉天心

 

目次

第一章 人情の碗
茶は日常生活の俗事の中に美を崇拝する一種の審美的宗教すなわち茶道の域に達す――茶道は社会の上下を通じて広まる――新旧両世界の誤解――西洋における茶の崇拝――欧州の古い文献に現われた茶の記録――物と心の争いについての道教徒の話――現今における富貴権勢を得ようとする争い
 
第二章 茶の諸流
茶の進化の三時期――唐とう、宋そう、明みんの時代を表わす煎茶せんちゃ、抹茶ひきちゃ、淹茶だしちゃ――茶道の鼻祖陸羽――三代の茶に関する理想――後世のシナ人には、茶は美味な飲料ではあるが理想ではない――日本においては茶は生の術に関する宗教である
 
第三章 道教と禅道
道教と禅道との関係――道教とその後継者禅道は南方シナ精神の個人的傾向を表わす――道教は浮世をかかるものとあきらめて、この憂うき世の中にも美を見いだそうと努める――禅道は道教の教えを強調している――精進静慮することによって自性了解じしょうりょうげの極致に達せられる――禅道は道教と同じく相対を崇拝する――人生の些事さじの中にも偉大を考える禅の考え方が茶道の理想となる――道教は審美的理想の基礎を与え禅道はこれを実際的なものとした
 
第四章 茶室
茶室は茅屋ぼうおくに過ぎない――茶室の簡素純潔――茶室の構造における象徴主義――茶室の装飾法――外界のわずらわしさを遠ざかった聖堂
 
第五章 芸術鑑賞
美術鑑賞に必要な同情ある心の交通――名人とわれわれの間の内密の黙契――暗示の価値――美術の価値はただそれがわれわれに語る程度による――現今の美術に対する表面的の熱狂は真の感じに根拠をおいていない――美術と考古学の混同――われわれは人生の美しいものを破壊することによって美術を破壊している
 
第六章 花
花はわれらの不断の友――「花の宗匠」――西洋の社会における花の浪費――東洋の花卉栽培かきさいばい――茶の宗匠と生花の法則――生花の方法――花のために花を崇拝すること――生花の宗匠――生花の流派、形式派と写実派
 

 

第七章 茶の宗匠
芸術を真に鑑賞することはただ芸術から生きた力を生み出す人にのみ可能である――茶の宗匠の芸術に対する貢献――処世上に及ぼした影響――利休の最後の茶の湯

 

 

その中で、とても印象深かった部分ですが、

 

第一章 人情の碗

 

一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖そでの下で笑っているであろう。西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮さつりくを行ない始めてから文明国と呼んでいる。

近ごろ武士道――わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術――について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが。もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。

われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。

いつになったら西洋が東洋を了解するであろう、否、了解しようと努めるであろう。

 

われわれアジア人はわれわれに関して織り出された事実や想像の妙な話にしばしば胆きもを冷やすことがある。われわれは、ねずみや油虫を食べて生きているのでないとしても、蓮はすの香を吸って生きていると思われている。これは、つまらない狂信か、さもなければ見さげ果てた逸楽である。インドの心霊性を無知といい、シナの謹直を愚鈍といい、日本の愛国心をば宿命論の結果といってあざけられていた。はなはだしきは、われわれは神経組織が無感覚なるため、傷や痛みに対して感じが薄いとまで言われていた。

西洋の諸君、われわれを種にどんなことでも言ってお楽しみなさい。アジアは返礼いたします。

 

~略~

 

最期の一行が、今現在にまで、

 

日本祖国の魂を守って来た先代と後代の方々が、「その時代」がようやく、「明治元年 1868年」から「150年」が経ち、

 

巨匠、横山大観の師である「岡倉天心」先生の「想い」を実現させて来たことを実感しました。