
ようやく最近に日本国内において中国武術への関心が高くなってきて嬉しく思います。
これから日本全体でも大きなムーブメントになっていくことを期待しています。
そこで今回のムーブメントをきっかけにして、多々ある日本国内での中国武術系項目を、本場中国での「中国武術項目での分類について」を記述したいと思います。
これらは普通の武術界では一般常識ですが、日本は楊式簡化24式太極拳から始まったアマチュア・スポーツ的組織が、時間が経つにつれて付け足し、付け足しでやってきたことが、もう限界にきている感を思います。
各個人個人意識で活動される面について、と正しい武術教養とは一線を画して、早ければ来年の9月以降は大変になると思うので、すべての中国武術項目に通じるはずである武術理論を紹介したいと思います。
十八般武芸
日本で馴染みの言葉には「武芸十八般」と呼んでいますが、中国では十八般武芸の順です。
これは「拍打:徒手」+十七種(数々ある技能)の武芸をいいます。
拍打の分類
「拍打」の技術特色は少林・武当・峨媚 南拳北腿など様々にあります。
その技術は、
・拳/掌で打つ。
・脚で蹴る。
・引っ掛け、抛り出す。
・関節を手/指で極める。
・肩や腰でぶつかる。
・投げられ、受身を図る。
に分かれています。
中国武術段位制での技能評価制度は、各自の保持する技能をこの範疇で評価を裁定されるシステムになっています。
内功:内家拳、太極拳、武当拳、八卦掌、形意拳
外功:外家拳、少林拳
各種器械:兵器を使って格闘技術を意識して行える方法である。
・長兵:棍、槍
・短兵:刀、剣
・長器械:身長より高いもの
・短器械:身長より低いもの
・単器械:大刀、撲刀、長穂剣
・双器械:双刀、双剣、双匕首、双鉤
・軟器械:九節鞭 三節棍 縄標
かつての中国武術界では、互いに実際に闘い、実戦し 打ち合うことは、双方によっぽどの話し合いや文化的処理ができなくなった場合に、大勢の人を証人として集めて勝負を決することが清朝~近代までは多くありました。
しかし、「武術」の「武」という概念は、そもそも平和を願うためのものであり、「弋」を「止める」のがその存在である。孫子の兵法にある通り、最上のものは「非戦:戦わないこと」です。
これらは日本の「武道精神」とも一致し、武技を高め、修めながらも「戦うその時」がこないことが最も良いことだと考えるものであります。
そこで近現代では、観摩交流大会・比賽(競技会)などによって単練や対練、集体などの「比武」を行うのが、一般的な中国武術の慣例になり、競賽(競技会)では自選、規定、其の他の項目として分かれています。
つまりはここ十数年の間に中国武術を西洋格闘技的観点からしか見られない方々が多くなりましたが、中国武術界はよく映画で描かれている戦いに戦いが続く時代が多くあり、
そのことの反省から、実戦になる場合をほとんどそうならないように互いの持つ技を演じ「比武」によって相互の技能レベルを発揮して、自身の能力を知らしめたり、他人を知ったりするようになったのです。
ですから本来は、必ず実戦技能を持ち、その技を高め、各自で更にその効力を上げていくために套路運動が発展し、それがスポーツ化されて今日にきています。
しかしながら現代日本社会には多種多様からくる、複雑な問題が日本国内の武術界にはあり、それが運営組織の指導部たちの経験や考え方などの影響もあって、
本来はシンプルであった「武術:WUSHU」が理解しにくい複雑なものにしてしまったことは北東アジアにおける伝統日本の位置からすると皮肉に感じます(やはり多くの指導者たちは、理解が人々に進んでいない、って言いますか!?)
