菜の花

 

今日で3月も終り、明日からは新年度4月が始まります。

 

もう既に新年度からの武術活動カリキュラムが定まり、太極拳教程は本格的に全体で国際標準の「中国武術段位制 太極拳 一段 二段 三段」

 

自選項目では「龍身蛇形太極拳」と「陳家溝式太極拳10式、13式、18式養生功、38式」に統率し、

 

その他の旧段位制の「8式、16式、24式、32式、42式太極拳」

 

器械では「太極剣16式、34式」「太極扇24式」

 

そして「推手基本功」「推手套路」「推手析招」で新時代太極拳ムーブメントを頑張りたいと思います。

 

 

そして昨日、ふとレッスンの帰り道に電車内で読んでいた日本経済新聞の「Opinion」コラムに「反知性主義」について書かれていました。

 

その内容には、日本国内に広まった「反知性主義」には、傾向として、

 

「教養主義など、上から目線の鼻持ちならぬ独善主義と見なされる昨今になった」

 

 

そして米国の歴史家「R・ホーフスタッター」が定義した「反知性主義」には、

 

「知的な生き方、および それを代表するとされる人々に対する憤りと疑惑」

 

それから、

 

「進学の夢はかなえられず、自己実現の道が閉ざされた者がたくさんいた時代」

 

にあって「知性自体への反発というより、権威化した知性に募る嫌悪感」

 

それが理由で「反知性主義」という ものが起こり、

 

今現在の日本社会の国内にも、全世代的に大きく蔓延してしまっているとありました。

 

 

これを見て感じたことは、

 

私自身の経歴でも、日本国内の武術活動界に前例がなかったので、「反知性」というよりは、「知性」をより多くを「精神」と「肉体」に吸収しようと考え、

 

ひたすら苦学して、苦労して今日まで辿り着きました。

 

 

想いに、振り返れば日本国内の武術活動界の中でも、

 

ただいつも武術技芸だけに意識が向かい、そして偏り、

 

本来は重要な「武術教養」における「知性」での、

 

「武術道徳」や「武術思想哲学」の欠けた状態で、「知らず、気付かず」で、すすめられて来てしまった武術活動での環境に、

 

不完全な状況であるにもかかわらず、それらを多くが判らずに無視してしまい、結果は 自分たちの都合勝手な解釈や、

 

空想や想像で考えた武術理論を正当化していく人たちが増え、

 

「知性主義」を、むしろ意識的に敬遠し、逆に「気に入らない=不快」という理由で批難をしてくる人も少なくありませんでした。

 

そしてある組織の中でも、逆に私のような存在に対して、そうした意識感覚の人達同士は徒党を組んで、排斥され、嫌な想いをさせられたことがあります。

 

それから、そうした人たちの世界観からは、距離を置き、自分の専門分野へ、より研究と実践と証明を考え、単身・単独で本格的な中国武術を導入し、「横浜武術院」を設立し、今日までやって来ました。

 

そうして長く、日本の武術や太極拳活動界にも「反知性主義」が蔓延り、普通になり、

 

それだけでなく、仕事での「フィットネス業界」の中でも、

 

半可通のインストラクターは多く、年配の会員さんたちの多くは本当の正しい最先端での医学教養に乏しく、わからないからといって、効果の上がらない不適格なレッスンを行ったりする人も沢山いました。

 

そして今現在の日本社会を見て思うことは、

 

時代錯誤的な旧型で「不適格な知性主義」もあり、

 

商売目的のためだけの「商品的知性主義」もあります。

 

ですから「反知性主義」という概念も多種ある複雑さを感じます。

 

それに振り返れば「反知性主義」は、もう既に30年以上前に手抜きでカンニングや、ただのコピーをした「学業」をする人たちが激増していて、

 

それが今現在には、普通に全世代であちこちにあり、

 

中には政財界のトップにいる人たちの考え方や、やり方に「反知性主義」が行われている現実に改めて気づきました。

 

私はその中で、時間をかけてコツコツと「歴史文化教養」を尊び、武芸に打ち込んで来て本当に良かったと実感しています。

 

「中国武術」は、いわば「知性の高い合理的教養主義」であり、

 

私達は、その伝統体育の武芸文化、伝統医学での養生文化、伝統精神での思想哲学文化の融合した「世界観」の実現を目指しています。

 

思えば「今年度」で、私の大きなひとつの区分が終わりました。

 

明日からは新年度、新時代的な「知性主義」を頑張って行っていきたいと思います。