由比ガ浜


中国武術の道へ入って34年、今までにずっと武術のことばかり考えては修練に打ち込んで生きて来ました。

先日に練習中に皆さんが話題にしていた、武井壮さんが中国武術、少林拳にチャレンジするテレビ番組を見ました。

その中でいくつかのシーンを見て、いろいろとまた想うことが出てきてしまいました・・





この番組を見てから、長く私の中にある少林寺への敬意をも思い出させてくれました。


私が、長く今でも行ってる中国武術の修練での基礎になっている「長拳:Changquan :Long fist」は、少林拳の要素に華拳、査拳を合わせてハイブリッド化させた拳種ですが、

伝統少林拳の老拳師の皆様への憧れもずっと持っていました。






嵩山の麓にある「少室山」の「林」の中にある「寺」という意味で名付けられた「少林寺」は、

中華人民共和国の建国以後に1976年まで続いた文化大革命の影響で一部、寺院が破壊され、少林寺の僧侶は全員一度還俗させられ、武術も思想哲学と同様に禁止令が出されて少林拳修業者も地下室などで修練を続け、

文化大革命革命の嵐が終わってから、少林武術学校を元少林僧だった楊聚才さんを武術教師に迎え、再復興しました、映画が公開された頃は梁以全さんが校長で学校は一つだけでした。




私は1985年で当時に上海で学んでいた時に聞いた話では「少林寺は今まだ復興途中で、武術活動も安定していないし、武術家も少ない」と聞いていました。

あまり日本人で知る人は少ないですが、本場中国国内の武術事情は

1949年に中華人民共和国成立後、国家体育運動委員会が設立され、

その元に中国全土から伝統武術家を招聘し中国武術協会が発足し、伝統中国武術拳種での、継承、研究、普及、レベルアップのために様々な研究がなされました。

そこで、中国全土での「武術基本功」「長拳」「太極拳」「南拳」四大兵器「刀剣棍槍」「対打拳」「器械対練」「散手」普及統一カリキュラムが制定されて広められました。

少林寺付近の武術学校もその「武術基本功」や「長拳」のカリキュラムの上に更に伝統功法を取り込んで存在そのものをリメイクさせてやってきた歴史がありました。

今回の武術学校で武井さんが習っている「五歩拳」はとてもいい例だと思います。


「馬歩」

馬歩格肘

「弓歩」

短棍

実際、1980年代の頃、河南省武術隊や武術協会では陳式太極拳に力を入れて、海外普及も太極拳が多かったです。

そのために今は強くなった河南省武術隊のコーチや、少林僧も武術教師も大体が私よりも皆が年下です。

今回の武井さんの指導を担当した、少林僧の釈延開さん(32歳)も、そうした内の復興を支えた一人だと思いますが、よく修練されていると思います。

出演されていた、武井壮さんが中国武術や少林寺に憧れていて、私の5歳下で一時期日本国内にあった中国武術:カンフーの大きな一大ムーブメント時代を知っている方だということを知りました。

私の学んでいた武術学校での生活と、時間が流れても、ほぼほとんど同じような練習環境が垣間見られて、何かしら嬉しく感じました。


そのチャレンジした武井壮さんが話す印象的なコメントがあったのですが、

「13:47~」

「ひとつ、ひとつの歩型をとることが、もう、俺の今の身体能力というか、筋力とか持っている力では無理。それがすごくよくわかる」

「ちょっと俺、甘くみてた」


「20:13~」

「本当に自分は強くなっているのか」「本当に自分は成長しているのか」

「もしかしたら何もない国で生まれて、そこから何かを手に入れようとして前に進んでいる人の方が強いんじゃないか」

「そっちの方が、もしかしたら、心の方が豊かなんじゃないか」

「そういう疑問みたいなものは常に感じるんですよ」


「37:35~」

「シンプルなんだな・・ 座禅とカンフーの修業が一番の幸せっていうね・・ 何だろうなぁ・・」


「48:01~」

「当たり前、難しくて当たり前」


「48:40~」

「僕らタレントもそうですけど、本当に人に楽しんで頂く力がないのに、おもしろいことをやろうと思っても伝わらないから、そうしたら数年で飽きられて、コイツってこんなもんだなって終わってしまうと思う。そういうのを感じるよ、ここに来てから」


