2014上海 和平飯店


横浜と上海は友好都市でもあることから、横浜で地域密着型での活動を始めて14年、

ここ最近の中国武術ムーブメントがようやく序々に大きくなって来た実感を思います。


人間、それぞれに主観的な思いはあるだろうし、そこから抜け出て、自身を客観視して自分以外の人間からの批評を受けたりしていくうちに人間は努力を重ね「自分自身」を大きくさせていけるものだろうと思います。

私たちの活動でも、最近は全体的に皆さんがそれぞれに未来や希望に夢を描き、そこに向けて一所懸命に頑張っています。

今から37年前1978年:昭和53年10月に日中平和友好条約の締結があって、それ以降に初めて日本国内のあちこちに中国武術代表団がやってきて、各地で演武や指導に周り、当時の交流年代的にあっていた方々へ太極拳から先にもたらされ、後々に武術項目が入ってきました。

そして日本からも学習研修団が当時派遣され、学んだ方々が指導者になっていきました。

思うとこれも歴史的な出来事で、日本の歴史を見ると、これまではそうした動きというのは全くなくて、この37年間に多くの日本国内の団体ができて、それぞれの工夫があって今日に来ていると思います。

私は当時10代前半だったこともあり、非常に興味深く見ていました。

13歳から学び始め、16歳から本場の中国大陸の土を踏んでから、ずっと今までに交流を続けて来ました。

この37年間を思うと、やはり大きな違和感、ジェネレーション・ギャップを常々に感じていました。

それは多くの知人から見える「私の位置」というのもあると思います。

すべての人間というのは自分の置かれた環境から、見えるもの聞くもの:見聞によって思考が作られ行動に影響を与えるものだと思います。

16歳で純粋な眼で中国武術を見て、老師に学んで、独学での中国語で先生からの指導を受けて、20歳からは大学で第2外国語で中国語を習得し、普通に会話が出来るようになりました。

20代半ばから後半にかけて、既得権益の維持を重視する日本式な派閥での古い考え方や、建前と本音が別で言っていることとやっていることが合致していなくて、利己主義者同士のコミュニティーのような、

日本国内での武術活動とは完全に考え方が合わなくなり、30歳になった記念に「三十にして立つ」の論語の言葉に一念発起し、

横浜の地へ一人来て、老師が自分に教えてくれたことや、中国武術的概念に忠実にやってみようと始めました。

今までに、いろいろと考えてみましたが、気付いたことは「自分が見てきたもの」「学んできたもの」と、

多くの日本にあるものは全く別のもので、

悪い意味合いでいうのではありませんが、

ごく普通の日本の暮らしで、ごく普通の公立学校の教育を受けて、ごく普通の就職を経て、学生時代のスポーツ活動で武術を選んで、そのままアマチュア活動をして今日に至る、

というものや、政治活動での中国との交流団体に入り、利権の獲得を行って事業を始めたような、専門家ではなく、武術交流をすることで経済的メリットを得ていく政財界での仕事をしている方々というのもありました。

私自身も中国大陸の地を踏む16歳より前は、普通の日本人でした。

やはり実際の中国で学び、知ったことはたくさんありました。

武術の技能、理論、思想、文化、哲学、歴史、そして中国国内で旧日本軍が行った事。

そして、それは当然に中国で平和に住んで暮らしていて、ある日戦争に巻き込まれたという中国大陸の皆さんからの視点があります。

そして、日本でも同じく、平和を願い、世界の安定を考えて、最終的に選んだ政策を行った結果に今私たちが多く考えさせられる幾つの物事。

日本から出なければ、こうした比較した考え方をすることはありませんでした。


あちこちで言われる通り、今年は戦後70周年。

70年前に20歳だった人は90歳。10歳だった人は80歳。

0歳だった人が70歳。

以下はそれに続いていきます。


私は戦後24年めに生まれた人間です。

私の経験で1989年春に安徽省武術隊と上海復旦大学武術協会で学んで、自分の帰国後にして2ヵ月後に天安門事件が起きました。

26年前の記憶というのは、かなり鮮明で確実なものだと思いますので、戦時中の話は私が小さな頃から祖父母から話を聞きました。


そして、ここ2~3年の間、きっかけは米国政府から大事にされてきたある過激で挑発的な発言を繰り返す老政治家の行動が発端で、

日本国民は中国を嫌い、中国人民は日本を嫌うように当然相互の政府間、報道の間で売り言葉に買い言葉を繰り返し、日本と中国の間での関係が悪くなりました。

私は今までに何度も、こうした板ばさみになった時に考えさせられました。

自分は日本人の一員で何ができるか、

そういった場合に、私は「大人:たいじん」なら、大らかに堂々としてみせよう、

相互間の経験的なものから来た意識の相違にも配慮して、21世紀型の日本人として、

言うべきことは言うし、聞くべきことは聞く、

そうして今までに2000年間の交流があった原点に立ち返ることが出来る、と思い、

この2011年からの武術交流は若い世代にも引き継ごうとやって来ました。

有り難いことに、昨年の3回の上海訪問、2回の研修ツアーで私たちと中国との関係は良好になり、より良い共同発展への道が開かれました。


ここ数日の日本を見ると、

今ようやく事態の大きさに多くの日本国民たちが政府:政権与党に対してアクションを起こしてアピールをするようになりました。

しかしながら一番危なかったのは昨年の秋9~10月で、自分のこの感覚で思ったのは、

ある小さな出来事が発端で、どちらかの国民が過激な行動で先に手を出してしまうことが、きっかけで戦争に発展する、という歴史的教訓をリアルタイムで感じました。

私が願うのは、若い世代の皆さんは是非中国との関係を良くしていき、

それが将来的には確実で倫理的にも正しい経済的な発展にも繋がると思います。


若き世代は年配世代にありがちな、テレビ雑誌など報道企業で「マスコミが叩いたら、何でも叩かれた人が悪者」のような傾きがちな思考は止めて、

リアルタイム、実際の経験、直接の会話、直接の交流を行っていって欲しいと思います。


今や国際交流も新時代へと向かい、相互発展、未来永劫に今までと同様にアジア全体で仲良くやっていくことが、逆に戦争を起こしたい日本にもいる戦争ビジネス営業マンたちを抑止することにもなっていき、

それが、今あるような不安を払拭できることにも繋がると思います。

武術交流も新時代へ・・・