山道3

小泉 八雲(こいずみ やくも、1850年6月27日 - 1904年(明治37年)9月26日)は、ギリシャ出身の新聞記者(探訪記者)、紀行文作家、随筆家、小説家、日本研究家、日本民俗学者。




長く日本に滞在して帰化したイギリス出身の文学者であるラフカディオ・ハーン 小泉八雲は、「日本人の微笑」という随筆で次のようにのべている。


「日本人は、死に臨んでも莞爾としてほほえむことができるし、平素もそれをしている。

……その微笑には、反抗もなければ見せかけの偽善もない。

かといって、よく性格の弱さを連想しがちなあの病的な諦めの微笑と混同してもならない。それは丹精こめて長い間に育成された一つの方法なのである。口にだしていわない言語なのである。そういうものを、西洋流の顔の表情の考え方でいくら解釈 しようたって……まず成功はおぼつかない。……

日本人の微笑から受ける第一印象 は……まず、たいていの場合、すばらしく愉快なのが通例 である。日本人の微笑は、最初はひどく魅力的なのだ。それが見る人に、へんだなと首を傾がせるようになるのは、よほど後になってからのことで、同じ微笑を常とはちがう場合に――たとえば、苦しいときとか、恥かしいときとか、がっかりした時とかに見せられると、はじめは何だか妙てけれんな心持になってくるのである。場合によって、あんまりその場に似つかわしくない笑顔などを見せられれば、虫の居所で、腹が立ってくる時だってあるだろう。……

日本人の微笑を理解するには、日本古来 の国民本来の生活というものに、少々 足を踏み入れてみなければならない。……

微笑は、お辞儀をしたり、両手をついて挨拶したりするのと同じように、小さいころから両親に教えこまれる。……笑顔は、目上にものを言う時でも、対等の相手と話をする時でも、愉快な場合はもちろんのこと、愉快でない場合にも用いられる。だれにとっても一番愛想のいい顔は笑顔なんだから、できるだけ愛想のいい笑顔を、両親、身内の者、先生、友達、そのほか好意を持ってくれている人にむかっていつも見せる。――これが生活の掟になっているのだ。

……心は千々に乱れているようなときでも、顔には凛とした笑顔をたたえているというのが、社交上の義務なのである。」