現代中国の武術界では、日本では全く知られていませんが、全部に全部が整理され、現在では医科学的側面への理解を含めての分類がしっかりしています。
日本国内においてでは、はっきり言ってしまえば「指導者」と「運営組織」の有する「武術教養」の知性と技芸の有無がかなり関係していることを確信しています。
今後は半可通のものと、しっかりしたものとの区分の自然淘汰の起きる時代が必ずやって来るので、多くの皆さんはチェック機能をしっかりと働かせて「半可通」のものに洗脳されないことを願っています。
先日シンガポール国際武術大会を終えて帰国しましたが、上海でも香港でも、どこでも項目の分類は中国本土では統一されていて、世界中でも、その基準を踏襲して広められています。
そのために現代的「比武」の中国武術大会の項目では、
拳術(長拳、南拳、太極拳)と先ず分類され、
更に伝統項目、普及規定項目、自選項目とあり、大会毎にどこに重視されるかで内容も変わります。
※日本国内の武術普及の一番の問題点は、ずっと「規定項目」内の中の世界観だけで一部の中国式の考え方を取り入れてからの「日本式」を作り出し、
そこに基準を置いて周りを分類し、気に要らないと排除するような傾向があり、そのことが多くの複雑さや判りにくさ、あるいは捏造的を増加させてしまったことがすべての原因です。
(※それを更に無知なテレビ番組の解説者が、的外れなコメントをすることで、より解りにくいことになっています・・・すべては無知が問題を作り出す)
おそらくオリンピック項目化の実現があって、多くがここに判りにくい世界観の問題は何か、とその責務について気付くきっかけになるので「リセット化」としては最高の機会になると思い期待しています。
短器械(刀、剣)長器械(棍、槍)
伝統拳術
一類、形意拳、八卦掌、八極拳、心意六合拳など、力強い力量配分の類が同じ項目
二類、通臂拳、翻子拳、戳脚、壁掛掌など、鋭くしなやかな技法の項目
三類、象形拳、猿拳、蟷螂拳、虎拳、蛇拳、鷹爪拳など、動物類の動きを模倣した武術
四類、査拳、華拳、花拳、紅拳、洪拳など伝統少林拳系、武当拳系項目、
福建、広東、四川地方の伝統南拳、六合八法拳
伝統器械
単器械:大刀、撲刀、長穂剣、猴棍など
双器械:双刀、双剣、双匕首、双鉤など、両手に持つ武器術
軟器械:九節鞭 三節棍 縄標、牧羊鞭など、軟らかい動きを制御する器械術
対練
二人対練:2人で行う、徒手あるいは器械を使った格闘技術と用法の実技の演武
三人対練:2人で行う、徒手あるいは器械を使った格闘技術と用法の実技の演武
集体(集団)
6人、8人から、10~20人、多いものでは数百人の演武
散打:自由に突き蹴り、投げ技を相互に勝負をつけるように行うスポーツ競技
こうした正しい中国武術界での分類を見てみれば、各々の「知性:知っていること」や「技能:できること」の水準や範疇が理解でき、競技会では何を、どのように評価をしているのか、が判明すると思います。
中国武術項目の競技会が、これだけの数がある理由や意味というのは、13億5千万人いる中国では誰でも何時でもチャンスがあり、その能力を認めて評価している、という意味で、
多くの能力を身につけられることを「全能」や「完美」といってオールラウンド・プレイヤーという存在で、逆に一つの項目すら中途半端こそが、その反対で「自ずから能力不足」だということを自ずから証明しています。
そうしてみれば、日本国内での武術界は、どこで、誰が、何を、間違えたかが、認知症の多いのが普通世間の一般常識になりつつある今現在で、
明晰で正確な、記憶力での能力が明確であることから、
理解でき、即実践していく人達が、これから新しく増えていけば確実に日本の武術界はレベルが上がり、盛り上がっていくと思います。
今の日本に全体的に必要なのは、
発展のない古くなった悪弊を取り除き、繁栄ある明るく新しい感覚で、全世代に誰でもチャンスがもたらされる武術世界を築こうではありませんか!