チェス チェック・メイト

昨日は今年に入って2回目の日曜日の武術活動の1日でした。

ようやく先週の火曜日からこの冬の本格的な「寒の入り」が始まり、昨日から真冬型の練習メニューに切り替わりました。

立冬から2ヶ月と10日ほどが過ぎ、これからの立春までが、この冬での伝統中国式の養生功で身体づくりが、継続してうまくいっていると、

もうこれから始まるインフルエンザの流行や身体の調子に不具合を起こす方々が増えていく時期に、

逆に総合的な体力、筋力の向上を感じられ、

環境は静かで、空気は一年で最も澄んできれいなので大脳の感覚も冴えていくようになります。

私達の武術活動では、技能だけでなく、そうした養生学に基づき、

更に私からの必要性を感じたので、日本医科学的観点、

年間の春夏秋冬での温度での変遷をすべて記録し記憶して、養生学との融合を行った、

独特の新養生訓を編み出しました。

そのことを以て、私自身も安定した感覚での安泰感もあり、

この3年間で、まだ日本の団体がまったく手付かずの「中国武術段位制 国際標準規定」の日本式を私達で完全にシステムを構築できたことの充実感があります。

今の段階はまだ中国上海か香港での国際武術大会か技能検定会へ赴かないと、

検定は受けられませんが、今年は中国での研修か交流を考えていて、

来年に、技能検定か国際武術大会の日程が決まったら、

段位認定試験を受けて合格出来たら、

その皆さんが先に資格を取得した私達と初代考評員になってもらって、日本版の中国段位制制度を本格的にやってみようと考えています。

ヨーロッパ武術段位制度

既に私達は香港と上海での国際武術大会で開催される中国武術段位制技能検定の普及組織、認定単位になったので、これを標準の今フィットネスクラブの指導ですべて統一して活動を3年前から始めてきました。
 
中国では国立の大学の武術学校で教授たちが検定試験を行い、1~3段までは私立の武術学校が行う単位となり、三段を合格してから次の四段、五段、六段と申請して受験していくシステムになっていて、私達は既に第1号で日本人の運営団体として外国での私立武術学校の単位での認可を受けられました。

※中国武術協会側での連携は、復旦大学武術協会、恩師 花妙林老師と上海体育学院武術学院教授の安徽省武術隊で同年の範燕美さんが担当をしてくれるようになっています。

これまでに、この関係で開催された昨年のシンガポール国際武術大会でも、とてもいい成果が出て来ていて、とても満足しています。

日本国内組織は基本的に年配者対象で体操的な感覚のところが多いので、本格的な「中国武術スタイル」の経験のない方々が運営をしていることもあり、

今後もまったく国際標準での武術スタイルを取り込むことができないようなので、

(※中国武術の用法技術での対打套路や散招技法ができなかったり、武術理論の教養、健身気功の技能、養生学を持たなくて、1人で行う決められた型(※今現在はお役御免となった旧型)での独自の判断スタイルでの太極拳や武術競技のみ)

今現在の私達の活動にとっては、逆にかえって国内にライバルがなく好都合になりました。

ある意味では、チェスでの王手を決めた「チェック・メイト」な気分です(笑)


日本の組織運営での特徴としては大体、年配者が絶対的な利権を行使する権威主義を作り上げるところは当然に「ネズミ講」式スタイルのようになっていて、

上層部は絶対的な理由で、自分達の立場より上になるものを非常に嫌う傾向があり、

私の13歳~10代からの経験を含めて、

私の中国武術キャリア34年間で身につけた能力や武術文化教養や養生学を、こうしてどんどんと広めていく活動は、

思えば確かに人によっては「厄介」で有り難迷惑に思っているところも必ずあると思います。

しかしながら、共通の知人から聞いたところによると、

ある太極拳組織の会長,理事長,事務局長が役員を兼任している県の団体が市の体育協会から補助金を不正受給:行政からの不正に助成金を受け取っていて、新聞などで告発されて処分を受けたと聞きました(しかし、国の金の横領か、何をやっているんだか・・・)

そして、私はよく指導でも皆さんに言いますが、「どの世界でも本当の実力者たちがいる世界は今の時代「ユーチューブ」に、どんなかたちでも、必ず本人のデータ映像などが上がっているはず」としています。

