鷺

私の過ごしてやって来た人生で「中国武術」というものが存在していなかった時間は、実はトータルで考えると「生まれて3歳」ぐらいは記憶になく、

小学1年生にあがった直後ほどで、判ることで、

おそらくはっきりしている「記憶の中」では、1974年にブルース・リーの映画「燃えよドラゴン」が日本国内で大ヒットして、

翌年からは「Gメン’75」というテレビドラマが始まり、その中で「香港カラテ」シリーズに人気がありました。

しかしながら、その当時で「日本人で中国武術をできる人」はなく、その後1978年に「日中平和友好条約」が締結され、1980年前後にサントリーのウーロン茶のCMで太極拳が扱われ、

その頃から「太極拳愛好者」が増え、愛好者兼で指導を始めた人達が出て来ました。

同時に「研究家」と称する人たちも出て来て、それからおよそ今年で36年間ほどが過ぎました。

その当時「20歳」だった人は「56歳」「30歳」だった人が「66歳」

私は現在「47歳と6ヶ月です」

当時小学生で剣道少年だった私は、兄が空手をやっていて、シンプルな突き蹴りを習い独学で練習をしていて1982年の13歳から中国武術の日本での活動界へ入りました。

当時は日中国交正常化があって、日本国内には「中国ブーム」が起こっていました。

大体当時は、太極拳に興味を持った人達が1週間ほどの研修ツアーで中国へ行き「楊式太極拳簡化24式」を当時の中国での普及活動と同じ内容で学んで来て、日本で組織を作り、そこで自分の練習と合わせた指導で広めて行きました。

私の場合、初めての中国へは、1985年の春の2週間、上海体育学院の武術班と伝統武術名家の徐文忠老師を当時に日本へ来日されていた中国人老師からの紹介を受けて学ぶことが出来ました。

そして1986年から日本人で初めて「個人ビザ」が解禁され、そこから単独アクションでの中国での短期留学での武術修業の旅が始まりました。

今こうして長い時間が経って思うのは、ほとんどの多くの日本人の太極拳愛好者や中国武術学習者は「送り迎えがあって通訳付き、冷暖房完備の外国人向けホテル滞在での観光学習」で行ってやっていたと思います。

または交換留学生で北京体育学院(現北京体育大学)に1年間の公費で来ていた長期留学生と北京で会ったことがありますが、お金に不自由なく、とてもいい環境になっていました。

私と同門で師兄弟の今現在に日本を捨てて、オランダに移住してしまった盟友、渡辺成人さんは、1986年で最初で最期の一緒での武術修業の旅から始まり、

いつも、送り迎えなし、言葉は当時から自分達の直接話す中国語での会話、宿泊施設は学校の寮で冷暖房などはある訳がなし、

食事は学校の食堂が利用できる時は大助かりで、それ以外はいつも屋台。

冬は寝る時はジャンパーを着込んで丸く寝て、夏はいつも穴の開いた蚊帳の中で大きな大陸の蚊に刺されながらも悶絶しながら眠りました。

お金も年間を通じたアルバイトで溜めた貯金でいつもギリギリの予算、スポンサーもなし、

これが基本中の基本でした。

でも、それなりにいつも充実して楽しい生活でした。


しかながら1986年の時からダイレクトで中国へ入る要領を覚えてからは、

それが逆に楽しみで、当時の中国の庶民生活に入り込み、一緒に生活し、

朝は6時から走らされる素質訓練、午前、午後は練習(昼寝付き)夜は10時には就寝。


中国大陸の武術専門学校で現地の修練者たちと同様の練習メニューをこなして武術を学び、そして「中国武術世界は、どういうものか」という文化精神を教えられ、

これまでに忠実に実行し、日本でも練功を怠らずに、努力をして来ました。


しかしながら、普通の生活に溶け込むのが好きだった私達2人は中国の多くの先生方からは、私や渡辺さんはいつも歓迎され、可愛がってもらえました。

1985年は集団ビザでしたが、1986年からはずっと個人ビザが降りて、

そこから始まった毎年の武術学習(1ヵ月半~2ヶ月の生活。最近は1週間ほどしかできませんが・・・)30年間ずっと続けていて、

その武術縁は今でも続いています。

微信

(※最近はインターネットの、We chat 微信で毎日しょっちゅうに先生方と連絡を取り合ったり、武術道徳や技能のレベルアップにおいて重要な資料を送って下さり、進化しています)


こうして長く時間が経って感じることは、

「観光旅行がてらでの学習」で古くとも、やっていた人たち(※今の日本によくある太極拳組織の上層部)

