春の富士

現代日本社会の東京に生まれ、江戸っ子気質を含む関東地方人文化はとても好きでしたが、

少年時代から、何かしら目立つ荒廃した世間・世の中を見渡し、本能的な直感からの必要性を感じて、

今でも義侠精神性の高い中国武術界へ長く携わり、時間が過ぎていく中からの実践で体得できるものが数多くあると、この世界では感じます。

その中で質の高さが、他の文化世界にない完成された感覚では、

究極的な表現をすれば「手段」「方法」「規律」にあると思います。

これは「ある本を読んだから」とか「ある先生はこう言っていた」という現代日本社会によくありがちなテクニック理論なのではなく、実践の理解を知った人の感覚から伝わり、流動的に広まっていくものだと思います。

その中で武術流派、拳種のそれぞれは「手段」「方法」にあたり、各々に「修身」「防身」「健身」があり、

そして中国武術運動の特徴は、攻防技術・功法・套路の3つを含む心身強化術です。

攻防技術は防身、功法は修身、套路運動は健身というように分かれており、「防身」は精神的にも肉体的にもわが身を防ぐ「守衛」の意味があります。

「功夫・カンフー」の語源には「時間」「能力:腕前」のことがあり、その質は「規律」にあると思います。

天地人、朝昼晩、春夏秋冬。

1日24時間の時間は大自然界のすべてに平等であり、規律を以てして動いています。

すなわち功夫の質は規律、運動規律、生活習慣、精神衛生、春夏秋冬、四季折々の養生学の内容すべてに関係していることが判ります。

私は日本に生まれ、日本神話で育ち、日本武道から中国武術へ移り、総合的武道の思想哲学を持つ新しい現代感覚の日本人になったと思います。

最近感じたことの中では、

武術世界は確かに、経済的負担、時間的負担、労力的負担はかかるものですが、

根本から考えると経済的負担というのは、さほど重要ではなかったように感じます。

そのために、ありとあらゆる感覚では、手段、方法、規律の質は鍛えに鍛えられたように思います。

そう考えてみると、私はやはりこの現代日本社会にありがちな欧米式資本主義というのはあまり価値を感じることなく意識的にも重きを置きませんでした。

しかしながら、今現在の日本も同様で世界中の欧米型資本主義の失敗にあるような悪影響は、ほとんど感じません。

春分を過ぎ、陰の気はこれから夏至へ向けて収束を迎えて、陽の気がどんどんと力を増していく時候です。

陰陽の逆転現象。

歴史的に日本は時代の転換期への応対が政も全部が下手で、結果が出てから大勢が動き出すのが常套なので、

これから2~3年は様子見でパラダイム・チェンジが出来るのは誰か、できないのは誰か、政財界も含めて「規律」を最重視して、流れが定まった頃合いを見計らってから、次なる「手段」と「方法」で展開をしたいと思います。

(※今後はアジアが世界経済の中心になり、アジアの中に居る日本が身近なのに旧型体制を決め込んでガラパゴス化を選ぶか、勇気ある決断で新体制に移行するか、どちらかを政府行政と財界は秋までには選択させられることになるでしょう、金の亡者の財界は間違いなく新体制へ希望しているはず・・ですが、新体制へ移行すると今までは安泰だったけれども不要になる業界や失業者が出てしまうことも関係していると思います)