一昨日、日曜日の午後の前半の時間帯には兵法剣術の稽古を行っていました。

その中で対戦型の指導中で竹刀に「ささくれ」ができたのを気付き、昨日は午前中に竹刀と居合い刀と一緒に中国剣の龍泉古剣の手入れをしていました。

何時になく、何かしら手入れをしながら、不思議な記憶が甦ります・・


兵法剣術は、私自身の感覚で竹刀、木刀、居合い術との3種類で対戦式、一人での型を行う新しい日本式剣術です。

ちょうど3年前に自身の13歳から始めた中国武術修養30周年に、何かと思っていて、毎年訪れる小田原城内の博物館で日本刀を見ているうちに、

自身の原点だった剣道が恋しくなり、帰り道に横浜にある武道具店に立ち寄って木刀を握ってみたら懐かしい感触からどうしても欲しくなり、そのまま入手して帰りました。

帰ってから空いた時間に久しぶりに素振りや剣道を辞める前にやっていた木刀での型稽古を憶えている限り行ってみたら、今でも出来ました。

むしろ今の身体が中国武術体質になっていた分、また新鮮な感触に楽しさを覚えました。

何かしら身体が望むようになり、次の週に別の武道専門店に行ったら居合い刀が数本あり、見ているうちに欲しくなり、そのまま入手しました。

刀

剣道衣姿

そうなったらもう私の感性としては仕方なく、道衣と袴を揃え、帯を締め、剣道衣を着てみたら、着方も身体が覚えていて不思議でした。

休日の午前にかつて練習に使っていたスポーツセンターの武道場へ行き、朝一番の静かな時間に、まだ扱っていなかった日本刀を初めて抜いてみました。

最初の数回は、鞘離れ、そして納刀での指の位置が戸惑いましたが、何度も行っているうちに、その日の朝で抜けるようになりました。

その帰り道に「剣道で自分の日本人の原点に、今だからこそ立ち返ろう」と思い、毎週の休日にずっと誰もいない朝の武道場へ一人通い稽古をひたすらに続けました。

私の剣道は関東の多摩には近藤勇の生家が近くにあり、天然理心流という新撰組にゆかりある流派でした。

そして本能が求めた中国武術世界へ13歳で入り、16歳で中国大陸の本場を初経験しました、今までに33年間の修練を行う中で、いずれか日本人の武術関係者の中で不思議に思う疑問が多々ありました。

私は6歳から剣道を始め、ずっと対戦稽古というのは当たり前の当たり前で、剣道で「対戦」の相手との動体視力での目測と反射など間合いの反応感覚は自分の中に完全に出来上がっていたことでした。

中でも「勝ち抜き稽古」というのがあって、真ん中に一人立ち、周りに門下生が取り囲み、周りを見渡し、目が合って、竹刀の先が合ったら、その人と対戦し、

勝ったら残り、疲れるか、負けるまで行い続ける稽古がありました。

10歳ぐらいまでは、それがとても好きで、勝ち抜き稽古がない時は、何かしら寂しく思いました。

忘れられないのは、小学5年生の頃、やってもやっても相手が変わり、尽きないことに無力感を想い、剣道の先生からもあまり好かれていないことを感じ始めた頃でした。

当時1978年に日中平和友好条約が締結され、日本国内でカンフー映画ブームが起こり、中国武術がよく紹介されていました。

中学生になってから中国武術を始め、対打や対練、散手攻防技術を行った時に正直に「防具がないから軽くてやり易い」と嬉しく思いました。

関節技や太極拳推手での崩し技を学ぶごとに「面白い」と夢中になりました。

自分で印象深い想い出では、師爺の徐文忠老師に器械対練を教わる時に先生の技を受けた時に怖くなかったことでした。

受けた位置や目測や反応が小さな頃から剣道で慣れていたことが、幸いしました。

思えば、徐文忠老師は、あの時から私への教授にとても真摯にして下さっていました。

今思い出すと他の学生たちは「怖い」とか「できない」とかいう人たちがいて、当時は正直「何で怖いのだろう・・」そんなことを思っていました。

そんなことがあって、今何か長い時間が過ぎて不思議な心地がします。

中国武術は今もう私の体の一部分になり、伝統中国の思考哲学、養生学、中国上海 復旦大学武術協会との提携で何時でも研修ツアーや武術技能検定会を行っていく運営システムができました。

気付けば「中国武術界でやりたかったことは、全部成し遂げられた」

そんなことを感じます。後はひたすらに精進を続け、日本国内の政治家が問題で揉めても、私は中国との連携を大事にして、

日本の多くの皆様の質の高い健康維持・発展と生き甲斐や楽しみについてお手伝いをする仕事をコツコツと行い続けることでした。

そして、その中に私は長い時間に離れていた「日本武道」への回帰、

流派を辞めてしまったのだから、新流派を始める、そんな喜びが芽生え始めました。


2012年中国武術・健身気功交流会10

組太刀

組太刀3

兵法剣術 組太刀


実は、これが兵法剣術を創めた想いです。

自分は日本人であったことが、現代日本人の皆さんは意外にも思われるかもしれませんが、何でも正直に聞かれたことや質問でも直接中国語で話すこともあって、

中国でも大事にされ、日本にいる時でも珍重され、運がよかったと思います。

横浜武術院 兵法剣術 立ち居合い


ふと気付けば、太陽も月も大地も植物も生命は永遠で、人間は生命の時間は限りのある事実。

その尊い時間の連続を毎日の報道を見ると、つまらないことに費やす人達は世界中に多い事を感じます。


私自身は、如何あっても限りある時間の中では、すべてを有意義に活かそう、そんなことを思います。

武芸、万歳!

そして日本人に生まれて本当に良かった。