当時の中国の体育運動学校・武術隊で長い時間をかけての訓練:トレーニングと、そして2002年からは健身気功、武術指導者としての学びを経て、

伝統武術家の老師からの指導を直接受けてやってきたものとは「質」はまったく違うものだと感じています。


しかしながら日本国内では「愛好者」の活動は大いに結構で奨励をしたいのですが、

運営組織での指導者や審判員の内容での専門性という部分に、とても大いに疑問を感じるものが沢山あります。

今の日本の世の中には、資格ビジネス量産的で、確かに本当に短い期間の養成コースや講習会で、

すぐに指導者になり、経済報酬を得られるような宣伝文句でやっているものは、とにかく沢山あります。

しかしながら伝統ある「中国武術文化」での指導者というのは、高級料亭の板前さんになっていく様な厳しい修業を経ていく「職人」気質と同様であり、

最近は若者たちが利用して「中国武術」を軽いノリや西洋スポーツ意識のみで、多数が安易な感覚で組織的に行っていくことに危惧を感じています。


私自身も1984年から始まった、国内の競技会で日本一での成績結果を何度か残してきちんとしっかりと証明をやっておきました。

(※この時からもう既に指導者と選手、組織の癒着は始まっていて、アンフェアな中でも勝利を勝ち取るのはとても大変でした。一番良かったのは1988年まで中国から審判団を呼んでいた時だけです)

そして「運営に入って協力して欲しい」という招請を受けて、3年だけ運営に携わり、

組織内部の在り方や、考え方、運営方針を知ってから、辞めました。

私の信条には、あまりにも全く似合わない世界になっていたことを知ったからです。

(※ある意味、自分の信念を曲げなかった、という方が適しています)

2001年の5月に日本の大阪で開催された東アジア競技大会での組織的なランキング操作を、会場の大阪市中央体育館の中でリアルタイムで目の前でダイレクトに見ました。

それは男子太極拳部門の競技の進行中で、ある中国選手の出場を演武服まで来て準備していた直前でリタイアさせられて引っ込んでしまい、年下の彼は知人だったので、その選手が戻って来た時に理由を聞いてみたら「政治的理由」と彼がすかさずに答えてくれました。

「自国開催を招致したことでの競技結果を求めるのは、この世界では、そういうものなのか・・・」

その他も、1990年北京アジア大会の最終選考会で、初めて改築された東京体育館での競技会で今は審判をしているある女子選手が国際套路第一の長拳の予選で旋風脚からの連接で馬歩着地で「尻餅」をついても得点が「9、1」になり、予選通過で決勝で1位になり、それはもの凄い高いレベルの選手の技能ではありませんでした。

※私は沢山、国内競技会「1984年の第1回大会の日本人優勝者」での映像をも多数持っていて、1990年の競技会の、その瞬間を撮っている映像もあるのですが、一応これでも気を遣っています。

同じ競技会で、上位3位選手が代表に選ばれるという選考会で当時の同じチームの女子選手が総合3位になり、チーム仲間で喜んでいたところ、

閉会式で発表された選考会の結果では、説明なく、4位の選手を選んだことがありました。

(※その選手はその競技会を以て辞めました)

それから1994年広島アジア大会の男子太極拳競技でのこと、1995年のアメリカ、ボルチモア国際大会で日本からの出場選手の申し込みが国内競技会が開催される前に実は終わっていたり、

もう1987年の横浜で開催された第1回アジア選手権大会でも、似たようなことは行われていましたが、

とにかく裏切られた想いです、それまでは改革、改善をと思っていましたが、

組織や運営陣の考え方が、そういうものとは違うことを理解し、その後に独立したまったく新しい武術活動を単身横浜で始めました。

そしてかつての東京での練習仲間たちは、ほとんどの多くが辞めていき、残っていく人間は何かしら、心の読めない訳有りの人物でした。

そして辞めて独立した後に、私の教え子選手への引き抜きにあったり、中国武術協会での国際交流で妨害があったり、非常に大きく不快な思いを受けさせられました。

そして、

選手や競技会を商品化して、相互が利用し合って、都合よく使い捨てが普通になっていくような人間関係での感覚は、表向きと裏側での二重基準:ダブルスタンダードの世界で「中国武術世界」にはあってはならないものです。

