
昨日の日曜日は、午前中の野外太極拳スタート時はまだ少し肌寒かったですが、陽射しが出ると春の陽気を感じられ、
午後の武術班の練習時は気温も上がり、全体的にテンションも高く、この冬のトレーニングの成果が出てきた感じが見られて、指導者冥利に尽きます。
私はやはり、16歳から本場中国での武術家の皆様から指導を受け、
「中国武術家」という生き様や存在をずっと見て来てここまでやって来ました。
中でも徐文忠老師のことは31年経った今でも、78歳当時にその動いていたお姿や姿勢を生涯忘れることができません。

1985年の5月と1987年7月~1989年1月まで来日され長期滞在期間に付き人として一緒に毎日を過ごしました。
1987年の秋にはお嬢様で現在中国武術段位九段の徐淑貞老師も来日し、

多くの素晴らしい指導を受け、いつもお部屋で食事をご馳走になったり、お話を伺いました。
振り返れば、現代日本社会人式スタイルの太極拳や武術系の考え方、や来日した武術競技選手出身の中国人講師の日本での処世術としてのやり方には、途中で大きな違和感を覚え、
今から17年前の1999年に香港で開催された世界武術選手権大会で武術師兄弟の渡辺成人さんと再会した時に「2人だけ」で、
そうした日本の将来の武術発展のためにならない武術スタイルや考え方、方法などに反旗を翻し革命として「日本人の武術人士の我々だから判り、理解できる新しい武術活動」を始めました。
渡辺さんはオランダ居住なので海外を巡り活動をしました。そして2001年頃から途中で新しく国際武術大会が中国で開催されるようになり、
渡辺さんは2001年から少林寺のある河南省鄭州市での少林武術節へ挑み、私は2002年で古巣の上海国際武術博覧会へ挑みました。
そして香港や杭州で合流したりして、振り返るといろいろと大変でしたが、とても有意義で実りある15年間だったと思います。
渡辺さんは昨年から台湾へ新しくチャレンジするようになりました。
時間が経つにつれ、私は地元横浜での普及指導に力を入れて活発な健康増進、後進指導者の育成、プロデューサーとしての新たなチャレンジを始めました。
中国武術は「功夫:カンフー」とも称され、「時間:腕前:能力」のことを指します。
まさしく、この15年間の「時間:腕前:能力」の実感は大きくあり、
15年前に反旗を翻し、何も協力もなかったけれど強い意志を持ち、2人だけでもやってきた正しさを実感します。
今は有り難いことに本拠地横浜では、仲間も増え、後進も育ってきて心強さを感じます。
渡辺さんは台湾の武術界や香港の映画界との新たなサポート体制が出来て、お互いの強烈な個性や考え方の違いは凄いのですが(笑)
武術人士としての義侠心や友情に感謝を実感します。
やはり、それらを思い、私は教え子たちには、伝統武術文化である「思想哲学」「芸道」そして「大自然」をないがしろにしないように諭しています。
伝統中国武術世界にはしっかりとした戒律があり、
「芸を学ぶ前に礼を学べ、武を学ぶ前に徳を学べ」
という言葉を重視しています。
先ほどに出した「現代日本社会人式スタイルの太極拳や武術系の考え方」や来日した「武術競技選手出身の中国人講師の日本での処世術としてのやり方」というものへの違和感とは、
「礼を学ぶ前に芸を学び、徳を学ぶ前に武を学んだ人達」
というものだったと思います。
結局のところは、
「人(心)・物・金」の流通という現代日本にもある資本主義経済の中にでも、
やはり一番大切なものは「礼節」と「道徳」です。
「礼を学ぶ前に芸を学び、徳を学ぶ前に武を学んだ人達」の行う傾向はきれいに言葉では、何を言おうと行動と結果は合致します。
「類は友を呼ぶ」あるいは「その人を見たいと思わば、その人の友を見よ」の格言は真実です。
武術道徳の世界であれば「易経」の冒頭にある、
「自強不息」
天行健、君子以自強不息(天行健ナリ、君子ハ以テ自強シテ息(や)マズ)
【天の運行が順序正しいように、君子は自らを向上させることを怠らない】
「厚徳載物」
地勢坤、君子以厚徳載物(地勢坤ナリ、君子ハ以テ厚徳載物)
【大地があらゆる生物を育むように、君子は人徳を高く持ち義務を成し遂げる】
最終的には誰でも関連する「人(心)・物・金」の中であっても、
先ず、「自強不息」己自身の武術活動での行動や修養があり、
そして「人(心)」が一番重要で、
そこから先は「厚徳載物」
「物や金」というのは、自らが耕した大地から、生き物が育つかどうか、ということであり、
「自然」に成り行きを全て任せる、そういうものです。
「礼を学ぶ前に芸を学び、徳を学ぶ前に武を学んだ人達」に共通するのは、
