思い出すと武術指導者としての仕事に携わるようになったことは、
「高産炉」とも称された恩師「楊承冰老師」から学んだことでした。
それは、とても若い時分の頃から、楊老師の指導助手としての手伝いから、
1986年から始まった安徽省武術隊修行時代から、
1986年の秋、1987年に2度で合計3度来日されていた時期にも、
非常に多くを学びました。
今でも一番大きな影響を受けている多くのことに非常に感謝しています。
今年の5月に安徽省亳州市へ訪問し、合肥市へも久しぶりに行きたかったのですが、
また近い将来に、
合肥を訪れ、楊老師や兄弟子の賈平さんにも久しぶりに再会し語り合いたいことをよく思っています・・