
芥川龍之介さんの作品「朱儒の言葉」の中に「運命は性格の中にある」とあった一文を見て、とても大きな感銘を受けました。
私の家族では姉兄妹とある4兄弟の3番目でした。
想うと私は昭和44年1969年生まれで戦後24年目にこの世へ生まれました。
日本の占領政策実施後に大きな動乱があってから米国式文化が大量に入ってきて、大きなカオス:混沌の変化の中に幼少~少年時代を過ごしました。
青年期は完全に米国化した日本社会構造に疑問を抱き、社会システムを理解したうえで、現世の中で行える有意義な自分の人生を考え、歩み始めてから今現在に至ります。
一番上には姉がいて、次に兄があり、下に妹がいます。
少年時代の疑問は姉や兄が嫌々ながらも受けさせられる日本の社会的システムの洗礼の数々を垣間見ながら幼少時から「私は必ずこの構造はおかしい」と感じていました。
父は無言で答えず、母は気にしないように務めているように見えました。
当然に私は「無意味」や「無価値」に感じた全てにおいて、完全燃焼するような努力はせず、いつしか直感で「これは素晴らしい」と想うものばかりに興味を持ち努力をし続けました。
身近な姉や兄は、そうした姿勢を気にいらなく感じたのと思います。
兄弟喧嘩は小さな頃からずっとありました、最近ようやくなくなったように思います(笑)
16歳で初めて中国へ渡り、人々も文化も考え方も全く異なる中国大陸の武術界に入り、私の心は躍動しました。
「自分の人生の主導権は自分が握る」そう感じられました。
しかしながら日本へ戻ると、やはり「無意味」や「無価値」に感じるものに囲まれ、精神的な忍耐を覚え、そこから脱出するために、何かと理由をつけて武術活動ばかりを行うようになりました。
あれから30年という月日が経ち、時間が経てば物事の事実(真実)は自ずから表れてくるもので、今ようやく日本でも中国武術の人気が出てきて、実感したのは、
「時間」という名の圧力の洗礼を浴びせられ続けていたのだ、と確信しました。
日本で行われたGHQの政策では戦後すぐに「武道禁止令」が出され活動が許されませんでした。
日本国内には政策で多くの国民に知られることなく方向性を少しずつ少しずつ変えられ、時々に「偶像:アイドル」が人為的に創られ、「意味」や「価値観」があるもののように意識操作をされていたのでした。
心身に良いものは遠ざけられ、心身に悪影響を及ぼすものなのに、それは楽しくなれるもの、として浸透させられていたのでした。
これはもう全部が普通になってしまった凄い事実を感じます。
高倉健さんの出演した名作「君よ憤怒の河を渉れ」の中のシーンに「薬物中毒者を演じる」シーンがありました。
あのシーンに自分はよく似ています。
今こうして誰にも言うこともなく、感じるのは「勝った・・」と想うことがよくあります。
「運命は性格の中にある」
これは、「己の性格が自分自身の生きる運命を定義付けて、そこを進んで行く」
とも言い換えられると思います。
男性平均寿命の中で、人生の半ばを過ぎて今感じるものは、毎日眼前にある今現在の瞬間と瞬間との連続の中に、自分の運命を定義付けていく原子の数々があり、
それがそれぞれの自分自身の生活環境や精神環境、肉体環境を構築し続けている最中で生きている限り、それが続き、
心地良さを持つか、そうでないか、
楽しみや生き甲斐を持つか、そうでないか、
戦前は8千万人だった日本人は今現在1億2700万人に増え、政治家は変わらずに毎日勝手なことを言い、国民は「ああ、そうですか」と何でも従う。
皆がみんな「日本はいい」といいながらも自殺者が3万人を越えた年もありました。
「運命は性格の中にある」
あるいは「人生は性格の中にある」