河川敷

川原

今日から2月に入りました。

ここ2週間ぐらいが、この冬の「寒さの底」を打った感覚があり、これからは一進一退で季節が進み、

明後日水曜日が節分、木曜日が立春です。

そして、来週の月曜日太陽暦2月8日が、太陰暦正月元日で春節です。

日本で、旧暦の正月とか中国のお正月、という言い方がありますが、

日本も太陰暦では大化の改新から1300年の歴史があり、太陽暦は明治5年の十一月九日(西暦1872年12月9日)の改暦から数えて、144年でしかありません。

昨年は戦後70周年を記念して意識されたものが、たくさんありましたが、あちこちであらゆる現象が見られる通りに「新しい時代の趨勢」が動き出しているのを直感で思います。

今の現代日本社会の感覚では、欧米系の年の区切りのクリスマスと太陽暦新年と、太陰暦の3つを意識することがいいと思っています。

中でも太陰暦は四季:春夏秋冬を二十四節季で自然の変化をしっかりと区分していて、私自身は二十四節季を常に意識して生活のリズムを作っています。

(※ここ2週間が真冬の底を打ち、まだ冬は越していません。真冬の寒気を越してこそ立春の気が立つものです)

昨日の河川敷での野外太極拳の練習では前半は龍身蛇形太極拳の組み合わせ動作練習、後半は推手、対練套路の練習法で掤(ポン)、捋(リュー)、擠(ジー)、按(アン)の動作を行いました。

掤(ポン)

掤(ポン)、捋(リュー)、擠(ジー)、按(アン)1

捋(リュー)

掤(ポン)、捋(リュー)、擠(ジー)、按(アン)2

擠(ジー)

掤(ポン)、捋(リュー)、擠(ジー)、按(アン)3

按(アン)

掤(ポン)、捋(リュー)、擠(ジー)、按(アン)4

この太極拳での四正推手の動作の実践感覚を活かして、龍身蛇形太極拳と連動し繋げることで今現在進行中の「太極拳文化」の理解を広げたいと考えています。


推手


私達の活動で重視しているのは、この真冬を越えつつある今の時候こそに、心身を快活になれる「真の健康効果」を、皆さんそれぞれに自らの心身への信頼感を感じられ、明るい実感と達成感を共に実感し合えることを大事にしています。

巷に溢れる様々な健康法の数々は、

正しければすべての全ては、今の時候こそ その実力と効能を発揮して多くの方々へ安心感を広げる役割を果たして貢献すべきだと私は思っています。


鳩

自分2

3人で

川原2


今現在の私達の活動で、専門教程で武術や太極拳、健身気功を体得したい皆さんには、やはり現在日本のライフワークの事情に合わせて土日で集中して行っています。

土曜日は地元の朝日スポーツクラブBIG・綱島のカンフー・スクール、太極拳スクールと連動して日曜日の午前の野外太極拳と午後の武術班は活動を一緒に練習を行っています。

午後は武術班での全体練習の活動です。

午後は場所を移してアクロバット的な動作も何でもできるようにと体育館で行っています。

練習内容は、先ずしっかりとした準備運動、基本動作、武術基本功。

そして今の真冬の寒い時期は、武術的な動機付け:モチベーションを上げていくのと同時に、

身体をより活発にさせていくために「散手攻防技術」の練習を行っています。


散手

散手3

散手2

散手4


散手とは、中国的発想で花は満開になるまでは、すべては連動して咲くのですが、

散る際には、各花弁が、散り散りになって落ちていくように、

散る花びらの動くように自在に武術の技を掛け合う技能です。

武術の基本技能の上に、自在に攻防(攻める・防ぐ)技法を行うものを「散手」といいます。

そうすることで、動き合う中での間合い、動態視力、実際の攻防感覚が磨かれます。


そして剣術の技法での散手が「短兵」です。

小さな子でも、今現在の現代日本社会では「イジメ問題」があり、それぞれで「己れを磨き」たくましくなって、己自身での対処法としてでの「処世術」であって欲しいこともあり、行っています。

短兵

短兵2


そして各自で、好きな武術項目で長拳や剣術、太極剣などを行います。

長拳 単練

長拳5


長拳 対練

長拳

長拳2

長拳3

長拳4


剣術

剣術3

剣術2

剣術

剣術4


こうして私達は長く武術の学びを通した文化交流を本場中国大陸との間で続けてきました。

今現在は中国も大きく変わり、武術界の活動も変化しました。

私が今感じている感覚は、

中国伝統文化の善い面を、日本人の繊細な意識感覚で更に高めて発展させてきた2000年の歴史感覚を、

今現在リアルタイムで「武術:WUSHU」「太極拳:TAIJI」「健身気功:Qigong」で進めて行っている実感を思います。

今感じているのは、100年後ぐらいに、その頃の日本の「誰か」に現在リアルタイムで行っている武術活動を受け継いでもらって、

今こうして動かしている新しい伝統文化感覚を未来の誰かに、ずっと生かしてもらえれば、

「永遠の生命」とは、そういう文化精神のことだろう、

実は、そんなことをよく思っています。