私は、35年前の1982年の13歳から武術活動を開始しました。
開始当時の頃は、まだ「日本人的な感覚での中国武術式活動」でした。
1984年に来日されていた中国老師の杜進老師に師事し、そこで初めて「本場スタイルの中国武術」を知り、杜進老師の功夫の素晴らしさに感動し、
10代ながらに「自分の人生ではこの道を全うしよう」と心に決めました。
(※私は時たまに、何度も自分自身のキャリアを語りますが、それは、
「その当時や時世を知っている人」にも確認的な意味合い持っています、なぜなら、
「最先端スマホ」の使い方が見事でも、人工知能を使ってでも「過去のキャリアや体験、教養」の感覚を実際に作り出すことはできないし、
その時代の体感への理解は不可能だからです)
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そして32年前の1985年に初めて中国大陸に立ち、その悠久の歴史と広い空と大地に感動しました。
当時から、中国人民の方々は皆さんは大らかで親切で、
中国での老師の皆様は、家族同様に面倒を見てくれて、
私が中国に来ると、いつも喜んでくれて、
武術の訓練は厳しかったですが、
それ以外は、いつも優しくしてもらえて楽しかったです。
そのお陰さまで、今も32年間続く交流は今や、私の教え子たちとも新しい武術繋がりでの連携が出来て、
私達にとって、日本において本場そのものの「中国武術活動」は益々、発展に結び付き、
長い将来にまでの「安泰感」や「幸福感」を常々に感じています。
※興味深いのは国際社会関係では2014年の「北京AEPEC」以後の今現在の国際影響力を持つ国の首脳はロシアのプーチン大統領、中国 習近平国家主席、ドイツ メルケル首相、後は時間の問題にしか過ぎない日本の首相以外は全部「交代」しました。
※日本国内においてでは2014年頃にピークを迎えた政府の外交政策プロセスによる連続した「ネガティブ・キャンペーン」の成果で、何故か行ったこともなく、興味もない中国への「意味のない被害者妄想」を抱く方々が多いですが、それはそれでずっと未来永劫にまでやっていればいいと思います(笑)
私達の本場中国での武術活動での訓練/研修/技能検定や認定/交流拠点の地を紹介します。
今や44億人のアジア経済の牽引を図る21世紀の中心地。
上海
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上海名門 復旦大学
復旦大学武術協会主席 中国武術八段 花妙林老師。
私達の国際標準でもあり、最先端の中国武術トレンドなども取り入れ、
今後は「横浜」の私達の武術活動が窓口になり、日本における中国武術国際標準システムでの、
武術技能評価や認定を、「復旦大学武術協会」から正式に授与してもらえます。
上海市非物質文化遺産認定 龍身蛇形太極拳総部。
私達の太極拳活動で多大なるバックアップを行ってくれています。
国家級非物質文化遺産 亳州 伝統気功 華侘五禽戯伝習基地
三国志の魏書(日本では倭国 邪馬台国で有名になった魏志倭人伝の著述がある原本)
にある神医「華侘」が導引術から動物の動きを取り込んで総編した元祖気功運動、
あるいは武術運動の原点「華侘五禽戯」
私の古巣、上海体育学院 武術学院。
私の中国修行時代の先輩や同僚が今現在の武術教授を担当しています。
北京 中国武術協会本部。
安徽省武術隊時代の先輩の章王楠さんが、今ナンバー3です。
※しかしながら今現在の中国武術協会主席は、上海体育学院出身の、
張秋平さんで、事実上の中国武術界運営の中心地は「上海」です。
北京体育学院(北京体育大学)正門。
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北京に来た時は、いつも北京体育学院(北京体育大学)の宿舎に泊まり、
留学生チームに入って、よく練習をしました。
1992年頃には、今映画俳優の「趙文卓:ウィンツァオ」さんが黒竜江省から出て来て、
練習していました。彼は私より2つほど年下でしたが真面目で素晴らしい好青年でした。
今後私達は中国最先端の地「上海」では「武術系」「太極拳系」の武術交流拠点であり、
歴史長き黄河文明の流れのある3700年の歴史ある地「亳州」が「伝統気功 華侘五禽戯」
養生文化交流、そしていずれは非常にレベルの高い漢方薬や薬膳料理などを提供できるビジネスと連携していく産業を日本に取り込むような事業も行ってみたいと考えています。
この「2か所」が私達の有する中国大陸、武術界との交流拠点であり、
常に心地よい刺激を受けて、いつも心身を活性化し、生活も仕事も充実し、
有意義な生活のすべて、2000年間の歴史ある文化交流を大事に今後の発展へ向けて頑張ります。
※日本が総力を挙げて大好きなアメリカ合衆国は「241年の歴史」「戦後72年間の交流」
現代日本社会、何でもありですが、
私は中国との連携をずっと大事しながら、共存共栄、相互発展をこれからも大事にしていきます。