
今からちょうど30年前の1986年、高校3年生7月の夏休みに入り、休み期間を全部使って初めて安徽省合肥市にある「安徽省体育運動技術学校一大工作隊」に、同門の武術師兄弟の「渡辺成人さん」と2人だけで短期留学をしました。
※この時に来ている「上海体育学院:上海体院のユニフォーム・シャツ」
上海は前年1985年で、もう慣れていたので、自分が上海に着いたら案内して、列車の切符を買い、着いた当日は上海体育学院へ行き武術隊の練習を見学して、そのまま寮で1泊して次の日の早朝に列車乗って、上海から合肥へ行きました。
当然、通訳なし、出迎えもなし、アルバイトで溜めたギリギリの予算。
僕らの中国語と身体を使って、中国の何処へでも この時から普通に出来るようになりました。
今はこうして時間が経って、思うのは「何て無謀な人間だったのか」
のようにも思います(笑)
しかしながら、当時の中国はのんびりしてて、何も危ないことはなく、
中国人民の皆さんは明るくて、日本人の若造2人には、何時でも何処でも親切にしてくれました。
この頃から私にとっては武術の故郷「中国」と、祖国「日本」の両方が大事な愛する「国」になりました。
今はこうして30年間の月日が流れ、私の師爺(老先生)の多くは逝去され、1986年当時に50歳代のベテラン老師の多くも、高齢になりました。
今こうして「あの頃」をよく思い出します。
時間が経って感じるのは「何一つ無駄なものはなかった」
そうした感謝を感じています。



今自分が老師の皆様へ恩返しでできることは「武芸」を更に練ること、
教え子たちに伝えること、
その素晴らしさを日本で広めること、
そして、2000年ある歴史長き中国との交流の1ページを自分の人生で成し遂げること。
ただ、それだけなのかも知れません。
私は今思うことの中で、
「今、生きている人間同士との約束は、まだ変更や更新は何時でもできる」
「もう既に逝去された老師の皆様との約束は、変更はできない」
そして同時に今の私の中にある「枯れる、尽きることのない泉の如く」
武術を通じて学んだ「原動力」はそこにあります。
今年は9月4日に皆さんと一緒に、生涯忘れられない「一つの思い出」を一緒に頑張りたいと思います。
「夢」と「希望」はいつまでも・・・