武井さんも知った、

「馬歩」に耐えることの大変さ・・「套路」を覚えることの難しさ・・

私の感覚は向こう側と(少林寺)一緒の人間・・・

(※どちらかといえば、少林寺の彼等を後輩に感じます)


「正直な人間」は「日本人」らしく、素晴らしいことです・・



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今朝は、広がる青い空を見ていたら、

今日は海と潮風に当たりたくなり、すぐ様に私の足はまた鎌倉へと向かっていました(笑)


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思えば、日本人である「自分」が何故に34年前にこの道へ入り、

31年間に中国との往来を繰り返し、

長年にすべてをかけて「中国武術」に打ち込んでやってきた理由の数々を、

まったく意外なことに武井さんがずっと生きてきた現代日本社会での自己への問いかけの言葉から聞くこととは思いも寄りませんでした。

今日も鎌倉、そして海の方面を歩きたくなった理由は「それ」でした。


海辺について、立禅、呼吸法や導引術をいくつか行いました。

私は日々、「座禅」だけでなく「立禅」も度々時間があれば行っています。


それから海を見ながら、歩いていくうちに、

また「幾つか」ひらめいてきたことがありました。

ふとひたすらに「歩き続けること」と「禅的意識」の共通点、

弘法大師空海は、行脚を修業にしていました。


そこにあるのは、ある感覚から自然体に「無」を身近に感じ理解していくこと。


山を歩けば、緑は春に萌え、夏に大きく育ち、秋に落ち着き、冬に土へ還る。

海は、潮の満ち引きが繰り返されていく。

大自然は永遠。

人は、どのように「大自然」に近付き、同じく自然との一体を目指すか・・

それは「静」

「陰と陽」

「大地と天」「月と太陽」「秋冬と春夏」「女性よ男性」「下半身と上半身」

そして

「静と動」

「静けさ:静か」

「養生」

それが「動き」の実践の中で行い続けていくことが「武術」「太極拳」「導引術」「五禽戯」

  
それは、私は師が不在な、日本にいながらでも限りなく、

個々で「禅宗 少林寺的生活」を本能的直感から既にライフワークの中で「自然」に実現させてやってきていたのだと、いう感覚を理解しました。

スタートは「陽」そして「陰」それからまた「陽」


思えば鎌倉は関東地方の古都、

私の家系の血筋「東国武士団」への誉れ。

鎌倉五山、禅の広まりは鎌倉時代からの歴史とも繋がりの「縁」を思いました。


中国武術の師が不在の中でも、多くの歴史的師匠は多く身近に鎌倉に在ることでした。

その歴史ある鎌倉から、日本国内で生活をしていけば多くの問題が起こり続けていく中で、私一個人では不足がちになりそうな精神面での支えや、大自然のエネルギーから応援を受けていたことを実感します。

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私より「上の世代」が好んで広めてやってきた「中国的武術」「小日本的太極拳」「手品的気功」

何故か、現代日本社会の時代的勘違いの成せる業か、意外にも勢力にも多々がなっていました。

今は不思議です、彼等を静かに眺められるようになりました。

鳥居


新時代を迎えて革新的活動を行い続け、

今リアルタイムで私の代から、始められていく「中国武術」への発展への思いを感じます。

それは以前での日本国内にある歴史的「仏道」での鎌倉新仏教の発展と環境が酷似していることに気付きました。

歴史は繰り返される・・・


今日は、広がる大海原や、

青く広がる空。

清清しい空気に、これからの可能性を感じました。

「無」