先週の水曜日は2015年12月30日、今日は2016年1月6日。
年末年始を挟んでの1週間でした。
この1週間は本当に充実した素晴らしい年頭所感を感じられました。
1日は実家府中で家族と過ごし、2日は私の武術師兄弟の渡辺成人さんの6年ぶりの欧州、オランダからの帰国があり、上野のアメ横でのショッピングを案内し、
3日は、32年前の1984年に私が15歳、渡辺さんが16歳で、
当時は日本国内の老舗で有名な全日本太極拳協会、東京太極学院での「プロフェッショナル育成」での指導を数々の中国人老師を招聘して行っていた日本武道館の地下にある道場で学び、その周辺の公園で平日はずっと仲間が自主的に集まって練習をしていた「原点の地」を訪れて、
新しい夢に向ってのスタートで、2人で思い出の場所から、武術の初稽古をしようと日本武道館へ行きました。
その後1985年に私がひと足先に上海で武術を学びに入り、それから翌年の1986年に2人だけで初めての短期武術留学をして、1987年から渡辺さんは復旦大学、武術隊へと長期留学へ入りました。
私は経済的な理由から、毎年での1~2ヶ月での短期留学を繰り返し、中国を訪れた時は、いつも彼の寮へいきなりサプライズ訪問したりして、楽しんでいました(笑)
(左が私、右は渡辺さん)


そこで、思い出の初稽古の準備をしようと思ったら、目の前に「運動禁止」
の文字がありました(笑)


おおよそ、そんなことを予測していたので、昨年から野外練習交流会で利用している公園へすぐに移動して練習を開始しました。
2人で練習をするのは6年ぶりで、2011年の大震災があって、ヨーロッパでは、当時は大きく深刻で重大なニュースとして報道され、
ずっと帰国ができない、と思っていたそうです。
しかしながら最近の日本観光ブームは中国人だけでなく、ヨーロッパからでも人気が出て来て、今年は年末年始を日本で過ごそうと奥さんと息子さんと一緒に帰国されました。
常日常、互いに電話やメールで頻繁に連絡を取って、本場中国武術界での実業トレンドや方向性、
中国の政財界の動向、国際情勢での流れなど、常に互いの正直な感想をやりとりして、
実は性格的な考え方が全く違っていて、いつもスムーズに一致することは先ず ないのですが(笑)
相互の信頼感から、違う意見でも、よくある中国人的思考感覚な「それぞれの考え方のひとつ」を理解し合っていることで、
両面の視点からでの応用力を身に付けられることが、いつしか普通になり、
中国や中国武術界、そして普通の日本人には知ることのできない「中国人的視点」や「思考」を、
分析して、意見交換をたくさんするのが日常的になりました。
それぞれの武術活動での感覚は何時でも何処か異なっていても、常に連携をしています。
渡辺成人さんの「酔拳」
私の「酔拳」
正面、審判席で座っている2人での右側は、先月87歳で他界された神拳大龍「蔡龍雲」老師
1993年に一緒に行った、エキシビジョン演武
先頭の左側、赤服が私 後列、黄色の服が渡辺さん
私の野外太極拳での普及活動で13年前に作った自主制作映像(笑)
それはここ数年で経済発展をした中国に感心を持って研究をするようになった学者や報道関係者には、
誰も、想像もできない、互いの発展のための国際的な「ヒント」を持つことが出来て、
この感覚は、今や「無形財産」のように感じることがあります。
そのことが、ここ数年は国際政財界のリーダーシップの変遷で、
日本国内の政財界も欧米側の味方での立場にあることで、
中国へのネガティブキャンペーン報道が流され続けていましたが、
こうして今の状況を見ると、
この3年間は特に、今後の将来への展望でのシステム準備形態において、
私たちのように直接交流で貴重なシステム構築を適確に行えたところと、
今から何か準備を始めなきゃ、というプロセスとでは、
かなりの差をつけることが出来て、
共にいい仕事が出来たと思っています。
昨日5日は、渡辺さんの日本での正月を過ごすのは「24年ぶり」ということで、
初詣めぐりをしよう、ということになり、
浅草、浅草寺から、また上野で買い物、それから徒歩で、湯島天神~神田明神~湯島聖堂~思い出ある、水道橋~神保町まで歩いて東京散策を楽しんで、
最後の晩餐は、和食を一緒に楽しみました。
そして、6日今朝の飛行機で、香港~オランダへ帰国されました。
今年のスタートを思うと、まったく今までにない新しい感覚です。
何かしら、新年初めに全部が全部楽しく語り合い、
武術の稽古も既に行い、4日はスポーツクラブ指導での仕事初め。
本格的な2016年のスタート前に、
素晴らしい贈り物を頂いた感じです。
現代日本社会での問題には、今「無縁社会」とか謂われ、人々相互の不信感があるのは普通になり、
その根幹の原因や不本意さや理由は、もう全て理解しています。
私達は、国との距離は離れていても長き32年間の「武術師兄弟」の縁、「盟友」でずっと繋がっています。
そうした、多くの現代日本社会人の知らない、
長く有意義で楽しい縁を、互いに鍛えられた本場中国、
私の創設した横浜での武術活動、すべてをリンクして繋がっていて、
とても大きな安心感を感じています。
やはり、そこまでは継続した「時間」と「努力」すなわち、それが「功夫:カンフー」の本質だと実践から理解します。
僕らは昨日、それも「ひとつの悟り、と呼ぶのかな・・」
そんな会話のやりとりがありました・・・
今年2016年、始動。
思ったことは「夢は成長する・・・」
感謝。

