1989年 


今年は30年前の1985年に上海を訪れ、徐文忠老師に伝統的功夫を学び、上海体育学院にて今現在は世界標準になる「武術:WUSHU」を学びました。

その後に翌年1986年、1989年と中国へ行き、それから今までに長く続く学びと厳しい訓練:修業を経て、

腕試しでもある競技大会も1989年の時は復旦大学武術協会の花妙林老師との縁から上海市大学武術大会に飛び入りエントリーをして、1998年からは多くの国際大会を経験して来ました。

1990年 


やはり私の武術生涯で、一番大きな影響を与えたのは「安徽省武術隊」でした。

これは1989年の3月~4月上旬まで2回目の短期留学で鍛えられた時の映像。


この時は世代交代が始まり、チーム内の年長者が、私の一つ上の「呉雲峰」

同い年で2010年の香港で再会した「栄軍」今日本の広島にいる「王輝」

安徽省武術隊 1986年


この映像も日本ではあまり知られていないけれど、国際套路第2刀術のモデルを担当した「陸松庭」




1997年の女子太極拳覇者「范雪萍」

1998年の大会

北京に行って出世した「行龍宝」




真摯で真面目で、根性あって素晴らしい姉御になった「李莉」

今年の8月にシンガポールで再会した おしんこと「張亜涼」

赤服で大声で、やんちゃで暴れん坊の「路河山」

青服青ズボン、剣術も長拳も賈平さんのいいスタイルを受け継ぎながらも上海体育学院へ進学してから、何故か武術を離れてしまった仲の良かった「蒋峰」





この映像は当時の8mmビデオカメラを中国へ持ち込んで私が撮った記録です。

安徽の後に出て来る「37:20~」は、1988年の秋の私たち全日本太極拳協会時代に創設した東京武術隊での練習の模様。

「青いシャツ、赤ズボンが当時19歳の自分の自選長拳での練習:分段」

※今この映像を見ると、当時の練習内容、青春のたくさんの思い出の数々、ありとあらゆるものは今でも鮮明に憶えています。

楊

安徽省武術隊の仲間たち 



2015年10月、今振り返ってみると、

30年前の1985年の春、3~4月に上海で学び、帰国すると協会では河南省武術代表団を招いていて、そのまま上海から帰国後に合流し、

それから杜進老師は「武術隊構想」を練り上げていたようで、そこから「東京武術隊」は始まったように感じています。
 
そして5月~6月に徐文忠老師、張品元老師、馮正宝老師が初来日されました。

ここで杜進老師は本格的に伝統中国武術の礎の基にある「武術隊」を創設したように感じました。

私はここで直接、多くの徐老師の多くの功績について学び、後に翌年1986年に来日された徐淑貞老師に学び、1986年~1988年の間に3度招聘し来日された高級教練、楊承冰老師が、

私に多くの武術界:武林界の練功への心得、練習内容、大らかな武術精神的な面を含めて「安徽省武術隊」メソッドを私に教授して下さったことを実感し感謝します。


こうして長い時間を振り返れば、

武術人生というのは、やはり「紆余曲折」「山あり谷あり」

「自然淘汰」「時間」という試練に誰もが鍛えられます。


私も思えば「安徽省武術隊」という「位階」を授けられ、全日本太極拳協会時代、東京中国武術協会時代、横浜武術院、

そして最も今が完全に、何も干渉なく、自由自在にすべてを完全確立できた時代、という時の流れに「功夫:時間、腕前、能力」を振り返ります。


今は、近代化してしまって、私が鍛えられ、懐かしい光景もなくなってしまいましたが、我が母校でもある「安徽省体育運動学校 武術一大工作隊」よ、永遠に。

太多的感謝!

1986年 上海


1989年当時の上海、外灘。

※この何もない左側が、今現在に国際アジアの金融センターで森ビル上海タワーと東方明珠タワーの並ぶ浦東地区(爆笑)