ここ数年の間に続いてきた日本と中国、あるいは中国と日本。
私も今までにずっと中国武術を通じた民間交流を長く深く行ってきた関係があった中で、
その狭間で、いろいろと大変な思いをしてきました。
でも、今振り返れば、こうした冷え切った関係が国際財界関係間、政府間の問題で起きたとしても、
やはり人と人。
日本と中国の交流というのは、2000年間あり、相互発展の関係で今日まで来ることができました。
先週から今週は、たくさんの新しい21世紀型の繁栄に向けて「アジア」が共に仲良く頑張って行こう、という方向へ動き出し、
とても嬉しく思います。
日中関係「良くなると信じる」 中国高官が祝賀行事で
中国外務省の劉建超次官補は27日、北京の日本大使公邸で開かれた天皇誕生日祝賀レセプションに出席した。
記者団に「中日関係は最終的には良くなると信じる」と述べ、2年半ぶりに実現した日中首脳会談を踏まえた一層の努力が必要との認識を示した。
劉氏は中国外務省の日本担当部門を束ね、対日交渉の窓口も担う高官。記者団に「中日関係はここ数年の困難を経て、非常に重要な一歩を踏み出した」と首脳会談と、尖閣諸島問題などを含む4項目の合意文書の意義を強調。
「重要なのは双方が4項目の合意文書を守り、関係改善への誠意を示すことだ」と述べ、信頼関係の構築にはさらに努力が必要との見方を示した。
首脳会談で両国に関係修復の兆しが生まれる中、劉氏は予定を超えて2時間近く大使公邸にとどまり、用意された日本の郷土料理や酒なども味見。
「これだけ多くの人が出席しているのは、両国の友情の土台の厚さの表れだ」と述べた。
日中韓文化大臣会合 共同声明を採択
「日中韓文化大臣会合」が横浜市で開かれ、若い世代の芸術家の交流を進めることや、新潟市など3都市を来年の「東アジア文化都市」に選定し、さまざまな交流事業を行うことなどを盛り込んだ共同声明を採択しました。
会合には、下村文部科学大臣をはじめ、日本、中国、韓国の担当大臣らが出席し、今後の文化交流の進め方などを話し合い「横浜共同声明」を採択しました。
この中では「未来志向の文化交流と協力を確立させることが3か国の文化の向上をもたらし東アジアの平和と繁栄の礎になるとの認識を共有した」として、伝統芸術や現代芸術などの分野で若い世代の芸術家の交流を進めるほか、日中韓芸術祭を毎年開催するとしています。
また、新潟市など3都市を来年の「東アジア文化都市」に選定し、さまざまな交流事業を行うなどとしています。
下村大臣は共同記者会見で、「文化交流を通じて日中韓3か国の友好関係をさらに深めていくことで、認識の一致を見た」と述べました。一方、記者会見では韓国人の窃盗グループによって長崎県対馬市の寺から盗まれた仏像について、下村大臣が「一刻も早く返還されるべきだ」と述べたのに対し、韓国のキム・ジョンドク(金鍾徳)文化体育観光相は、韓国の司法当局の判断を待つ考えを示すとともに、29日に下村大臣と会談した際、朝鮮半島から日本に持ち出された文化財の返還を協議する場の設置を提案したことを明らかにしました。
日中関係、軍同士の交流再開に期待=河野統幕長
自衛隊トップの河野克俊統合幕僚長(海将)は28日、ロイターのインタビューに応じ、緊張緩和の兆しが出てきた中国との関係について、制服組の首脳による相互訪問など、防衛交流の再開に期待を示した。
日中は尖閣諸島(中国名・釣魚島)をめぐって関係が冷え込んでいたが、11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)で両国首脳が約3年ぶりに会談した。河野統幕長は「一歩一改善に向かうことを望んでいる」と指摘。「政治レベルの関係が再構築されて、軍同士の交流ということになってくる」と語った。
まずは安倍晋三首相と習近平国家主席の間で一致した、空や海での偶発的な衝突を回避する「海上連絡メカニズム」の構築を進めるが、河野統幕長は「環境が整えば(軍の)トップ同士の相互訪問、中級幹部レベルの協議再開などの機会も出てくる」と述べた。「互いに席に着く意味は大きい」と語った。
河野統幕長は海上自衛隊のトップを経て、今年10月に現職に就いた。島しょ防衛を強化中の自衛隊は水陸両用部隊を創設する計画で、同統幕長は「今までやってこなかった分野、ここについて特に早期の戦力化を図ってゆきたい」と述べた。
また、開発に向け研究中の多機能艦艇について「水陸両用作戦にも活用できるものにしたいと考えている」と語った。多機能艦艇には指揮統制や補給機能を持たせるほか、新型輸送機オスプレイなどの航空機や水陸両用車を搭載できるようにすることを検討している。
やっぱり「健さん・・」
