


西暦2015年太陽暦での3月に入り、今週の木曜日は太陰暦での最初の満月、元宵節、正月十五日です。
現代日本ではほとんど気にかける人はいなくなりましたが、142年前の明治の改暦までは倭から日本に呼称を変えた1300年間は太陰暦での歴史でした。
私は現代のスケジュールでは、太陽暦でご一緒しますが、生活習慣のリズム感覚ではすべて太陰暦で行っています。
そうすることで春夏秋冬、大自然との調和を常に図り、自然の一部としての生き物としての感性を大事にしています。
しかしながら、やはり伝統中国5千年の長い文化は凄いもので、実践に継ぐ養生理論の実践で掴んだものは多く、これは特に日本において扱える感覚は生涯の宝だと思うものがたくさんあります。
今年2015年春をもって、3年前の2012年から新しくスタートした普及事業に進出した「一つの章」が終わったように感じます。
それは前年2011年の3月11日に関東地方も大震災を受けて、仕事にも大きな影響を受けたりしました、私が指導に回る中での周囲も常に心配の声をもらし、関東地方全体の空気の社会が不安そうになっていました。
「武芸に生きる者」とは困難に立ち向かう中で良くするためには先陣を切るべきだと、私には信念があり、常にここに来るまでは困難の連続を乗り越えて来ました。
とにかく「何でもやるしかない」
そして2012年から本場中国の武術界では今までの首脳陣から、運営する新規の首脳陣へと世代交代が始まった年でした。
私は中国で7月に開催される上海国際武術博覧会へ、3年前の4月から新しい世代での競技チームを組んで新ルールに合わせて「新時代チーム」の選手育成を開始しました。
とにかく走り出すことで、後から勇気付く人たちが出てくるはず、そうすれば元気になる人はまた元気になる人を呼び起こすに違いない。
今は「やるしかない」
そう「3年前の春」に決意しました。
2012年 上海国際武術博覧会
上海大会では、会議があり今後の中国武術での国際的標準化でのあらましを知り「大変なことになってきたな・・」と思いましたが、とにかく実行することにしました。
そしてここで実際に初めて「龍身蛇形太極拳」での行われた競技会を直接見ました。
その頃ある日、日本武道具店の前を通った時、何故かインスピレーションを感じ、店内に入ったら木刀と日本刀(居合刀)が眼につき、
木刀は何かとても懐かしい思いを感じて、購入し、久しぶりに自身の剣道を覚えているかどうかに想いを馳せ、稽古を始めたら感触が心地良く、
善は急げで、もう一度武道具店に行き、袴と道衣と居合刀を揃えました。
それからずっと頭の中は剣道のことでいっぱいで、私の当時中学生では持たせてもらえなかった居合い刀を抜く稽古を行ううちに、とても新鮮な「自分自身」がそこに居ました。
「居合い」の「居合う」とは、そういうことなのかも知れないと感じました。
そして、上海大会帰国後に私達の大会でもでもある交流会で、私も兵法剣術を行い、活動での新しいスタートを開始しました。
2012年 横浜武術院 交流会
そして2013年は8月の上旬に香港国際武術大会・中国武術段位制国際考試(新規定)の大会があり、日本での国際標準での中国武術段位制の普及活動を始めました。
香港国際武術大会
そして翌週に上海から恩師、花妙林老師が来日され、東京と横浜をご案内しました。
花妙林老師と共に
この時に瞿栄良老師の「龍身蛇形太極拳」を紹介され、2014年から研修ツアーなどを行い上海と交流活動をスタートすることと、
復旦大学武術協会と提携をして、指導者になって仕事をするうえでは社会では必要になってくるライセンス制度を海外人士として日本人でも認定を行ってもらえるようになりました。
そして2014年の2月での 上海訪問
5月は武術隊と10月の養生研修ツアーの企画運営。
復旦大学武術協会 武術研修ツアー
復旦大学武術協会 養生研修ツアー
この冬を以て、新しい武術班での活動カリキュラム、養生太極拳班での活動カリキュラム、そして両方でもできる方が多くなるのも大いに推進したいと思います。
それからこれからも行う国際武術段位制の普及カリキュラムと技能認定制度の実施、そして兵法剣術の完成。
この年の元宵節を前に、一つの章が終わり、
元宵節を節目に、また新しい章が始まっていく、そんな予感を思います。
それは今回は何かしら、この3年を全部かけて大型の普及計画を進めて来た中で、ふと「ある思い」を感じる時に太陰暦と照らすと、やっぱり季節の進行と合致しているのを思うと、ひとつの自然体でいられる実感があります。
自然とは「自ずから、然る」あるいは「然るべき、自ずを創る」
そういうもの、なのかも知れません。
この春からは、皆さんに皆さんの将来に向けて下駄をお渡ししていく活動の始まり・・
そんな「年」になりそうです。