今年2016年も、のこり半月となりました。
今年はこれまでに、自分はフィットネス業界で中国武術、太極拳、健身気功のプロ・インストラクターとして今年20周年を迎え、単身で本場中国大陸式に中国武術活動を展開する横浜武術院を立ち上げて15周年でした。
私より以前にこうした朝昼晩と指導で動き続ける仕事をこなす人は皆無でした。
前列なく、孤高ながらも誇りを以てやって来て、継続はやはり力。
力をつけて、また継続・・・
これまでにやって来たことが大きな自信と将来への展望を持っています。
私達の武術活動では、今年は9月の中国武術文化交流大会の成功と、
日本国内の組織で完全な中国武術標準化システムの完成があって、とても今後は有意義に楽しみに思っています。
しかしながら、ある一方で感じるのは、
変わらずに、日本国内にある中国武術的活動に発展の乏しい様子を感じています。
私は以前に、ある国内活動組織とタイアップしていたことがありましたが、その体質ゆえに、
一緒の活動を停止し、オリジナル活動へ進み今日の成功を勝ち取りました。
今から思うに、それらの理由と原因は以前からはっきりしているもので、組織規模に関係なく、物事は改善、改革があってこそ、物事の進展にはやはり進化、成長、発展の感覚はとても重要です。
そして中国武術観、というのは、
動く「知性」で、それは武芸、養生、思想哲学の融合体です。
逆に問うてみたいことは、
武芸でない武術。養生のない武術。思想哲学のない武術。
何を以てこれら武術を「武術」といえるだろうか、といえる活動体に思うことがあります。
今年も本格的な冬が始まりました。
冬は「武芸、養生、思想哲学」を、誰しも正しく功夫を有していれば本領を発揮できる季節です。
それは冬の特徴は「三平:平静、平穏、平衡」
武術功法を通じた健全な心身の実感、精神面の充実、達成感。それこそが益々の発展、繁栄を感じられる幸福感を得られます。
しかしながら、進展のできない「武術活動」へ共通するのは、
武芸、養生、思想哲学の文武精神と実践が欠けているからです。
論語に謂う「少年老いやすく、学成りがたし」は真実です。
先ず、思想哲学が欠けていれば考え方や行動に具体的根拠がないので確率性が低ければ成功には届くことができません。
養生が欠けていれば必ず不健康になり精神衛生にも必ず問題が生じます。
武芸が欠けていれば攻守、進退の合理性がなくなり技能や武術思考においても必ず誤りを起こすようになります。
ゆえに武芸、養生、思想哲学は自身の長き武術活動の発展において重要な位置を占めるものです。
そして「中国武術的知性」を、意図的に学びや修養を避けて置きながら繁栄を願うのは、その性質において自ら不的確となり、
「知己知彼、知彼知己:己を知りて、相手を知る。相手を知りて己を知る」
己知らず、相手知らずで、成功を目指すことは難しいでしょう。
それに、誰しも知るように日本人は、傾向として要求が高い世界観を持っています。
誰しも要求が高くなる、だからこそ、いいものの上にいいものを要求するのです。
そして私の指導経験の数々で、
本当の富裕層は日本、中国も共通してこだわりある本物志向がとても強いです。
同時に世間巷にある「まがい物」や「中途半端」をとても忌み嫌い(※分かりにくい、ややこしいものを厭う)そして富裕層達はそうした「まがい物」の特徴や見分け方、分別の仕方へ興味を持っています。
つまりは「いいもの」に昇華してこそ、「いいもの」を広めてこそが日本らしさともいえると思います。
とにかく質の高い武術技能を持つ条件こそは、武芸、養生、思想哲学の3つの質の高さです。
「修練」するもの、「修養」する者は、そこへ徹底に徹底して昇華させてこそが日本での成功に結びつくものです。
私達は日本国内の武術活動界のムーブメントが健全で清々しく爽やかに感じられるようになるまでメッセージを言い続け活動していきます。
1985年の上海で学び、その後に3度来日され、私に多くの武術技能や武術知性の礎を築いて指導くださった今は亡き私の師「徐文忠老師」との約束です。
そして私の願いは、日本における心身の活性化できる正しき中国武術運動の普及と発展です。
それだけでも「現代日本社会の健康問題」の改善に大きく貢献できます。
それが理由でもあり、そして歴史長き2000年の中国との友好な交流を行う者としての使命でもあります。
2017年は明るく楽しい年になれるよう、今はゆっくり展望と計画を練っているところです・・・
残り半月、楽しく元気に頑張っていきましょう。