
先日に、三浦の海を見て「波」を見ながら考えていたことがありました。
「波」は、
「水」があるから起こるのか、
あるいは、
「風」があるから起こるのか、
「水」か「風」のどちらか、なのか・・
これは「どちらか」ではなく、
私は「水」があり、「風」が来るからこそ、
「波」は、そこから自ずから意識をしてこそ起こるのだ。
と瞬時に結論を実感しました。
「水だ~」とか「風だ~」とか「あるいは波は~」とかいう財界の都合よい手先に使われる報道機関会社に雇われた、
従業員連中の迷いのおままごと仕事理論から、作られる世論・印象操作の「術:すべ」のすべてはすべてに、これからの新生21世紀型の日本社会には、まったくに「意味なし」「必要なし」と悟りました。
「言葉」の通り、「言」の「葉」
言うだけ言っても、散るように消え去るのみで、、
所詮、根も葉もなく、
後に、再生すら叶わぬ、
誰からも忘れられるだけの存在・・・
(唯一、正しい知性や教養を持てず、分析・判断能力、実践力に乏しい方々は、今まで同様に平然と世間へと流される「詐欺的行為」情報に変わらずに騙され続けてその不安感を払拭できないだけで、それもまた個人個人の克服すべき課題ゆえです)
今年2014年は2012年からの2年間での将来に向けた新しい礎を築くための計画を達成するために、正直、計画を達成するためには「どうなってでもいい」という決心で始めて、一瞬とも揺らぐようなものはなく、ひたすら一辺倒に自らの目指す生き方の方針に沿って、実践・行動・アクションを行ってきました。
この2年間、朝昼晩とレッスンの中で、感じたことは、
来年に戦後70周年を迎える国際社会情勢の中で、当然に我が日本国民たちも様々な環境に置かれることになるでしょう。
しかしながら、この大きな変化を迎え、新しい国際秩序へと世界が動き出していく中で、私は今すべての武術活動の中で感じてきたものが「たくさん」あります。
過去は過去、今は今。
未来は未来。
過去の尊い想いは、個人個人に「誰にも荒らされないところ」へそっと大切な聖域へと置いて、そこを静かに守り、
来るべき未来へは、変化における変化に応対し、
どんな状況であってでも、自らが活き活きと楽しく有意義に明るい生活をしたたかに充実させていく能力が重要だと感じています。
この1週間ほど、でもう西暦を基準とするキリスト教を信仰する国家観の世界ではクリスマス前に、財界と政治家たちは総仕上げの仕事を様々なかたちで図るでしょう。
日本はその後に太陽暦でのハッピーニューイヤーを迎えて、その後に寒気の到来があってより冬が厳しくなって来てから、
太陰暦の春節、正月元日は2015年2月19日です。
もう3段階かけて、新しい時代を迎える準備ができました。
我々のこれからの活動では、この2年間で身につけた力は、大いに発揮できそうです。
選挙が終わり、大方の予測通りに財界:経済界とその下僕の役者の政治家達のメンバーが決まっても、
基本的なスタンスとして、彼らは日本国民全体に善かれ、とすることはなく、
「党利党略」で都合よき者たち同士で「政権運営」と「政策」を使って、相変わらず適当にやっていく構図は、今まで通りになるだけなので、
別に大して意識はせず、
私達は、私達の発展と繁栄。
楽しみと喜び。
明るい未来への展望と新しい計画へのスタートをするだけです。
来年2015年からのテーマは決まりました。
「気にしないものは、気にしない」「興味ないものは、興味なし」
何があっても我々は前に進み発展し、無理なく楽しく素晴らしい未来に向けて成功をするための生き方と努力をしていく。
その逆に、今年の春から世に出始めた最新スーパー・コンピューター解析での判明した7大疾患と呼ばれる現代病に現代日本社会人での病人・患者での共通した身体状況での「医科学的分析データ」の結果のすごい事実の判明があって、
この後には「すべてというすべての理由」が、健康長寿国世界一の誇りある国民性にて、
ここまで「病気の正体」が明確に解っている時代が到来したのに、
心身が「不健全」になる生活習慣をこれまでに気付かずに過ごし、
あるいはこれだけ毎朝に満員電車で苦しいほど多くの人間があちこちにいて何時だって誰でもスマートフォンでありとあらゆる情報の数々をITで瞬時に調べ、得られる状況のはずなのに、
気付ける人たちが周りにまったくいないという、この皮肉な現代的社会環境の凄さ、
前に進まない、発展のない、ストレスだらけで、つまらない、未来を明るく成功の実現をさせられるための生き方や努力が不可能にさせられ、
いつも最期は悲観的で消極的な「もの」が残るような感覚や環境の皆さんたちは申し訳ない意見を述べますが、
これまでに多くの時間があったはずなのに、変革ができなくて、
元気で「前向きな人」から元気を奪い「後ろ向き側人間」にしてしまうようなことを平気で習慣に行ってしまっている人たちには、
私のこれまでにやってきた経験から現在の時点で持つようになってしまった個人的な見解としてでは、
今後には周りに厄介な病をもたらしてしまう使者を気付かずでもしてしまうような「疫病神」になってしまった一員とみなします。
「触らぬ神に祟りなし」
「笑う門に福来る」
「君子危うきに近寄らず」
思えば、青少年、私達の壮年たちを見てきて、
伝統日本文化をないがしろにして、長き東洋精神を破棄して、
欧米文化にどっぷり漬かり、
「しては駄目」ということをいっぱいやって「駄目」になり、
「した方が善い」ということを、まったくやらないで、
そういう「結果」を己で導いて、
まさしく、すべてにすべてが「因果応報」
これらは現代医科学的な研究結果で証明されたことで、これからは「良いものは良く」そうではないものは、そうではないと、徹底的にいきます。
それにこれまで世間で「常識的」な生き方をしていて「楽しそうな人」を見たことのない「常識!?」
そこそこに適当にやってきた、既存政府や政権が遊んでいるようなライフワークをやっていて、一生懸命に必死な国民を騙してでも遂行してきた「英米式政策」を「○○テレビ」「○○新聞」「週間○○」という同一報道機関を使ってまで、
国民を自ずから「洗脳:マインドコントロール」されるように見聞するように謀るマスメディアと、その財界オーナー連中たちが政治家も活用してまでも流す「プロパガンダ」という「常識」報道をやっていく米国政府的な世界感覚で日本で行ってきた「やり方」なんて、
それに実際は、彼等の毎日行っていく情報戦略での洗脳工作なんて、ただの映像と音声と文字だけの羅列なので、精神力と肉体力が強ければまったく通用しないので、今後は楽勝です。
来年以降の現代日本社会では「全体的にうまくいく」のと「全体的にうまくいかない」という「二極間構造」になっていく、という表現をする方々が多いですが私もそう感じています。
戦後の全体的な平均的発展の時代は終わり、部分的な方々のひたすらに今までにやってきた前衛的な発展が先行していくことになるだろうと確信をしています。
伝統中国思想哲学「易経」の冒頭にある文言。
「自強不息:自ずから怠けなければ、誰でも必ずに心身は強くなれる」
これは、各自各自の誠心誠意ある、意識の力が心身や技能が無形の武器となり、強みとなっていき、
努力や気概の満足感に乏しく、何かと依存に依存をする生き方にこれからの21世紀型国際社会で発展はなく、興味はなし。
自強不息。