「お金」を都合よく自分(達)の方へと流れるように画策し、
「物」も都合よく自分(達)の方へと流れるように謀を行うことです。
中には不自然や道理に合わないことでも強引にすることも少なくありません。
それはひと言で言ってしまえば「自作自演」です。
しかしながら、今の現代日本社会の世の中は、それらは「普通」です。
テレビなどに出てくる芸能人などは有名なのではなく、何度も何度も人前に出られるように画策し、何でも都合よく自分(達)の方へと流れるように謀を行うことです。
それは野球を含むスポーツ界も同じです。
私と渡辺さんは「武術界」は何があっても、それをやってはならない。
やるもの行う者は評価対象外という存在で考えます。
それは何故か、
それが「中国武術界」の掟でもあるからです。
今や世界中で人気のある「カンフー映画」で描かれる世界観は「武術道徳」を教えてくれるものです。
私達は、この15年間意識的に行動・アクションを行って実績を積んできました。
今こうして時間が経てば、
中国武術的「倫理」と「道徳」は本当に重要で、言葉には時折厳しく感じたとしても、
最終的な結末には、道理に合った法則であることを実感します。
あるいは、誤ちや失敗をする人達の仲間入りをしないようにするための試金石の言葉なのかも知れません。
ある1987年の夏の暑い日に徐文忠老師が私に向かって「成澤、とく という字を書いてみろ」といきなり言いました(当然、中国語です)
私は「徳」と書きました。
老師は「そうか、よし。お前がもし得と書いたら、もうお前には大事な技は教えないところだった」
そして、
「徳のある者は、後に得を持つことはある、しかし、得のみを考える者に徳は身につかない」
と老師は言いました。
私が18歳で徐文忠老師が78歳の時の出来事でした。
徐老師は1989年に帰国後にアメリカへ指導に赴き、上海に帰国されてから体調が急変され逝去されました。
こうして今、長い月日と時間が流れ、いろいろ思うことは多いです・・
1980年代に隆盛だったアメリカの力は国内世論も分裂し衰えが目立ちます。
今現在は、
中国やインド、ロシアが大きな力を国際社会での影響力を持つ時代になりました。
アメリカから大きな影響を受けてきた日本国内でも国内世論がやはり分裂して大きなジェネレーション・ギャップが生まれ、
財界も、政治家やその支持者たちも言うこと・やる事がヒステリックに二極化して、
それは益々顕著になっています。
ずっと今までに日本国内にあった、旧世代的思考の特徴で、
寄らば大樹の陰、長いものには巻かれろ的な「誰かの下僕であっていい」「誰かを下僕にしたい」
そんな風潮や傾向があった戦後日本の71年間の思潮がありました。
私はそれを厭い「誰もが意識で自由にあっていい」「誰もが意識で上昇志向であっていい」
そう私は思い感じて、同じく気持ちが協同する皆さんと共に今までの人生で一貫してやってきました。
そして、
人間は一人ひとりはそれぞれがそれぞれ、それは兄弟家族であってでも「それぞれは別の生き物」
私は他人になれないし、他人は私になれません。
多種多様な現代日本社会、老若男女合わせて1億2700万人。
その中の一人の個人的な所感として「過去に比べて今現在は良くなっているか」という質問があったなら、
自分の関連する範囲内では「もの凄く良くなっている」と私は答えます。
そして、同時にここ数年で現代日本医科学に通じ、
その医学データ分析での結果から判明した日本国内の健康問題の正体から理解出来たことは、
「私は他人になれないし、他人は私になれない」という事実の中で、
世間に多くある他人達が不健康であってそれが普通で数が多くても、
武術活動を熱心に行ってきた心身が常に良好な武術体質と自らのライフワークは宝だと実感します。
今はこうしてでも毎日日本国内の方々で、「物」と「金」で日々大勢の「人」が揉めていると思います。
(※正しく「中国武術的世界観」があったなら、そういう方向へは行かないものです。私たちが日本にある武術や太極拳界へ言いたいことは、そういう意味です)
それを思い振り返れば、武術道徳にある「自強不息」「厚徳載物」は正しく、
「厚徳載物」の「物」とは、
己で作り上げた「心身」のことだ、という歴史から築かれた事実だと認識しました。
やはり最も大事なものは「人(心)」です。
※私の感じた言葉「その人の功夫を見たいと思わば、その人の体質、体型、思考、求めるものを観よ」
来日された徐文忠老師、楊承冰老師と共に(1988年)青と白のストライプシャツが私(笑)
