先週は初夏に一度は行いたい「大山詣で」を行ったので、今年は何かしらいいスタートが進んでいる感じを思います。
昨年のGW期間は復旦大学武術協会で1週間の研修ツアーを行いました。今年は夏のシンガポールの国際大会に照準を合わせて、新しい武術活動展開を全体的に始めました。
もう今後は私自身というよりも「武術でより日々を充実させたい」という皆さんのために様々なプロデュースや養生健身での指導に力を入れていきたいと思います。
今年のGW期間はレッスンは通常に行い、今日はふと先日想うことがあり行きたくなった場所があったので、行くことにしました。
そこは多摩地区になる「生田緑地」でした。
ここは川を渡ったら、自分の生まれ育った故郷の町狛江です。
生田緑地は小さな頃から父に連れて来てもらった場所で、小学1年生の時の遠足、その後は自転車で夏休みには虫取りに訪れていたところでした。
南武線で登戸駅で降りた時には懐かしい気持ちでいっぱいになりました。向ヶ丘遊園に向かう途中は25年ぐらい前とあまり変わっていなくて、何か遠い過去が甦ります。
入り口の坂から新緑を眺め、懐かしい景色を思い出しました。

現在は「枡形山展望台」があり、心地良い景観を楽しみました。

一番先に上がってすぐに先週に登った大山の山頂が見えました。

20代の仕事先だった新宿方面、

川向こうは「狛江」自分の生まれた慈恵第三病院も見えました。

緑地内を歩いているうちに、いろいろと記憶が甦りました。
そう「この空気の香りなんだ・・」
かつての多摩は、大体どこででも、この茂った緑と湿地帯の香りに包まれていました。
狛江~調布辺りも自分が小さかった頃は、あちこちに田んぼがあり、原っぱがあって「この香り」がしました。
狛江を離れた時は、ちょうど都市開発が進み家族は府中に移転しました。
自分は府中の町が合わなくて、16年前にレッスンの仕事、中国との交流の仕事や、いろいろとやりたいことがあって今の自然ある横浜の地へ来ました。
こうして時間をかけて学び実践してきた四季養生を思えば、今の横浜の地からは鎌倉は隣、江ノ島や三浦半島、丹沢の山も1時間ほどでどこも行くことができて、本能的な直感が働いていたのかも知れません。


遊歩道を歩いていたら眠る「鴨」がいました、鴨というのは顔を背中向きにして片足で立って眠るのだと初めて知りました(※すごい、人間にはできない)

気付けば今日は広大な緑地公園の散策で丘陵の登り降りのコースなので、途中、山頂を目指すことや、帰りのコースや交通手段での時間帯を意識することが必要のないことが判り、
「なんて楽なんだ。こういう生き方をして行こう」と実感しました(笑)
帰り道には、もう一つ都内の自分の好きな場所で「等々力渓谷」を歩きました。
ここは以前、午前と午後のレッスンの合い間の時間によく来ていて、リフレッシュしていた場所です。

途中、自分が何かしら時間を見つけては、こうして自然の中を歩くことを始めたきっかけは間違いなく、少年時代の経験に由来していることに気付きました。
私の所感で発見したのは、
おそらく、自然の空気を吸い、自然の中にいる皆さんは誰もが皆、心地良い。
そして歩くうちに「自分は何を考えているのか」を自分で理解出来ることです。
それから「考えを良い方向へ導くには何の実践が重要か」とか、「何を行うべきか」が見えて来ます。
そうしているうちに眼前にある坂を上り、下り、鮮やかな緑や清流、鳥のさえずりが聞こえます。
思えば全部が全部、システムの構造的に人々が独善に走るようになる、大都会の生活の中では奪われやすいものであります。


