勝ちを望めば逆上し措置を誤り、進退を失う。防御に尽くせば退縮の気が生じ乗ぜられる。だから俺はいつも、先ず勝敗の念を度外に置き虚心坦懐事変に対応した。
自分の価値は自分で決めることさ。つらくて貧乏でも自分で自分を殺すことだけはしちゃいけねぇよ。
オレは、(幕府)瓦解の際、日本国のことを思って徳川三百年の歴史も振り返らなかった。
どうも、大抵の物事は(外部からではなく)内より破れますよ。
行政改革というものは、余程注意してやらないと弱い物いじめになるよ。
肝心なのは、改革者自身が己を改革する事だ。
やるだけのことはやって、後のことは心の中でそっと心配しておれば良いではないか。どうせなるようにしかならないよ。(日本の行く末等を心配している人たちに)
いつ松を植えたか、杉を植えたか、目立たないように百年の大計を立てることが必要さ。
文明、文明、というが、お前ら自分の子供に西欧の学問をやらせて、それでそいつらが、親の言うことを聞くかぇ?
ほら、聞かないだろう。親父はがんこで困るなどと言ってるよ。
敵は多ければ多いほど面白い。
(勝自身も、生きている間は無論、亡くなってからも批判者が多いことは、十分に理解していた)
我が国と違い、アメリカで高い地位にある者はみなその地位相応に賢うございます。(訪米使節から帰還し、将軍家茂に拝謁した際、幕閣の老中からアメリカと日本の違いは何か、と問われての答弁)
ドウダイ、鉱毒はドウダイ。
山を掘ることは旧幕時代からやって居たが、手の先でチョイチョイ掘って居れば毒は流れやしまい。海へ小便したって海の水は小便になるまい。
今日は文明だそうだ。元が間違っているんだ。
(足尾銅山の公害が明白になってもなお採掘を止めない政府に対して)
世の中に無神経ほど強いものはない。
今までは人並みなりと思ひしに五尺に足りぬ四尺(子爵)なりとは(当初は子爵の内示だったが、左記の感想を述べ辞退、のちに伯爵を授爵したという説と伯爵叙爵の祝いの席に子爵叙爵と勘違いして来た客をからかって詠んだ歌という説がある。
だが、宮島誠一郎が語った上記の逸話を踏まえれば「伯爵叙爵の祝いの席に子爵叙爵と勘違いして来た客をからかって詠んだ歌」という説の方が自然とも言える。
勝の身長は実際に五尺ちょっとで、当時の人の中にあっては実際人並みであるが、西郷など長身だった者も維新で活躍した中には多く、その自身の身長に掛けている。事実、勝は自分のことをよく「小男」などと表現している)
世間では(日清戦争を)百戦百勝などと喜んで居れど、支那では何とも感じはしないのだ。
そこになると、あの国はなかなかに大きなところがある。
支那人は、帝王が代らうが、敵国が来り国を取らうが、殆ど馬耳東風で、はあ帝王が代つたのか、はあ日本が来て、我国を取つたのか、などいつて平気でゐる。
風の吹いた程も感ぜぬ。
感ぜぬも道理だ。一つの帝室が亡んで、他の帝室が代らうが、誰が来て国を取らうが、一体の社会は、依然として旧態を損して居るのだからノー。
国家の一興一亡は、象の身体(からだ)を蚊(か)か虻(あぶ)が刺すくらゐにしか感じないのだ。
ともあれ、日本人もあまり戦争に勝つたなどと威張つて居ると、後で大変な目にあふヨ。
剣や鉄砲の戦争には勝つても、経済上の戦争に負けると、国は仕方がなくなるヨ。
そして、この経済上の戦争にかけては、日本人はとても支那人には及ばないだらうと思ふと、俺は密かに心配するヨ。
日清戦争には、おれは大反対だつたよ。
なぜかつて、兄弟喧嘩だもの犬も喰はないじゃないか。
たとえ日本が勝つてもドーなる。
支那はやはりスフインクスとして外国の奴らが分らぬに限る。
支那の実力が分つたら最後、欧米からドシドシ押し掛けて来る。
ツマリ欧米人が分からないうちに、日本は支那と組んで商業なり工業なり鉄道なりやるに限るよ。
一体支那五億の民衆は日本にとつては最大の顧客サ。
コレデオシマイ (亡くなるときの最後の言葉。作家の山田風太郎は、自身の著書『人間臨終図巻』の中で、勝のこの言葉を「臨終の際の言葉としては最高傑作」と評している)
自分の価値は自分で決めることさ。つらくて貧乏でも自分で自分を殺すことだけはしちゃいけねぇよ。
オレは、(幕府)瓦解の際、日本国のことを思って徳川三百年の歴史も振り返らなかった。
どうも、大抵の物事は(外部からではなく)内より破れますよ。
行政改革というものは、余程注意してやらないと弱い物いじめになるよ。
肝心なのは、改革者自身が己を改革する事だ。
やるだけのことはやって、後のことは心の中でそっと心配しておれば良いではないか。どうせなるようにしかならないよ。(日本の行く末等を心配している人たちに)
いつ松を植えたか、杉を植えたか、目立たないように百年の大計を立てることが必要さ。
文明、文明、というが、お前ら自分の子供に西欧の学問をやらせて、それでそいつらが、親の言うことを聞くかぇ?
