私の武術活動歴は、1982年13歳からです。
1985年で上海体育学院の武術班で学び、30年前の1986年からは安徽省武術隊、そして出稽古として1990年には湖北省武術隊でもトレーニングを受けました。
その他にも、北京体育学院や中国武術研究院でも出稽古で練習しました。
1990年の湖北省武術隊からは、教わる感覚より「交流しながらそのチームの技術を吸収する」もので、当時の本場の武術隊式で普通に行い、その頃から本場で通用する自信が身につきました。
(※中国の当時の最高レベルには、追い付けませんでしたが、武術隊の一般レベルには辿り着けた自負は今でもそうですが、確実にあります。今年の5月は現在上海武術隊の指導者で当時最高レベルの原文慶さんとお会いし武術談義で大いに盛り上がり楽しかったです)
つまり日本国内式アマチュア武術は3年、1986年からは本場の専門学校のプロフェッショナルの先生方の元で学び、現地の学生や選手たちと訓練を受けて来ました。
楊承冰老師の前で側空翻を見てもらう(水色シャツが自分)
「0:35」よくやるクセで、あごをかいて中国語を話す青ズボンが自分(笑)
※撮影しているのは、仲のよかった路河山選手。
日本に帰国してからは、アマチュア・チームですが、プロフェッショナル意識を忘れずに鍛錬を続け、後輩のアマチュア選手たちをも増やし育成し選手兼コーチとして過ごしました。
2002年から、私の同世代の中国上海体育学院や安徽省武術隊の選手を辞職し、武術隊指導者の道を歩み、同時に養生(健康太極拳や健身気功)の指導者へ歩んだ謂わば、中国武術界での同級生と一緒に、
日本国内の活動の中で、武術の時と同じように、一緒の道を歩んで来ました。
それから2012年の上海での国際武術大会からは、上海の同期武術隊の監督・コーチたちとの競技会で、ずっと戦ってきました。
昨年のシンガポール国際武術大会で、中国の大学生選手との自選套路競技会と、太極拳競技会で、教え子は中国選手に勝ち、金メダル2個を獲得しました。
太極拳でも伝統女子太極拳で、龍身蛇形太極拳で銀1、4位、6位と入賞しました。
そして今年は5月の上海復旦大学での研修で、若い生徒たちも加わり、
新しい武術隊の時代が始まりました。
そして、上海の先生方は、日本遠征を提案して下さり、約1ヶ月半先の同時開催の、
武術競技大会を行うことを決めました。
今こうして、5月から2ヶ月経ち、
教え子たちは、更にレベルが上がり、今はとても毎週、毎日指導者冥利に尽きる有意義な感覚を感じています。
今日も先ほどまで、武術隊の選手たちは、一所懸命に練習を頑張っていました。
自分の30年前を思い出し、今の自分とほとんど同じ年だった安徽省武術隊の楊承冰老師と上海復旦大学武術隊の花妙林老師の恩師の皆様の面影を思い出し、
当時の先生方からの指導や思い出、どんな想いで、若き頃の自分を見ていたのか、感慨深いものがあります・・・
今感じるのは、30年経ち、
30年頑張った自分がいて、今また武術隊の教え子たちも「30年後」は、また素晴らしい指導者になっているだろう、そんなことを思っています。
9/4中国武術文化交流大会の競技会は、とても盛り上がるだろう・・・
そんな予感を感じます。
しかしながら練習は教え子たちが安全に当日を迎えられるように、
指導者としても「気を引き締めて、集中する時は、集中し、リラックスできる時はリラックスして」
頑張りたいと思います。
9/4大会は、私も上海武術協会の皆様のエキシビジョン前に「龍身蛇形太極拳」を頑張ります!
よろしくお願い致します。
1985年で上海体育学院の武術班で学び、30年前の1986年からは安徽省武術隊、そして出稽古として1990年には湖北省武術隊でもトレーニングを受けました。
その他にも、北京体育学院や中国武術研究院でも出稽古で練習しました。
1990年の湖北省武術隊からは、教わる感覚より「交流しながらそのチームの技術を吸収する」もので、当時の本場の武術隊式で普通に行い、その頃から本場で通用する自信が身につきました。
(※中国の当時の最高レベルには、追い付けませんでしたが、武術隊の一般レベルには辿り着けた自負は今でもそうですが、確実にあります。今年の5月は現在上海武術隊の指導者で当時最高レベルの原文慶さんとお会いし武術談義で大いに盛り上がり楽しかったです)
つまり日本国内式アマチュア武術は3年、1986年からは本場の専門学校のプロフェッショナルの先生方の元で学び、現地の学生や選手たちと訓練を受けて来ました。
楊承冰老師の前で側空翻を見てもらう(水色シャツが自分)
「0:35」よくやるクセで、あごをかいて中国語を話す青ズボンが自分(笑)
※撮影しているのは、仲のよかった路河山選手。
日本に帰国してからは、アマチュア・チームですが、プロフェッショナル意識を忘れずに鍛錬を続け、後輩のアマチュア選手たちをも増やし育成し選手兼コーチとして過ごしました。
2002年から、私の同世代の中国上海体育学院や安徽省武術隊の選手を辞職し、武術隊指導者の道を歩み、同時に養生(健康太極拳や健身気功)の指導者へ歩んだ謂わば、中国武術界での同級生と一緒に、
日本国内の活動の中で、武術の時と同じように、一緒の道を歩んで来ました。
それから2012年の上海での国際武術大会からは、上海の同期武術隊の監督・コーチたちとの競技会で、ずっと戦ってきました。
昨年のシンガポール国際武術大会で、中国の大学生選手との自選套路競技会と、太極拳競技会で、教え子は中国選手に勝ち、金メダル2個を獲得しました。
太極拳でも伝統女子太極拳で、龍身蛇形太極拳で銀1、4位、6位と入賞しました。
そして今年は5月の上海復旦大学での研修で、若い生徒たちも加わり、
新しい武術隊の時代が始まりました。
そして、上海の先生方は、日本遠征を提案して下さり、約1ヶ月半先の同時開催の、
武術競技大会を行うことを決めました。
今こうして、5月から2ヶ月経ち、
教え子たちは、更にレベルが上がり、今はとても毎週、毎日指導者冥利に尽きる有意義な感覚を感じています。
今日も先ほどまで、武術隊の選手たちは、一所懸命に練習を頑張っていました。
自分の30年前を思い出し、今の自分とほとんど同じ年だった安徽省武術隊の楊承冰老師と上海復旦大学武術隊の花妙林老師の恩師の皆様の面影を思い出し、
当時の先生方からの指導や思い出、どんな想いで、若き頃の自分を見ていたのか、感慨深いものがあります・・・
今感じるのは、30年経ち、
30年頑張った自分がいて、今また武術隊の教え子たちも「30年後」は、また素晴らしい指導者になっているだろう、そんなことを思っています。
9/4中国武術文化交流大会の競技会は、とても盛り上がるだろう・・・
そんな予感を感じます。
しかしながら練習は教え子たちが安全に当日を迎えられるように、
指導者としても「気を引き締めて、集中する時は、集中し、リラックスできる時はリラックスして」
頑張りたいと思います。
9/4大会は、私も上海武術協会の皆様のエキシビジョン前に「龍身蛇形太極拳」を頑張ります!
よろしくお願い致します。