中国武術界は相互発展、相互繁栄、相互に成功や充実した達成感を実感し合うものです。


そうしたところから上海との友好関係のある横浜の地を拠点にした単独での本物の中国武術の普及を開始して15年が経ちました。

今年は9月4日に地元で上海武術協会から本物の先生方と選手の一行をお招きして、交流大会を行う予定です。

私達はこれまでに2014年と今年2016年の研修ツアーでも上海での庶民生活に一緒に入り、1週間という短い期間ですが、本場の武術隊との訓練、

現代にも続く伝統武術家の先生からの学びを、私のこれまでの経験を活かした新形式で始めています。


最近ようやく武術活動が安定し、2012年から始めた本場上海武術界と香港の武術界での「ステイタスアップ」の証明を果たし、

今年2016年の5月から正式な中国武術人士として上海復旦大学武術協会で「技能資格証明書」の認定を受けられる日本の組織として出発できました。


今振り返ると、戦後の日本にあった主用ビジネスで、

「無知な人」を利用する詐称ビジネスモデルが沢山ありました。


それを私のように「悪い」というのか、

しかしながら、それを「頭が良い」という人がいるのか、

今の現代日本社会での判断というのは意見が分かれると思います。


「そういうのがあった方がいい、そういうものも必要」

そういう人は多いです。


日本の武術活動界が、他の国々との比較で見てみると圧倒的に質は低いと感じています。

これまでの20年間のスポーツクラブ、フィットネス・クラブの指導で周る中で、

新しく着任してすぐに、会員さんからの聞く話の中では「太極拳の練習では膝を痛める」とか、幾度か聞かれましたが、

私は「そういうことは一切有り得ない、動作フォームやバランスの悪いやり方が体を痛める原因で、考え方と方法が間違っている」と何回も答えたのも数えきれません。

それよりも「身体を痛めるための養生は存在しない」と言い、実際のレッスンで証明をしてやって来ました。

それから、知人からの話では、

「有名な太極拳の先生○○が糖尿病になった」とか、

「心筋梗塞で倒れた」

「五十肩になった」とか、「○○さんが武術動作の演示をしようとしたら足に大怪我した」

とか、たくさんあり、非常に多くの噂が知人を通して聞こえて来ることがあります。


そして「○○太極拳は・・・なの?」とか、

「中国武術は・・で・・・なの?」とか、

あまりにも抽象的で曖昧で、無知な人がまた無知な人に、不適切な考え方や練習方法、

武術道徳や倫理、武術技能保有者には有り得ない行動の数々で、

本当にイメージダウンや迷惑を感じていました。

(※心身が健全な私でも、一番厄介なストレスを感じます)


その数が増えれば、増えるほど、やはり今も日本国内によくある、

結果として「間違いだらけの○○○」になって行きます。


それに太極拳や健身気功の指導者が生活習慣病になる、というのはどういうことなのかを、

真剣に考えられない人達の世界観は「正しい中国武術世界観」では100%有り得ないことで、それを擁護したり、同情する人も有り得ないのが、この世界です。

そして感想として想うのは「無知で判っていない」から、性質が悪い気がします。

(※本人は本当に、それがいいと思い込んでいるのか、間違っていることに気付いていない。あるいは健康意識が高い今の世間では当然のことが、当然になっていない)


最近は良識ある医師が、日本に蔓延る生活習慣病になっていく人が非常に多くなり、

その原因や理由を何度も幾度も説明するうちに機嫌が悪くなる理由や気持ちがよく解ります。


「生活習慣病7大疾患:がん、脳梗塞、心筋梗塞、慢性腎不全、肝硬変、高血圧症、糖尿病」は、

「低酸素」「低体温」「高血糖」体質の人がなるもので、

運動不足、食事内容の偏り、血行不良体質の人が罹患することが、

最新スーパー・コンピューターで生活習慣病患者の体質を詳細まで調べ尽くした医科学データの分析結果から原因も理由も全て判明しています。

そして関節痛を含む「運動器機能不全症候群:ロコモティブ・シンドローム」は、

体重過多で、膝や腰が自分の重みに耐えられなくなることで多くが起こることまで判っています。

中国武術が「神功」と呼ばれる所以は、本当に先ほどの生活習慣病体質の真逆で「高酸素」「高体温」「低血糖」で快適な体質を構築出来て、

本当に多くの生活習慣病を予防、改善するだけでなく、小さな子供にも勇気や力を与えられるからです。


しかしながら、最近情報をいろいろと感じる中で「凄いな」と本当に実感するのは、

日本国内の太極拳や武術拳種を行っている選手の感想で「以前から入院を勧められている糖尿病の状態でも頑張った」とか、「ずっと練習不足で太ってしまっていたが、競技会直前で膝を痛めながらも頑張った」とか、