高倉健さんと日中の蜜月時代=「高倉さんの後継者の出現を期待」
2014年11月19日、中国紙・人民日報は、先日亡くなった日本の映画俳優・高倉健さんにまつわる日中関係の蜜月時代に関する記事を掲載した。
日本映画を代表する俳優・高倉健さんが10日午前に亡くなった。日本社会に大きな悲しみとショックを与えただけでなく、多くの中国人民からもため息が漏れ、惜しむ声が聞かれた。高倉健さんは中国の一時代の記憶であり、その時代の中国人に日本人スターに対する特殊な感情を抱かせた。
高倉健さんの作品の中で印象が最も深いのは、日本では「幸福の黄色いハンカチ」だろうが、中国では「君よ憤怒の河を渉れ(中国タイトル:追捕)」である。「君よ憤怒の河を渉れ」は、1976年に製作された映画で、中国では文化大革命後の初めての日本映画として79年に公開された。
主人公・杜丘冬人を演じた高倉健さんは、中国国民を感動させ、その名声は中国全土に広がり、大スターとなった。中国国民にとってこの映画は日本や近代社会を理解するきっかけとなったものだった。
当時の中国では、「日本」と「近代化」は同じような位置づけにあり、多くの中国人がこの映画を通じて、中国に対する日本近代化モデルの意義を考えた。この映画に代表される日本映画が、当時の中国人の近代国家や近代化に対するあこがれを強くさせたと言っても過言ではないだろう。
中国映画界の巨匠・張芸謀(チャン・イーモウ)監督は、当時の日本映画の影響を大きく受けた文化人の1人で、後に高倉健さん主演の「単騎、千里を走る。(中国名:千里走単騎)」を製作した。
過去120年余りの歴史の中で1970年代、80年代は、日中関係が最も“暖かい”時代だっただろう。多くの政治家が両国間を往来し、困難な状況の中でも大局に立って両国関係を守ってきた。
現在の中国において、高倉健さんのような影響力を持つ日本人は存在しない。高倉健さんの死は、1つの時代の終わりの始まりを象徴しているのかもしれない。高倉健さんと同世代のスター、中野良子さんや栗原小巻さんなども、日中両国に貴重な影響を与えてくれた。それは、民間のパワーを信じることであり、文化のパワーを信じることである。
ここ数年、日中関係は徐々に離れていく傾向にあり、両国を取り巻く環境も複雑になっているが、こうした巨大なうねりの中で高倉健さんの後継者が現れることを期待したい。
私も今までにずっと中国武術を通じた民間交流を長く深く行ってきた関係があった中で、
その狭間で、いろいろと大変な思いをしてきました。
でも、今振り返れば、こうした冷え切った関係が国際財界関係間、政府間の問題で起きたとしても、
やはり人と人。
日本と中国の交流というのは、2000年間あり、相互発展の関係で今日まで来ることができました。
先週から今週は、たくさんの新しい21世紀型の繁栄に向けて「アジア」が共に仲良く頑張って行こう、という方向へ動き出し、
とても嬉しく思います。
日中関係「良くなると信じる」 中国高官が祝賀行事で
中国外務省の劉建超次官補は27日、北京の日本大使公邸で開かれた天皇誕生日祝賀レセプションに出席した。
記者団に「中日関係は最終的には良くなると信じる」と述べ、2年半ぶりに実現した日中首脳会談を踏まえた一層の努力が必要との認識を示した。
劉氏は中国外務省の日本担当部門を束ね、対日交渉の窓口も担う高官。記者団に「中日関係はここ数年の困難を経て、非常に重要な一歩を踏み出した」と首脳会談と、尖閣諸島問題などを含む4項目の合意文書の意義を強調。
「重要なのは双方が4項目の合意文書を守り、関係改善への誠意を示すことだ」と述べ、信頼関係の構築にはさらに努力が必要との見方を示した。
首脳会談で両国に関係修復の兆しが生まれる中、劉氏は予定を超えて2時間近く大使公邸にとどまり、用意された日本の郷土料理や酒なども味見。
「これだけ多くの人が出席しているのは、両国の友情の土台の厚さの表れだ」と述べた。
日中韓文化大臣会合 共同声明を採択
「日中韓文化大臣会合」が横浜市で開かれ、若い世代の芸術家の交流を進めることや、新潟市など3都市を来年の「東アジア文化都市」に選定し、さまざまな交流事業を行うことなどを盛り込んだ共同声明を採択しました。
会合には、下村文部科学大臣をはじめ、日本、中国、韓国の担当大臣らが出席し、今後の文化交流の進め方などを話し合い「横浜共同声明」を採択しました。
この中では「未来志向の文化交流と協力を確立させることが3か国の文化の向上をもたらし東アジアの平和と繁栄の礎になるとの認識を共有した」として、伝統芸術や現代芸術などの分野で若い世代の芸術家の交流を進めるほか、日中韓芸術祭を毎年開催するとしています。
