今から19年前にフィットネス・クラブ運営会社の副社長さんと知遇を得て、そのことが縁でフィットネス業界で仕事をするようになりました。

当時はエアロビック・ダンスエクササイズが全盛期で太極拳や気功のクラスにはあまり参加者も多くなくて、いつも気をつけて少しでも楽しんでもらえるように意識してレッスンを行っていました。

そして16年前に今の活動拠点の横浜に転居して「地域に根付いた武術活動を」と考えて始めました。

ちょうどその当時頃から「リストラ」という言葉が世の中に流行し始め、今にも続くギスギスした人間関係や社会不信が起こり始めた頃でした。

2001年の冬2月に私の仕事先のスポーツクラブ運営会社がいきなり倒産し、武術普及の活動場所も仕事先もいきなり無くなりました。

悩んでいる場合ではなかったので、先ず練習場所を探し、何とか活動は続けられることになり、次は仕事先でした。

レッスンの仕事は、知人の社員のいるクラブからすぐに声がかかり、何とかなりました。


とにかく、自分自身の中では「悪徳社会の風潮に負けるもんか」という気持ちが強かったことだと思います。


そのこともあって、仕事が落ち着いた頃から、日本経済の動向に常に意識を持つようになりました。

そして北京五輪開催に合わせた武術普及などの側面からも合わせて国際経済の動向に大きな関心を持つようになりました。

それからは人口動態、国際情勢を合わせた総合的な観点を持つようになり、考え方を工夫して、いろいろとレッスンでの話しにも活かすようになりました。

一番、よかったことの中では「2007年問題」が世間で言われ始めた頃に準備したことが功を奏したと思います。

※2007年(平成19年)問題として注目された時期は、定年を60歳とすれば、1947年(昭和22年)生まれを中心とした団塊の世代の退職者が最も多く発生するのが2007年といわれているからでした。

2007年当時は健身気功五禽戯を2003年から取り入れ、馬王堆導引術44式をアレンジした気功体操のプログラムと旧段位制一段8式、二段16式、三段24式、四段32式太極拳でレッスンを行っていました。

そしてその「2007年問題」が5年繰り越され「2012年問題」といわれ始めたことから、いずれスポーツクラブは年配者の皆さんが多くなるので、プログラムをもっと応用して、バリエーションを増やそう、とも考えていました。

そして、日本人で五禽戯研究者は珍しいということで安徽省武術協会の紹介があって五禽戯の郷亳州へ訪問し伝統華侘五禽戯を学びました。

それから翌年2008年にリーマン・ショックが起こり、また仕事先スポーツクラブ2ヶ所が閉館の目に合いました。

そして当時はまだ今ほど日本医科学には詳しくなくて中国医学の教養からレッスンを進行していました。2009年に2回五禽戯を学びに亳州に訪問して、伝統華侘五禽戯での医学理論と実技を学べたことは、その後非常に多くの自身の知識でのレベルアップに役立ちました。

そして2012年を迎えた頃は本当にスポーツクラブでの会員さんは団塊の世代の皆さんが多くなり、太極拳や健身気功は非常に多くの皆さんに喜んでもらえるようになりました。

2006年頃からは2001年に訪米した当時流行していたアメリカン・ヨガが日本全国に入り、健康法としてのエクササイズに人気が集まるようになりました。

フィットネス業界も若年層がスタッフに多くなり、今現在に至っています。

最近の関東首都圏にはスポーツクラブ、フィットネスクラブが多くなり、経営もライバル同士で競合し合い、運営にどこも大変な様子です。

私自身の仕事としては一番長いところでは16年、地元クラブ2ヶ所での14年、最近は都内のクラブで4年指導を行い、

出張太極拳教室として2ヶ所、そして地元で武術院での武術班と健身養生班で本格的な本場スタイルの指導を行い、

上海復旦大学武術協会での研修や上海や香港、今年はシンガポールの国際大会などで資格を取得したりする活動を行っています。

今こうして気付けば、日本の資本主義社会は国際情勢と経済活動でいつも動いていて、

中国国内や国際大会で出会う海外の武術チームは大体、企業と連動して普及活動をしていて、

財界関係者もよく来ていて、あるいはチームオーナーが企業経営者で太極拳をやっている方ということがよくありました。

日本国内を見てみると、多くの財界人は趣味がお酒がゴルフで、太極拳をやっている方でも、国内から出ない人が多いので、

日本国内の武術活動も、そうした面にも意識を向けると良いのでは、と思うことが多いです。