
今朝、今年平成27年:2015年になり、初開花した白梅を見つけました。
伝統中国の養生の学術の世界観では、
「梅は厳しい真冬の寒気に耐え、温かな陽射しを受けて、変化の乏しかった真冬の終わりが近いことを一番最初に可憐な華やかさを通して教えてくれる」というものです。
私の持つ自然感覚は常に身近にある、自分の活動地域での、季節移行の変化から植物類や動物類の動きを見て大自然の変化の動きと太陰暦での暦の進行を見ながら、
「養生:生命力を養う」の活動全般における対策を行っています。
そして日々の政財界の流れを確認し、それは「時事」として把握し、政策に合わせた対策を考え、実践しています。
そして「西暦」と普通にいっているように「西暦」は「西洋の暦」であり、クリスマスから新年を通して祝うのが「キリスト教国家」での感覚で、現代日本はそれに合わせて政財界の展開が進められています。
私はこれと日本の立春、中国圏の春節、そして4月からの新年度と3つの段階で進展や計画を考えるように行っています。
やはりこうすることで、世の中の出来事に確実に対処して、全体的な流れが、どのようになってでも、部分的な対処法はたくさん行えるので、常に良好で楽しいライフスタイルを過ごすようにしています。
普通世間一般の皆さんは大体、メディア情報での単語をそのまま受け止めやすく、悲観的で消極的な情緒感覚に陥りやすいようですが、
大事なこと、としては、
物事はすべて「誰かによって」「作られている」という冷静な分析力と、その「作られている目的意識」を見抜いて、
それに対して、どんな状況でも悪影響を受けることなく、分析と判断と、確実な実行政策で応対できれば、
どんな時代でどんな出来事が起ころうとも、「絶対に安全で大丈夫」という確信を掴んで、すぐに一早く行動に移り、
日々、常々、何時何処であってでも、
完全に、安全、安心でいられる「聖域」に「自らが」居られるようにして、
自身の心身の環境にベストな状態に置けるような習慣にできると、この世の中でも、いつも楽しく過ごせます。
私は今年に中国大陸往来「30周年」で、思えば米国人的でなく、中国的な直感での判断・理解力を持つ「日本人離れ」した「人間」であることに「違和感」もあるし、
しかしながら「現代日本的ストレス社会」に、
まったくの悪影響を受けず、むしろ跳ね返し、逆に脅しをもかけられる「!?人間」体質になった、「!?的な」己自身に、
「可笑しさ」を想うことがあります。
以前は、全世代で「何、この人!?・・」という扱われ方が日常だったのですが、
意外や意外、
近頃の「何でもあり」の日本社会感覚では、
案外に、私の持てるこうした感覚に共有される皆さんが、最近に結構多くなってきたようにも感じます(嬉しい!ラッキー!)
想うと、やはり人間誰しも、その人の「生活環境と生活習慣において全部が全部できている事実」に気付ける人と、そうでない人に分かれてしまい、
それもまた「宿命」だと思います。
例えば仕事、
職種を選んで就職をすれば、その業種における「生活環境と生活習慣」になり、例えばレストランのコックさんになれば、朝出勤したら、その日のオーダーを予測したメニュー構成仕込みに入り、ウェイターならテーブル周りや椅子、床周りを掃除したり、飲み物での仕込みや、お客さんの求めるニーズに合わせて、準備をして開店準備を図り、
時間になったら開店し、その日の求められる仕事に応対し、オーダーされたものを作り提供し、対価を得ます。
日々にはこれが繰り返され、その店の価値が上がれば繁盛し、下がれば衰退し、悪い場合は閉店するはめになり、仕事はなくなります。
物事は全部似ていて、私のレッスンの仕事でも同じ、たまに仕事を引き受ける映像番組でも同じ、
武術競技の大会参加でも同じ、イベント企画開催でも同じ、
究極的には全部が全部似たようなものです。
政財界なら、財界は自分たちの業種が儲かるために「何か」を考え、それを実現するために政治家達へオーダーを働きかけ、
現代日本の政治家たちも経済的恩恵を授かれるためになら、そのオーダーによって共に計画を立てて、政策を作り、国会運営で同意を得れば政策を実行します。
しかしながら、日本もこれだけ多くの人間たちが考え動いているので、
そのまま計画通りに動かせることはなく、いろいろとその変遷においては、予測がつかなくとも、
大方「想定の範囲内」において成果を上げれば善しと考えて行っているはずです。
伝統中国大陸文化の感覚とは何かと面白いもので、
麻雀という遊戯は、牌が人間界であると想定したり、あるいはマーケットを想定して、自身の方へ常にチャンスを呼び込むシミュレーションゲームであり、
将棋は戦略、囲碁は占有、あるいは洗脳という感覚を高める遊戯で、中国発祥の遊戯文化はすべてがすべて「戦略的」で「実効的」な勝利を収めるためのものが多いという事実は興味深いです。
ここ数年にレッスンに参加される皆さんの反応で確信を感じたことがあります。
多くの日本人はあたかも「同調圧力」のような統一されたメディア情報の単語や、コメンテーターの発言に暗黙のうちに同意し、
それを統一見解として、ひとつの世界観を持つ人間たちの構成する世界の世の中の風潮や傾向を築くように図られています。
統一見解とは異なる意見には、認識をしない、あるいは疎遠、敵視、排除までを共通して行うような感覚を持つ人間たちを現代日本では生成する方向性へ導かれていきます。
それが世間で上げたと思えば落とし、落としたか、と思えば上げてを何の不思議も不自然さもなく行っていく一部分人間たちの一員になります。
そのことが後になって「何で」とか「どうして」をみんなで繰り返す「後の祭り」の連続が起きていく原因と理由です。
これからの日本国内での政の内容は、もう大体が世間に紹介されていますので詳細は省きますが、私の政策に対する「対策」は、
部分的発展から始めて、気付いた方々が自発的に追随し、全体的発展へと結びつくような展開でやっていこうと思います。
それは、ここ数年で多く感じたことは「手遅れ」の人々がたくさんあって、気遣いがたくさんあっても、それらに何らかの理由があるのか「気付けない」「関心のない」感覚になってしまっていることで、
今年からは様々な応対感覚は切り替えて、
チャンスのある方々へ、より多くのチャンスを、
人によってはチャンスがあるのに冷淡で無関心な場合に、今年からは、
「小さな親切」の想いが「大きなお世話」になってしまうのも、よくないので、
その無関心に同調をしていく応対でいこうと思います。
世の中は様々な人間たちの勢力のアクションが影響を与えることはありますが、所詮は人間たちの世界なので大自然に及ぶことはなく、
大自然はすべての根本であり、大自然に寄り添うことが一番の強みになる事実を大事にしています。
それは咲いた可憐で健気な花に気付けるのと、気付けないことと類似していると思うのです。
今年も明るく、楽しく、元気よく頑張ります。