今回の亳州市華侘五禽戯訪問団の来日には、私個人的に感じるのは歴史的な記念になりました。

五禽戯訪問団の皆さんの来日の連絡を聞いて、事前に京丹後市のことを、いくつか自分で調べました。

やはり一番驚いたことは、大和朝廷成立以前にあった「丹後王国」のこと、そして京丹後市の地元に伝わる歴史的民話の数々でした。

そして今回は京丹後市の観光関連の紹介もあって「丹後七姫伝説」を知りました。

丹後七姫伝説は「羽衣伝説の美女:羽衣天女」「浦島太郎伝説の姫:乙姫」「聖徳太子の母:穴穂部間人皇女」「美しき歌人:小野小町」「源義経の愛した女性:静御前」「奥州国領主の姫:安寿姫」「明智光秀の娘:細川ガラシャ」の七人です。

私はこうした亳州との関係があって、そこから日本の考古学にとても興味を持つようになり、普段からいろいろと何かインスピレーションが働いた時に、よく調べています。

今回は初日に大阪の関西国際空港で京丹後市役所の健康長寿福祉課の次長さんとお会いし、先生方を待っている時間や、大阪から京丹後市峰山までの今年7月に開通したばかりの京都縦環高速道路を観光バスで京都の景観を見ながら、いろいろと多くを解説して下さいました。

(京都は市外から水田が広がり、京丹後へは棚田となって続きます)

車窓からの京丹後

(遠くに見えた天橋立)

車窓からの京丹後2

(古え京都の奥の院かと感じた山、海、川に恵まれた京丹後市)

車窓からの京丹後3


そこで知った多くは古代日本と古代中国と関係が深く繋がっている事実と、

私たち関東人が知らされている歴史認識の内容は、考古学の持論では主に東京大学系出身学者の方々から発しているものであること、ということでした。

私が学校教育などで教えられた日本の歴史の多くは常に東海道沿いにまつわるものばかりでしたが、

今回の訪問で内容の深さから知ると「日本海側」の長く深い歴史の知らされることのない「事実」に驚きましたが、逆にそちらの方が確信が高いことを感じました。

(※今考えると、現代日本社会の中でも似たようなものは実際に多いです)

思い起こすと、私と安徽省武術界、亳州市五禽戯との出会いから8年前に始まった古都:亳州市での伝統華侘五禽戯との交流活動で感覚的に理解したのは、後輩の後に先輩がないように、

あるいは、子供からお母さんが生まれることはなく、お母さんからお婆さんが生まれることがないように、

歴史の古さは時間の幅の深さや、実際に地域に深く多く広まっている史実の残っている地域が確実だと思っています。

今回から始まった三国史、魏の武帝「曹操」、神医「華侘」、老荘思想「老子」と「荘子」の故郷亳州市と、

丹後王国の京丹後市には魏の時代にあった鏡が出土され、徐福の上陸の地があり、非常に多くの古墳と遺跡が確認され、

三国史の魏国の史書である一部分を私たちが呼んで「魏志倭人伝」邪馬台国論争に認識されている但馬地域との関係。

更に驚いたのは日本に伝わる最古の医学書「医心方」は京都仁和寺の所蔵で、

それは、平安時代の宮中医官である鍼博士・丹波康頼の著述で彼の出身地は、丹後王国を構成した「丹後」「丹波」「但馬」の「丹波」の人物であることでした。

丹波康頼

そして私が日本国内に著述のある伝統中国医学で最初に研究した養生訓の貝原益軒は九州博多の人ですが京都で医学を学び、そして次に研究したのが丹波康頼の医心方でした。

更に意外に感じたのは鎌倉時代の牛若丸:源義経と静御前、江ノ島神社、竜宮伝説に関する「乙姫」

何か今リアルタイムで、時代の流れがある中で私も長き歴史の深き一部分との結びつきの「縁」に呼び起こされた、そんな感覚がずっと続いています・・