想うと、古来から日本にもたらされた伝統中国文化は持ち込んだ日本人同士で面倒になるようなことが歴史的にたくさんあります。
感じたことは、歩くうちに気付いた「自分は何を考えているのか」を自分で理解出来ていない人々が一番厄介になっている事実です。
そして「考えを良い方向へ導くには何の実践が重要か」「何を行うべきか」
が不適切の連続を繰り返し、責任を取らずに逃散する、それらが政を破綻させ、それは今この瞬間にも進んでいるのかも知れません。
今自分が何を目指しているのか、が判りました。
僧侶の仏教文化ではなく、道士の道教文化でもなく、武術家の武術文化でもなく、
健身養生の究極の先にある、まだ「かたち無い」文化を日本式で大成すること、なのだと。
昨年のGW期間は復旦大学武術協会で1週間の研修ツアーを行いました。今年は夏のシンガポールの国際大会に照準を合わせて、新しい武術活動展開を全体的に始めました。
もう今後は私自身というよりも「武術でより日々を充実させたい」という皆さんのために様々なプロデュースや養生健身での指導に力を入れていきたいと思います。
今年のGW期間はレッスンは通常に行い、今日はふと先日想うことがあり行きたくなった場所があったので、行くことにしました。
そこは多摩地区になる「生田緑地」でした。
ここは川を渡ったら、自分の生まれ育った故郷の町狛江です。
生田緑地は小さな頃から父に連れて来てもらった場所で、小学1年生の時の遠足、その後は自転車で夏休みには虫取りに訪れていたところでした。
南武線で登戸駅で降りた時には懐かしい気持ちでいっぱいになりました。向ヶ丘遊園に向かう途中は25年ぐらい前とあまり変わっていなくて、何か遠い過去が甦ります。
入り口の坂から新緑を眺め、懐かしい景色を思い出しました。

現在は「枡形山展望台」があり、心地良い景観を楽しみました。

一番先に上がってすぐに先週に登った大山の山頂が見えました。

20代の仕事先だった新宿方面、

川向こうは「狛江」自分の生まれた慈恵第三病院も見えました。

緑地内を歩いているうちに、いろいろと記憶が甦りました。
そう「この空気の香りなんだ・・」
かつての多摩は、大体どこででも、この茂った緑と湿地帯の香りに包まれていました。
狛江~調布辺りも自分が小さかった頃は、あちこちに田んぼがあり、原っぱがあって「この香り」がしました。
狛江を離れた時は、ちょうど都市開発が進み家族は府中に移転しました。
自分は府中の町が合わなくて、16年前にレッスンの仕事、中国との交流の仕事や、いろいろとやりたいことがあって今の自然ある横浜の地へ来ました。
こうして時間をかけて学び実践してきた四季養生を思えば、今の横浜の地からは鎌倉は隣、江ノ島や三浦半島、丹沢の山も1時間ほどでどこも行くことができて、本能的な直感が働いていたのかも知れません。


遊歩道を歩いていたら眠る「鴨」がいました、鴨というのは顔を背中向きにして片足で立って眠るのだと初めて知りました(※すごい、人間にはできない)

気付けば今日は広大な緑地公園の散策で丘陵の登り降りのコースなので、途中、山頂を目指すことや、帰りのコースや交通手段での時間帯を意識することが必要のないことが判り、
「なんて楽なんだ。こういう生き方をして行こう」と実感しました(笑)
帰り道には、もう一つ都内の自分の好きな場所で「等々力渓谷」を歩きました。
ここは以前、午前と午後のレッスンの合い間の時間によく来ていて、リフレッシュしていた場所です。

途中、自分が何かしら時間を見つけては、こうして自然の中を歩くことを始めたきっかけは間違いなく、少年時代の経験に由来していることに気付きました。
私の所感で発見したのは、
おそらく、自然の空気を吸い、自然の中にいる皆さんは誰もが皆、心地良い。
そして歩くうちに「自分は何を考えているのか」を自分で理解出来ることです。
それから「考えを良い方向へ導くには何の実践が重要か」とか、「何を行うべきか」が見えて来ます。
そうしているうちに眼前にある坂を上り、下り、鮮やかな緑や清流、鳥のさえずりが聞こえます。
思えば全部が全部、システムの構造的に人々が独善に走るようになる、大都会の生活の中では奪われやすいものであります。


想うと、古来から日本にもたらされた伝統中国文化は持ち込んだ日本人同士で面倒になるようなことが歴史的にたくさんあります。
感じたことは、歩くうちに気付いた「自分は何を考えているのか」を自分で理解出来ていない人々が一番厄介になっている事実です。
そして「考えを良い方向へ導くには何の実践が重要か」「何を行うべきか」
が不適切の連続を繰り返し、責任を取らずに逃散する、それらが政を破綻させ、それは今この瞬間にも進んでいるのかも知れません。
今自分が何を目指しているのか、が判りました。
僧侶の仏教文化ではなく、道士の道教文化でもなく、武術家の武術文化でもなく、
健身養生の究極の先にある、まだ「かたち無い」文化を日本式で大成すること、なのだと。