年末年始を挟んでの1週間でした。
この1週間は本当に充実した素晴らしい年頭所感を感じられました。
1日は実家府中で家族と過ごし、2日は私の武術師兄弟の渡辺成人さんの6年ぶりの欧州、オランダからの帰国があり、上野のアメ横でのショッピングを案内し、
3日は、32年前の1984年に私が15歳、渡辺さんが16歳で、
当時は日本国内の老舗で有名な全日本太極拳協会、東京太極学院での「プロフェッショナル育成」での指導を数々の中国人老師を招聘して行っていた日本武道館の地下にある道場で学び、その周辺の公園で平日はずっと仲間が自主的に集まって練習をしていた「原点の地」を訪れて、
新しい夢に向ってのスタートで、2人で思い出の場所から、武術の初稽古をしようと日本武道館へ行きました。
その後1985年に私がひと足先に上海で武術を学びに入り、それから翌年の1986年に2人だけで初めての短期武術留学をして、1987年から渡辺さんは復旦大学、武術隊へと長期留学へ入りました。
私は経済的な理由から、毎年での1~2ヶ月での短期留学を繰り返し、中国を訪れた時は、いつも彼の寮へいきなりサプライズ訪問したりして、楽しんでいました(笑)
(左が私、右は渡辺さん)


そこで、思い出の初稽古の準備をしようと思ったら、目の前に「運動禁止」
の文字がありました(笑)


おおよそ、そんなことを予測していたので、昨年から野外練習交流会で利用している公園へすぐに移動して練習を開始しました。
2人で練習をするのは6年ぶりで、2011年の大震災があって、ヨーロッパでは、当時は大きく深刻で重大なニュースとして報道され、
ずっと帰国ができない、と思っていたそうです。
しかしながら最近の日本観光ブームは中国人だけでなく、ヨーロッパからでも人気が出て来て、今年は年末年始を日本で過ごそうと奥さんと息子さんと一緒に帰国されました。
常日常、互いに電話やメールで頻繁に連絡を取って、本場中国武術界での実業トレンドや方向性、
中国の政財界の動向、国際情勢での流れなど、常に互いの正直な感想をやりとりして、
実は性格的な考え方が全く違っていて、いつもスムーズに一致することは先ず ないのですが(笑)
相互の信頼感から、違う意見でも、よくある中国人的思考感覚な「それぞれの考え方のひとつ」を理解し合っていることで、
両面の視点からでの応用力を身に付けられることが、いつしか普通になり、
中国や中国武術界、そして普通の日本人には知ることのできない「中国人的視点」や「思考」を、
分析して、意見交換をたくさんするのが日常的になりました。
それぞれの武術活動での感覚は何時でも何処か異なっていても、常に連携をしています。
渡辺成人さんの「酔拳」
私の「酔拳」
正面、審判席で座っている2人での右側は、先月87歳で他界された神拳大龍「蔡龍雲」老師
1993年に一緒に行った、エキシビジョン演武
先頭の左側、赤服が私 後列、黄色の服が渡辺さん
私の野外太極拳での普及活動で13年前に作った自主制作映像(笑)
それはここ数年で経済発展をした中国に感心を持って研究をするようになった学者や報道関係者には、
誰も、想像もできない、互いの発展のための国際的な「ヒント」を持つことが出来て、
この感覚は、今や「無形財産」のように感じることがあります。
そのことが、ここ数年は国際政財界のリーダーシップの変遷で、
日本国内の政財界も欧米側の味方での立場にあることで、
中国へのネガティブキャンペーン報道が流され続けていましたが、
こうして今の状況を見ると、
この3年間は特に、今後の将来への展望でのシステム準備形態において、
私たちのように直接交流で貴重なシステム構築を適確に行えたところと、
今から何か準備を始めなきゃ、というプロセスとでは、
かなりの差をつけることが出来て、
共にいい仕事が出来たと思っています。
昨日5日は、渡辺さんの日本での正月を過ごすのは「24年ぶり」ということで、
初詣めぐりをしよう、ということになり、
浅草、浅草寺から、また上野で買い物、それから徒歩で、湯島天神~神田明神~湯島聖堂~思い出ある、水道橋~神保町まで歩いて東京散策を楽しんで、
最後の晩餐は、和食を一緒に楽しみました。
そして、6日今朝の飛行機で、香港~オランダへ帰国されました。
今年のスタートを思うと、まったく今までにない新しい感覚です。
何かしら、新年初めに全部が全部楽しく語り合い、
武術の稽古も既に行い、4日はスポーツクラブ指導での仕事初め。
本格的な2016年のスタート前に、
素晴らしい贈り物を頂いた感じです。
現代日本社会での問題には、今「無縁社会」とか謂われ、人々相互の不信感があるのは普通になり、
その根幹の原因や不本意さや理由は、もう全て理解しています。
私達は、国との距離は離れていても長き32年間の「武術師兄弟」の縁、「盟友」でずっと繋がっています。
そうした、多くの現代日本社会人の知らない、
長く有意義で楽しい縁を、互いに鍛えられた本場中国、
私の創設した横浜での武術活動、すべてをリンクして繋がっていて、
とても大きな安心感を感じています。
やはり、そこまでは継続した「時間」と「努力」すなわち、それが「功夫:カンフー」の本質だと実践から理解します。
僕らは昨日、それも「ひとつの悟り、と呼ぶのかな・・」
そんな会話のやりとりがありました・・・
今年2016年、始動。
思ったことは「夢は成長する・・・」
感謝。
