今年はフィットネス業界で武術や太極拳、健身気功を広める活動を始めて満20周年になりました。

この20年の間にはいろいろな経験をさせてもらえて、とてもいい「学び」のある仕事が出来て感慨深いものがあります。

17年前にはスポーツクラブでの仕事の縁があって、通勤が面倒になったので東京を離れて横浜へ移転し、「東京都」という環境ではうまくいかなかった地域密着の活動が転居後2年間ほどでできるようになり、

今は落ち着いて日々楽しい活動を行っています。


1985年の中国、第1回目の上海体育学院の短期留学で頂いた武術班のユニフォーム。

胸に書いてあるのは「上海体院:上海体育学院の略、骨に豊は「体」の古い文字です」

※31年経ってもまだ着られます(笑)

上海体育学院ウェア


1986年の中国、安徽省武術隊で選手たちと記念写真。

1986年安徽省武術隊にて

1986年安徽省武術隊にて


そしてスポーツ・クラブ、フィットネスクラブでの指導で現在担当しているクラスは、

長いところでは、もう17年め、地元2ヶ所のクラブでは15年めに入りました。

東京を離れたことで通勤の長いところは担当を変わってもらいましたが、

皆さん元気に頑張っていらっしゃると思います。

指導現場での長い経験は本当に宝であり、現代日本社会での健康問題を直接日々にこれまで実感し、

私のできることで、可能な限り努力をしてきて、特にこの3年間ほどは日本医科学を研究した結果に、

確実な効果を上げられる動作や套路(型)を選抜し、プログラム構成も、

30分、45分、60分、90分、120分とすべての時間帯で進められるようになりました。

これからは皆様のニーズに合わせて、いろいろと展開ができたらな、と思っています。


私も今年で武術界に入って34年。

長く日本国内でのありとあらゆる武術活動界を見てきましたが、

1978年の日中国交正常化から始まり、実は日本の太極拳界では政治的な団体組織からつながりからスタートし、

現在65歳以上での団塊の世代から私たちの世代で合わせて総数が6000万人ほど最も多くの人口が影響を受けて、

カンフーブームから、太極拳ブームがあり、やがて武術競技大会が始まり、一時期は廃れかけていましたが、

また最近はリバイバル・ブームに乗って勢いが出てきた実感があります。


私は昨年に、かつての「戦後日本ノスタルジー」には別れを告げたのと同じように、

今年からは、日本の「中国武術的ノスタルジー」式スタイルにも別れを告げて、
 
温故知新、私の師や中国やオランダにいる武術師兄弟たちとの連携を大事にしながら、

新時代の武術活動界を「横浜」を拠点に、盛り上げていきたいと思います。


安徽省武術隊の名将「賈平:Jia ping」さん(現安徽省武術協会 委員)

かへいさんと共に


復旦大学武術協会 恩師「花妙林老師」 若き「韋剣老師」

花妙林老師と韋剣老師

みんなで記念写真


上海の総合太極拳「龍身蛇形太極拳」創始 瞿栄良老師

瞿荣良 老師と共に


安徽省武術隊 女子隊のエースだった同じ年の「範燕美さん」(現上海体育学院 武術学院 教授)

上海体育学院武術ツアー5


昨年シンガポール国際武術大会で審判員を担当していたことで再会した、

安徽省武術隊では、まだとても小さな女の子だった「張亜涼」さん

張亜涼


昨年2015年は全体的にレベルアップがあり、

今後はこれからの10年、20年を、

本場中国や、明るい国際武術界スタイルの日本での実現を、私達から率先して頑張ってやっていきたいと思います。

今のペースで頑張れば、早ければ来年の再び2024年のオリンピック項目化へのムーブメントと一緒に盛り上げて、

フィットネスクラブの運営会社や新たなサポートをしてくれる皆さんと頑張れば、

2024年のオリンピック項目化は欧州か米国での実現となれば、

体操やフィギュア・スケートのように海外での国際大会で予選が開催されるようになり、多くの選手に可能性が生まれていくので、

現在の日本国内によくあるような組織、選手、コーチ、審判員の癒着などの問題は解消されていくので普及の広まりに期待できると思います。

そしてオリンピック項目化が成功すれば、ようやく今ひとつだった短期間で作り上げた日本式の日本国内の一組織体でしか通じないスタイルは、頭打ちになり、

日本国内での正しい本場の中国武術スタイルや国際標準システムでの広がりに大きな発展があると思います。

そうなると、もういち早く完全に普及スタイルを確立出来た私達には大きなチャンスになるでしょう。

今後は若い選手育成や、太極拳拳士、健身気功功士のレベルアップを図り、

新しい時代の国際交流も含めて明るく楽しく、元気に頑張っていきたいと思います。