インターネット経由で知人経由から流れてくる写真などで、かつての知人達で「まるまる太った顔のVサイン」や「腹がたっぷり出ている体型になっていて、有名な○○先生」とかを目にすると、

「本当に、日本における、この世界は一体何何だろう・・」と思うことが多いです。

※見なければいいのですが、いちいち勝手にタイムライン経由で流れて来るのは止められないのである意味困惑するのが正直な感想です。

それに気付いたのは日本国内でも、首都圏で東京~横浜で洗練された質の高い意識で、実質を評価されているものと、地方では大きなギャップがあり、

現代日本社会に多くある「不都合な真実」というのを、この世界でも不思議なかたちで感じます。

(※それは最近淘汰されていった長年やってきていた間違った医療ビジネスのテクニックと同じで、武術ビジネスで不適切な行為を行う人達は、いずれ必ず様々なかたちで淘汰されることでしょう)


「人は見かけに拠る」のは中国武術世界では当然で、

その人の体型は、その人の生活が表れて、

その人の表情は、その人の性格が表れて、

その人の考え方は、その人の知性が表れて、

その人の武芸は、その人の練功と、その師が判ります。


口だけ動かすのは武芸と謂わず、ただの批評家:コメンテーターです。

※人間の体の中で一番簡単に動かせるのは「口」で、

「口先だけで、武芸の技を実際に披露しない人」は、武術界のルールでは一番許されない人です。


日本における、そういう武術活動界を見て、本当に学んだのは「最初が肝心」

そう感じています。


私は日本人でありながらも、徐文忠老師門下で日本における武術一流派を背負っている「中国武術人士」の一人として、

伝統中国武術文化道徳での「愛国」「修養」「正義」「助人」を実行・実践する者として、日本に蔓延る「間違った中国武術文化」には許容する意識を持てません。

むしろ日本人であるなら自分達から間違いを正す「正義感」を発揮すべきと考えています。


しかしながら、大きくはなくとも私達の正式な「中国武術活動」は有り難いことに、

皆さんが本当に本当の意味で、活発化していて大変嬉しく想い感謝を感じています。


全体的に、心身が健康で、日本人でも、中国人でも、韓国人でも、インドネシアから来た方も、

以前は、アメリカやサウジアラビアから来た方も一緒に楽しく武術活動を明るい本場上海式国際スタイルで中国語や英語をみんなで駆使しながら行っています。


たまに思うのは「日本に居て、日本人が日本人同士での方が実は理解できなくなっている!?」

ひょっとして、それが今年戦後71年を迎えた、政府・政策の結果!?


ひょっとして「日本国内に、正しい中国武術や太極拳、健身気功が広まると多くに心身が丈夫に健康で、精神力が強くなることで正義感意識が高まる」

このことが実は政府や行政や委託を受けてやっている組織が望んでいない!?

本当に、そんなことを感じています。


でも振り返れば、今の日本国内の乱れ方は尋常ではないから、

武術系の勘違い世界や、彼等を顧客にする武術指導者(日本人、中国人を含む)とその母体組織は別に問題を起こしていることでもないので可愛い方だとは感じますが、

しかしながら、中国武術文化に相容れない勘違いや見当違いの指導や、誤った理論を広めるのは後々、本当に修正が大変でいつも骨が折れる作業なので注意して欲しいです。

知らないなら勉強すればいいだけであり、技能がないなら、何処かで正しい技能を学べばいいだけであり、そういうことをやらないで身勝手にやるのは虚偽の風説の流布になると思います。


でも、今私達は大きな確信を持っているのは、こういう世界観をしてやっているところは、いずれは時間が必ず解決していくものばかりなので、

楽観視をしています。

しかしながら、これだけ長い時間がかかって、日本国内で多くの人がかかわっているはずなのに、アメリカやロシアの発展はもちろん、

1990年代には遅れていた東南アジアも韓国も台湾も「中国武術:WUSHU」は盛んになっていて、

未だに日本国内での「正しい中国武術」の広まりが小さいのは、本当に?と考えます。

(やっぱり、プチ詐称なことばかりを言って行うことばかりの結果が判ります・・・でも、こういうとやはり数人が、それは不愉快だとか、判っていない、とかで怒る人達がいます)

やはり日本は、中国が2世紀の後漢(西漢)の末期に名将曹操の「魏の国」が建った時代に、

日本は倭国で卑弥呼の時代で、日本列島全体では、縄文時代末期~弥生時代前期の頃とあまり本質的には変わっていないのだろう、と想うことが多いです・・・


※私はこんな中でも、これまでのように頑張ります!