今日は、水曜日。私にとって週に1度の休日。
今年の6月、7月は雨が多く、8月に入ったら晴れの日が続き、その時はボディーボードを持って海に入っていました。
9月に入ったら、やたらと台風の発生が多く、幸いに9月1日(木)~9月5日(月)の期間に上海から、私の恩師の先生方が来日され、無事に「2016年 中国武術文化交流大会」を開催出来、天気には恵まれました。
http://ameblo.jp/yokohamabujutuin/entry-12198060250.html
それから、毎週水曜日は、いつも「雨」・・・
仕方なく、職場ではないスポーツクラブへ行ってトレーニングしたり(笑)
調べものなどをしながら過ごしていました・・・
今日は、本当に久しぶりに爽やかな、朝を迎え、
今秋に、今年の今だからこそ、
実は行きたかったところへ、行くことにしました。
そこは、神奈川県の丹沢にある「弘法山」でした。
ここは、自分が生まれ住んだ東京の狛江で中学生の時に、遠足で行った場所でした。
その山道は、低すぎることはないが、大山ほどに高すぎることもない、
そんな コースを実は覚えていて、
17年前に、地域密着型で成功した、今の武術活動拠点の横浜市港北区へ移り住んで、
現在のライフスタイルになってから、休日になって一番最初に行った場所でした。
鳥のさえずりが時折 聞こえる以外は、静かな、山道を歩きながら、
思い出すことが、たくさんありました。
※正直に思ったのは、低すぎることはないが、高すぎることもない、そうした道がいい・・
私自身のプロフィールで、、
中国武術への憧れは1979年10歳、小学4年生の時から、
後に1980年来日の中国武術代表団を知り、1982年13歳に剣道を辞めて、日本国内の中国武術活動界に入り、
本場中国、上海武術界の仲間入りできたのが31年前の1985年。
30年前の1986年に安徽省武術隊の訓練生として認められました。
※一気に、山登りをして、ひと息。
(少し 疲れてる 笑)
1988年の末に、古巣の全日本太極拳協会の分裂・解散を経験し、
(※でも、これも計画解散、クーデター)
それからは自分も1989年の12月に東京の組織の立ち上げの一員となって行い、
それから10年経つと、運営内部で分裂や対立の兆しが見え始め、
私は前に所属していた協会内部を知っていたので、
運営を進めていた多くは私より年長でしたが、
本場の「中国」を知らない、「中国武術」を知らない、空想的・妄想的な方々との連携を、
静かに辞し、
もう、鬱陶しい「人間関係」や「既得権益」や、
権力闘争には、こりごりで、
そういうものには、一切無くして、
「本場、中国武術界での実力主義 方式」を導入しようと考えて、
まったく新しい武術活動を、単身で「横浜」から、2001年からスタートしました。
プロとしてフィットネス業界に入って今年満20周年、横浜武術院を立ち上げて15年。
今年は5月に上海で復旦大学武術協会、龍身蛇形太極拳日本支部の設立認可を頂き、
9月4日の大会で設立式典と一緒に行う正式な中国武術標準化を示す「2016年中国武術文化交流大会」の成功、
今年は感無量で、感謝感激の秋を迎えています。
静かに山の中を歩くと、いろいろなことを思います。
そして、そこにあるものは ただ ひたすらに 自然だ、ということでした。
(※不自然なものは、あり得ない という意味です・・・)
自分が尊敬するのは、弘法大師空海。
本場の伝統中国文化を正しく日本流にアレンジして伝え、永続して、祖国の発展に寄与していきたい。
そんなことを、思い「弘法山」へ登りました・・
今日は丹沢で山歩きをしながら、
私自身は、
本場中国武術界に入ってから短い時間で急斜面ばかりを登り続けた人生だった・・
これからは、なだらかな道を歩きたい。
でも、今は、もう安心。
みんなが、みんなで信頼しながら、
それぞれのペースで 楽しくがんばっている。
その評価や実力を「中国武術界」で、「各々」が知りたければ、
更に能力を高めたければ、
本場、中国武術界を牽引する、上海武術協会の先生方の皆様の全面バックアップがあり、
「日本人武術活動界での、正式な中国武術水準」を確定する、
世界国際標準システムの確立化を完成できました。
今現在:リアルタイムで、
誰でも、「ありとあらゆる中国武術拳種や項目の全般」で、
素直に純粋に頑張れることや、目標設定の確定が実現できました。
帰り道には、
鶴巻温泉でリフレッシュ。
しっかりと「足を洗いました」(笑)
楽しい、ひととき・・・
また、頑張りましょう。
明るく、楽しい未来のためにも・・・