小机城址


今年は夏の終わりから仲秋まで、天気も不安定で世の政にも大きな不信感の爆発も起こり、ようやく秋半ばで自然も安定して来ました。

13歳で武術の道を志して33年が経ち、秋も深まるこうした時候に過去に思いを馳せることがよくあります。

私は中国人ではなく、中国系の血筋とも全く無縁で、今考えると歴史長き伝統中国文化を自身に取り込み、伝統日本文化にない自発的活性化の出来る体育的「養生」や中国医学文化を得ることで生涯に安心できる境遇を構築できることを最大目標にしていたように感じます。

それが10代後半の1989年頃に顕著に意識へ表れていたように思います。

当時は今よりも武術熱が盛んで、私の世代の人間も武術へ打ち込んでいた人も多くありました。

それが5年、10年、20数年と経ち、趣味の延長で副業的にしている人達は居残りましたが専門に身を賭して「武術」の道へ進み研鑽した人は本当に少数だけになりました。

こうして長く時間が過ぎると、芸事というのは、そういうものなのだと実感します。

日本国内で好まれる名称で「功夫:カンフー」という単語は「時間、能力、腕前」という意味で用います。

「時間」を費やし、「能力」が向上し、「腕前」も可能な限り身に着けられる、ということは正しいと思います。

私自身の所感で、この30数年の日本国内の状況や、何度も往来を続けた中国の状況、国際環境を眺めてみると、

全体的に、政財界の人間たちも含めて「何をやるべきか、解っていない人達」は圧倒的多数であり、それが普通のように感じます。

私が、武術の道で、自発的に学び取った感覚では、

必ず、いつも「やるべきこと」が見えてくる、というものでした。

二十四節季養生では1年12ヶ月間の中で、月の満ち欠け約15日ずつ春夏秋冬と健全な心身の積極的健康管理に役立てられ、

それらを知られぬ人々の中へ入り、健身気功や太極拳を通じた有益な感覚と時間の過ごし方を教えることが仕事となり、

武術では「健身」「防身」「修身」を、より活発に武術活動を行いたい皆さんに指導し、共に快適で楽しい時間を実感できるようになります。

私以前の方々で「今の私のような武術活動」をする日本人には会ったことがないので、私は第1号なのだろう、そんなことを最近よく感じます。

日本国内には、かつて中国武術系で「いろいろな人」がいましたが、これからは自然淘汰の時代がやってきた感を思います。

そうなると、今までにあった自分の疑問もなくなり、これからやって来る雁行型で飛ぶ渡り鳥たちの先頭に立って飛ぶ者の気持ちが判ります。

そして更に最近感じたことは、日本国内の一般生活リズムというものがあり、中国のものとは当然異なり、中国の方が日本に来ても、それらは理解もできるはずがなく、

そうした面でも今後は「オリジナル日本システム」の展開をしていくことが、より良い発展になっていくだろうと感じました。

例えば、昨日は午前中は雨天のために野外太極拳は行えませんでしたが、午後の武術の練習活動では、

「短打:散手攻防技術」の指導を本格的にやりました。

最近はこの夏にあったオリンピック・ムーブメントの効果もあって、熱心な男性の若者たちが練習活動に参加する人が増えました。

この夏はシンガポール国際大会での競技用練習の武術隊での指導と武術班の両面の同時指導が重なり、大会後は年に一度の私たちの演武会とハードスケジュールでした。

そのこともあって、昨日は武術の用法、応用技術の練習に力を入れました。

やはり武術は「武術」であって、相手が拳で打つには、どう応じるか、相手が脚で蹴ってくる場合は、どう受けるか、相手の隙を見つけ関節技で、どう封じるかという実践での攻防技能はとても重要です。

私は自分の経歴で考えたことは、先ず初心者は自分の手足のコントロールをすることを知り、套路での記憶術、正確な技を行えること、

それらができるようになった人から対打、析招の「攻防技術」の練習をするようにしています。

昨日は新しく入ったメンバーたちに指導をしたところ、熱心に打ち込んでいました。

そして後半は更に意識が高まったところで再度、套路練習にも気持ちが技に籠っていました。

今年はひと先ず2020年東京五輪でのムーブメントも落ち着いたこともあって、2012年から始めた「中国武術総合」としての活動の第2期へ入った感覚を思いました。

この秋冬は、いつも通りに各自にあったレベルでの段位制套路、短打:散手攻防技術、短兵を合わせた練習で、

「練打結合」を重要視して行っていきたいと思います。


昨日の帰りに、皆さんの自信の付いた表情が印象的だった気がしました。

「少年よ大志を抱け」

そう思っています。