
気付けば季節は秋、今日は太陰暦では八月六日、9日後が仲秋の名月。
この夏を振り返れば、今年は5月末頃に最高気温30℃の日が続いたかと思うと6月は雨続き、
7月初旬で梅雨明け以降は35℃ほどの猛暑日ばかりが多くなり、
8月の下旬に雨降りがまた続き、夏の名残りを感じる間もなく、いきなり肌寒くなり、
不自然な台風の連続がやって来て、この時勢の不安定な天候になりました。
世の中全体も不安定で、日本国内は思想的:思考的な分裂状態が続き、
人々は「何が何で、何が起きているのか」が判らないまま時間が過ぎていくように見えています。
こうした時は、私は冷静に綿密に世相を見ることにしています。
「無為自然」を説く、老子 養身第二
天下皆知美之爲美。斯惡已。皆知善之爲善。斯不善已。故有無相生、難易相成、長短相形、高下相傾、音聲相和、前後相隨。是以聖人、處無爲之事、行不言之教。萬物作焉而不辭、生而不有、爲而不恃、功成而弗居。夫唯弗居、是以不去。
天下みな美の美たるを知る。これ悪なり。みな善の善たるを知る。これ不善なり。故に有無相生じ、難易相成り、長短相形し、高下相傾き、音声相和し、前後相随う。
ここをもって聖人は、無為の事に処り、不言の教を行なう。万物作りて辞せず、生じて有せず、なして恃まず、功成りて居らず。それただ居らず、ここをもって去らず。
「天下の人たちは皆、美が何であるか知っているが、それだけではいけない。美の裏には醜があるのだ。皆は善がどういうものか知っているが、それだけではいけない。
裏には不善があるのだ。このように有無はともにあり、長短、高下、音声、前後といった具合に、すべてに相対的なものがある。だから道の教えを体得した聖人は、事を為すに当たって何もせず、何も言わない。
道は万物を生むが、それを誇りに言わず、それが育ってもそれを自分のものとしない。それを頼りにすることもなく、成功すれば、いつまでもその場にいない」。
今世界では歴史的な「地政学」上での大きな変動が始まって、しかしそれはもう昨年の今頃から始まっていました。
ヨーロッパでの移民のことも無関係ではありません。
今リアルタイムで始まっている国連70周年総会でも、もうこれからの世界の流れは議論されています。
何事も、いい仕事をするには「いい段取り」が必要で、世の中が今混乱しているのを見て、
私自身は「なるべくしてなった」ものと感じています。
個人的所感として、今感じることは、自分の人生への責任と信念を持ち、世相に揺るがず、
行くべき道だけを歩んで来て、
今の世の中や人々を見ていると、
誰の人生に生きているのか、誰のための責任と信念なのだろうか、
世相に常に揺さぶられ、
人が人を不信に思い、あちこちで糾弾に応じた糾弾ばかりが繰り返されています。
誰もが「有為不自然」
今見えている光景の日本が、戦後築いた本当の姿に見えています。
私は敢えて「無為自然」の道を行く。