
季節は二十四節季の清明を迎えます。
日本人にとって大好きな、桜が咲き、そして散りました。
桜の花びらは皆一様。
これからは、より多くの生き物たちが地上へ溢れ出てきます。
大自然の中で、人間、という生き物について、不思議に思うことがあります。
たまに感じるのは、すべての生き物はすべて一様に見えますが、
人間という生き物だけは一様ではないのか、しかし実は同じく一様なのか、
人間が勝手に個性とか名づけて言っているだけで、
他の生き物からすれば、同じような一様の生き物にしか見えない。
そんなことを思う時があります。
自分自身にとって思い出すと、何かいつも「不思議な記憶のリサイクル」を繰り返しているように感じます。
この春は、3年前の少年期の自身の剣道の復活に加えて、青年期の文学者としての意識感覚の復活が始まったような気がします。
そのきっかけを思い出した文章を記します。
永井荷風
「自覚さえすればどんな生活にだって深い意味が出来る」
「世間のつまらぬ不平や不愉快を忘れるには学問に遊ぶのが第一の方法である」
「日本人は三十の声を聞くと青春の時期が過ぎてしまったように云うけれど、熱情さえあれば人間は一生涯青春で居られる」
芥川龍之介 「鼻」からの一説。
人間の心には互に矛盾(むじゅん)した二つの感情がある。
勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。
所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。
少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥(おとしい)れて見たいような気にさえなる。
そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる。
内供が、理由を知らないながらも、何となく不快に思ったのは、池の尾の僧俗の態度に、この傍観者の利己主義をそれとなく感づいたからにほかならない。
夏目漱石 「三四郎」からの一説。
三四郎「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。
すると、かの男は、すましたもので、「滅びるね」と言った。
熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。
悪くすると国賊取り扱いにされる。
三四郎は頭の中のどこのすみにもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。だからことによると自分の年の若いのに乗じて、ひとを愚弄(ぐろう)するのではなかろうかとも考えた。
男は例のごとく、にやにや笑っている。そのくせ言葉(ことば)つきはどこまでもおちついている。どうも見当がつかないから、相手になるのをやめて黙ってしまった。すると男が、こう言った。
「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」
でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。
「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓(ひいき)の引き倒しになるばかりだ」
この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。
同時に熊本にいた時の自分は非常に卑怯(ひきょう)であったと悟った。
森鴎外 「妄想」からの一説。
生といふものを考へる。自分のしてゐる事が、その生の内容を充たすに足るかどうだかと思ふ。
生れてから今日まで、自分は何をしてゐるか。
始終何物かに策(むち)うたれ駆られてゐるやうに学問といふことに齷齪(あくせく)してゐる。これは自分に或る働きが出来るやうに、自分を為上(しあ)げるのだと思つてゐる。
其目的は幾分か達せられるかも知れない。
併し自分のしてゐる事は、役者が舞台へ出て或る役を勤めてゐるに過ぎないやうに感ぜられる。
その勤めてゐる役の背後(うしろ)に、別に何物かが存在してゐなくてはならないやうに感ぜられる。
策(むち)うたれ駆られてばかりゐる為めに、その何物かが醒覚(せいかく)する暇(ひま)がないやうに感ぜられる。
勉強する子供から、勉強する学校生徒、勉強する官吏、勉強する留学生といふのが、皆その役である。
赤く黒く塗られてゐる顔をいつか洗つて、一寸舞台から降りて、静かに自分といふものを考へて見たい、背後(うしろ)の何物かの面目を覗(のぞ)いて見たいと思ひ思ひしながら、舞台監督の鞭(むち)を背中に受けて、役から役を勤め続けてゐる。此役が即ち生だとは考へられない。
背後(うしろ)にある或る物が真の生ではあるまいかと思はれる。併しその或る物は目を醒(さ)まさう醒(さ)まさうと思ひながら、又してはうとうとして眠つてしまふ。
此頃折々切実に感ずる故郷の恋しさなんぞも、浮草が波に揺られて遠い処へ行つて浮いてゐるのに、どうかするとその揺れるのが根に響くやうな感じであるが、これは舞台でしてゐる役の感じではない。併しそんな感じは、一寸頭を挙げるかと思ふと、直ぐに引つ込んでしまふ。
それとは違つて、夜寐られない時、こんな風に舞台で勤めながら生涯を終るのかと思ふことがある。
それからその生涯といふものも長いか短いか知れないと思ふ。