また、新潟市など3都市を来年の「東アジア文化都市」に選定し、さまざまな交流事業を行うなどとしています。
下村大臣は共同記者会見で、「文化交流を通じて日中韓3か国の友好関係をさらに深めていくことで、認識の一致を見た」と述べました。一方、記者会見では韓国人の窃盗グループによって長崎県対馬市の寺から盗まれた仏像について、下村大臣が「一刻も早く返還されるべきだ」と述べたのに対し、韓国のキム・ジョンドク(金鍾徳)文化体育観光相は、韓国の司法当局の判断を待つ考えを示すとともに、29日に下村大臣と会談した際、朝鮮半島から日本に持ち出された文化財の返還を協議する場の設置を提案したことを明らかにしました。
日中関係、軍同士の交流再開に期待=河野統幕長
自衛隊トップの河野克俊統合幕僚長(海将)は28日、ロイターのインタビューに応じ、緊張緩和の兆しが出てきた中国との関係について、制服組の首脳による相互訪問など、防衛交流の再開に期待を示した。
日中は尖閣諸島(中国名・釣魚島)をめぐって関係が冷え込んでいたが、11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)で両国首脳が約3年ぶりに会談した。河野統幕長は「一歩一改善に向かうことを望んでいる」と指摘。「政治レベルの関係が再構築されて、軍同士の交流ということになってくる」と語った。
まずは安倍晋三首相と習近平国家主席の間で一致した、空や海での偶発的な衝突を回避する「海上連絡メカニズム」の構築を進めるが、河野統幕長は「環境が整えば(軍の)トップ同士の相互訪問、中級幹部レベルの協議再開などの機会も出てくる」と述べた。「互いに席に着く意味は大きい」と語った。
河野統幕長は海上自衛隊のトップを経て、今年10月に現職に就いた。島しょ防衛を強化中の自衛隊は水陸両用部隊を創設する計画で、同統幕長は「今までやってこなかった分野、ここについて特に早期の戦力化を図ってゆきたい」と述べた。
また、開発に向け研究中の多機能艦艇について「水陸両用作戦にも活用できるものにしたいと考えている」と語った。多機能艦艇には指揮統制や補給機能を持たせるほか、新型輸送機オスプレイなどの航空機や水陸両用車を搭載できるようにすることを検討している。
やっぱり「健さん・・」
高倉健さんと日中の蜜月時代=「高倉さんの後継者の出現を期待」
2014年11月19日、中国紙・人民日報は、先日亡くなった日本の映画俳優・高倉健さんにまつわる日中関係の蜜月時代に関する記事を掲載した。
日本映画を代表する俳優・高倉健さんが10日午前に亡くなった。日本社会に大きな悲しみとショックを与えただけでなく、多くの中国人民からもため息が漏れ、惜しむ声が聞かれた。高倉健さんは中国の一時代の記憶であり、その時代の中国人に日本人スターに対する特殊な感情を抱かせた。
高倉健さんの作品の中で印象が最も深いのは、日本では「幸福の黄色いハンカチ」だろうが、中国では「君よ憤怒の河を渉れ(中国タイトル:追捕)」である。「君よ憤怒の河を渉れ」は、1976年に製作された映画で、中国では文化大革命後の初めての日本映画として79年に公開された。
主人公・杜丘冬人を演じた高倉健さんは、中国国民を感動させ、その名声は中国全土に広がり、大スターとなった。中国国民にとってこの映画は日本や近代社会を理解するきっかけとなったものだった。
当時の中国では、「日本」と「近代化」は同じような位置づけにあり、多くの中国人がこの映画を通じて、中国に対する日本近代化モデルの意義を考えた。この映画に代表される日本映画が、当時の中国人の近代国家や近代化に対するあこがれを強くさせたと言っても過言ではないだろう。
中国映画界の巨匠・張芸謀(チャン・イーモウ)監督は、当時の日本映画の影響を大きく受けた文化人の1人で、後に高倉健さん主演の「単騎、千里を走る。(中国名:千里走単騎)」を製作した。
過去120年余りの歴史の中で1970年代、80年代は、日中関係が最も“暖かい”時代だっただろう。多くの政治家が両国間を往来し、困難な状況の中でも大局に立って両国関係を守ってきた。
現在の中国において、高倉健さんのような影響力を持つ日本人は存在しない。高倉健さんの死は、1つの時代の終わりの始まりを象徴しているのかもしれない。高倉健さんと同世代のスター、中野良子さんや栗原小巻さんなども、日中両国に貴重な影響を与えてくれた。それは、民間のパワーを信じることであり、文化のパワーを信じることである。
ここ数年、日中関係は徐々に離れていく傾向にあり、両国を取り巻く環境も複雑になっているが、こうした巨大なうねりの中で高倉健さんの後継者が現れることを期待したい。