自分の映像も資料としてアップロードしたのは、当時の年代を入れておけば、それも一つのその時代での武術活動での証拠だという理由もあります。


しかしながら、本場中国での30年間の往来で鍛えられたそうした感覚は、

よくも悪くも日本人離れをした、中国式思考で考えたり行動する傾向があり、

何を言われてでも、妨害されてでも、むしろ逆に闘争心が湧いて来て、

それに日本はスティーブ・ジョブのような米国式を善しとしているのだから、

思い切りやって全く何も問題がないはず、と考えて、

「やったもん勝ち」を更に徹底してやりました(笑)

そしてひとつの思い出として、私が31年前の1985年の春に16歳で中国上海へ学び帰国して、当然に当時所属した全日本太極拳協会の中では評価が一気に上がりました。

たまによく聞こえてきたのは「長拳なんて飛び跳ねたりばかりで長くはできない」とか、

「長拳をやる人に太極拳はできない」とか言って来ました。

そして太極拳をやるようになっていくと、また遠くから「ああいう子が将来、ずっと太極拳とか気功とかをやっていくようになると怖いね」

その言葉を私は耳を傾けて、しっかりと聞き取り「必ずやってやる」と少年ながらに決意しました。

それから日本全国の太極拳普及団体での草分けで、最も古い老舗団体だった、全日本太極拳協会は1989年に会員たちが内部クーデターを起こして分裂し、

協会の母体そのものを崩壊させられた瞬間を目の当たりにしました。

私は1986年から協会の指導員に任命され、1987年から来日された中国老師:徐文忠老師、徐淑貞老師、穆秀傑老師、楊承冰老師、何福生老師の付き人をしながら武術を学びました。

何かしら、別に何かした訳でもなく、いつも特別な扱いをしてもらえました。

思えば協会の最期の砦を守る要員養成が、私や師兄弟の渡辺成人さんだったのでは、と今思うことがあります。

全日本太極拳協会では事務局の仕事もしていたので古くからの協会の名簿や内部資料を全部見て、理事長から知らされた事実は、

ほとんどの日本国内で今ある太極拳系組織での代表者や役員は元々「全日本太極拳協会の生徒:会員」で途中から、

その地域で分裂行動を起こして独立し、それを各地で謀反の連鎖を繰り返した結果、最終的に「母体の協会」を潰したように自分の眼から見えています。

そして今を考えると、協会の会員だった人達の下克上の結果に全国組織を簒奪したように感じました。

ある意味では私の中で恩のある「全日本太極拳協会」は今でも生きていて、まだ最後の「恩返しの為の戦い」をやって来ていた感じでした。

こうして長い期間、武術界に身を置き、師の教えを守り、活動を行ってきました。

しかしながら、言いたくなる時。

それは、中国政府関係者も言う格言で「水を飲む時に、井戸を掘った人のことを忘れるな」

があります。

それを組織内で標榜しながらでも、実際に行っていたアクションでは、

「井戸を掘った人や関係者を放逐し、井戸をゲットして、それから水の飲み放題を満喫」

こういう行動をしている彼等に感じます。

(※武術文化教養の無い怖さ・・)


この業界での人で武術キャリアでは同じぐらいで、自分が1982年に13歳で始めた当時の人たちは、

武術系では6~10歳ほど、太極拳は20年ぐらい年上の人が多かったですが、年齢は遅くから始めた人たちに共通するのは、それから、どさくさに紛れた成り上がりを図った人をこれまでにたくさん見て来ました。

時が経つにつれ、そういう利権目当ての人間たち(後輩も含む)は信用することができなくなりました。

独自のスタイルを築き始めたスタイルで20代になったら、東京武術隊を組織し、新しいメンバーは増えましたが10代から一緒にやっていた練習生はほとんどが辞めていきました。