ほら、聞かないだろう。親父はがんこで困るなどと言ってるよ。
敵は多ければ多いほど面白い。
(勝自身も、生きている間は無論、亡くなってからも批判者が多いことは、十分に理解していた)
我が国と違い、アメリカで高い地位にある者はみなその地位相応に賢うございます。(訪米使節から帰還し、将軍家茂に拝謁した際、幕閣の老中からアメリカと日本の違いは何か、と問われての答弁)
ドウダイ、鉱毒はドウダイ。
山を掘ることは旧幕時代からやって居たが、手の先でチョイチョイ掘って居れば毒は流れやしまい。海へ小便したって海の水は小便になるまい。
今日は文明だそうだ。元が間違っているんだ。
(足尾銅山の公害が明白になってもなお採掘を止めない政府に対して)
世の中に無神経ほど強いものはない。
今までは人並みなりと思ひしに五尺に足りぬ四尺(子爵)なりとは(当初は子爵の内示だったが、左記の感想を述べ辞退、のちに伯爵を授爵したという説と伯爵叙爵の祝いの席に子爵叙爵と勘違いして来た客をからかって詠んだ歌という説がある。
だが、宮島誠一郎が語った上記の逸話を踏まえれば「伯爵叙爵の祝いの席に子爵叙爵と勘違いして来た客をからかって詠んだ歌」という説の方が自然とも言える。
勝の身長は実際に五尺ちょっとで、当時の人の中にあっては実際人並みであるが、西郷など長身だった者も維新で活躍した中には多く、その自身の身長に掛けている。事実、勝は自分のことをよく「小男」などと表現している)
世間では(日清戦争を)百戦百勝などと喜んで居れど、支那では何とも感じはしないのだ。
そこになると、あの国はなかなかに大きなところがある。
支那人は、帝王が代らうが、敵国が来り国を取らうが、殆ど馬耳東風で、はあ帝王が代つたのか、はあ日本が来て、我国を取つたのか、などいつて平気でゐる。
風の吹いた程も感ぜぬ。
感ぜぬも道理だ。一つの帝室が亡んで、他の帝室が代らうが、誰が来て国を取らうが、一体の社会は、依然として旧態を損して居るのだからノー。
国家の一興一亡は、象の身体(からだ)を蚊(か)か虻(あぶ)が刺すくらゐにしか感じないのだ。
ともあれ、日本人もあまり戦争に勝つたなどと威張つて居ると、後で大変な目にあふヨ。
剣や鉄砲の戦争には勝つても、経済上の戦争に負けると、国は仕方がなくなるヨ。
そして、この経済上の戦争にかけては、日本人はとても支那人には及ばないだらうと思ふと、俺は密かに心配するヨ。
日清戦争には、おれは大反対だつたよ。
なぜかつて、兄弟喧嘩だもの犬も喰はないじゃないか。
たとえ日本が勝つてもドーなる。
支那はやはりスフインクスとして外国の奴らが分らぬに限る。
支那の実力が分つたら最後、欧米からドシドシ押し掛けて来る。
ツマリ欧米人が分からないうちに、日本は支那と組んで商業なり工業なり鉄道なりやるに限るよ。
一体支那五億の民衆は日本にとつては最大の顧客サ。
コレデオシマイ (亡くなるときの最後の言葉。作家の山田風太郎は、自身の著書『人間臨終図巻』の中で、勝のこの言葉を「臨終の際の言葉としては最高傑作」と評している)