30代では完全独立し、運命の分かれ道になったと思います。

私はフィットネス業界へスカウトされて仕事にして、更にこの20年間本当の日本社会でのニーズを求められる現場で鍛えられたことが本当に良かったと思います。


今から振り返って思い起こすと、

当時の日本の太極拳界では、まだ太極拳が楊式簡化24式ばかりで、

指導者がなく、とりあえず誰でも普及用にと、とにかく即席にでも指導者養成を方々でするようになり、

それらには、元々は日本舞踊をやっていて太極拳へ転向してきた人、社交ダンスから転向してきた人、

趣味の太極拳だったけれども、組織を仕切って役職を作り、いろいろと検定システムや評価制度を独自に構築し、それを仕事にしていった人たちが増えていました。


私や師兄弟の渡辺成人さんは共に本場中国で鍛えられ武術名家の武術家の老師の皆様に、

可愛がってもらえて、武術も細かく繊細なまでの攻防動作での技法、武術文化教養、養生学と功法、思想哲学、武術教学法、そして中国武術人士としての在り方を、

厳しく、そして時に優しく接して下さいました。

そして「ある時期」に「この業界の頂点」に差し掛かる時に、偶然のようで必然的に、

あちこちの方面から「足を引っ張られる」環境に私と渡辺さんは同時に遭遇しました。

※1999年の香港で開催された国際武術大会の時期です。

非道いのは「揚げ足をとられる」なら、自分の責任なのでいいのですが、

「揚げていない足を無理矢理に上げさせて、倒そう」とする勢力や、

来日していた在日中国人武術教師からの多大な嫌がらせ行為をも受けたことでした。


渡辺さんは現代日本社会の理不尽なシステムに失望し、日本の武術活動界も本場や国際標準とは、

まったく違ったやり方を進めていく環境に見切りをつけてオランダへ移住し、

オランダ武術界、ヨーロッパ武術界、米国武術界で活躍し、

今は台湾の伝統武術界と交流が始まり、

今年の年始は、一緒に練習して、お互いの今の技能を交流し合い、本当にいろいろと今までの出来事やこれからのことをいっぱい話し合いました。

渡辺さんも念願の映画俳優業でも活躍するようになり、夢の実現を嬉しく思っています。

彼が帰国して、私達の新年の武術活動が始まって、先週や昨日もそうですが、

活発に皆さんが活き活きと武術に打ち込む姿や、スポーツクラブでの太極拳に熱心に頑張って下さる皆さんにも

とても感銘を受けました。


思えば伝統ある日本での日本人として生まれれば、やはり、やらなければならない時があり、

とにかく粘着質なイジメをやたらと受ける「大国主命:オオクニヌシノミコト」の伝説から始まり、

平将門の乱から源平合戦、鎌倉武士の範の畠山重忠の謀殺事件、

鎌倉幕府内で、源氏から北条氏が利権を奪った権力闘争、

本能寺の変、関が原の合戦、明治維新、

年末から、同じ年の「ダニエルクレイグ007」の映画に好感を持ち、

再び、007シリーズばかりを見て思うことがありましたが、

国の為を思い仕事をする「007」だって生命を気に入らぬ敵対組織から狙われます。

世の中、そんなものなのかも知れません。


今現在の1億2700万人に人口が増えて、

マスメディア・コントロールで「白」が「黒」にすり変えられたり、

「黒」を「白」にしたりするようなことが普通になった世の中なら、

本来なら、日本武道のルーツでもある「中国武術」でも、日本にある旧世代での業界内ではいくらでも、すり変えられることは何も不思議なことでもありませんでした。


今までに負けることなくやって来て、

一心不乱になり過ぎた過程があって、振り返る余裕もありませんでしたが、

これからは、今までのやってきた積み重ねが活きてきて、

近い将来には、いいかたちでどんどんと進んでいく期待感があります。


私は山登りのハイキングが好きなのですが、

頂上に着く前が、一度大変ですが、

山頂に辿りついた爽快感は清清しく達成感を感じます。

そして山を下る時に、もう一度山頂を振り返ると、

「あんな高さまで、この足で登ったのだ・・」

と思うと感慨深く感じます。


今もまた武術活動をしている中でも、そんな所感を感じます。

そして、また新たな山の山頂を目指す、そういう連続が人間の人生だと思います。


しかしながら確実に頑張っていれば、協力者もだんだんと出て来て、

発展に繋がる頼もしさを感じると、とても有意義な感覚を得られます。


今年もまだ、始まったばかりですが、

もうこれからは、面倒な旧体制の業界での世界観や問題はすべて放棄して、

武術活動を牽引する新時代人の皆さん全員を応援しています。


明るい希望を大事に頑張りたいと思います。