
秋が深まると、関東地方の景観は静けさが広がり、落ち着いた風景に囲まれ、この時候が好きです。
何かしら、この時期になると、
自分の「青年」時代を思い出します。
私の10代後半、20代前半に精神的、思考的に、一番大きな影響を与えたのは「森鴎外」の文学作品でした。
中でも、
「妄想」からの一文。
生れてから今日まで、自分は何をしてゐるか。始終何物かに策(むち)うたれ駆られてゐるやうに学問といふことに齷齪(あくせく)してゐる。
これは自分に或る働きが出来るやうに、自分を為上(しあ)げるのだと思つてゐる。其目的は幾分か達せられるかも知れない。
併し自分のしてゐる事は、役者が舞台へ出て或る役を勤めてゐるに過ぎないやうに感ぜられる。
その勤めてゐる役の背後(うしろ)に、別に何物かが存在してゐなくてはならないやうに感ぜられる。
策(むち)うたれ駆られてばかりゐる為めに、その何物かが醒覚(せいかく)する暇(ひま)がないやうに感ぜられる。
勉強する子供から、勉強する学校生徒、勉強する官吏、勉強する留学生といふのが、皆その役である。
赤く黒く塗られてゐる顔をいつか洗つて、一寸舞台から降りて、静かに自分といふものを考へて見たい、背後(うしろ)の何物かの面目を覗(のぞ)いて見たいと思ひ思ひしながら、舞台監督の鞭(むち)を背中に受けて、役から役を勤め続けてゐる。此役が即ち生だとは考へられない。
背後(うしろ)にある或る物が真の生ではあるまいかと思はれる。
併しその或る物は目を醒(さ)まさう醒(さ)まさうと思ひながら、又してはうとうとして眠つてしまふ。
此頃折々切実に感ずる故郷の恋しさなんぞも、浮草が波に揺られて遠い処へ行つて浮いてゐるのに、どうかするとその揺れるのが根に響くやうな感じであるが、これは舞台でしてゐる役の感じではない。併しそんな感じは、一寸頭を挙げるかと思ふと、直ぐに引つ込んでしまふ。
そして「青年」からの一文。
一体日本人は生きるということを知っているだろうか。
小学校の門を潜(くぐ)ってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駈け抜けようとする。
その先きには生活があると思うのである。
学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為(な)し遂げてしまおうとする。
その先きには生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである。
現在は過去と未来との間に劃(かく)した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。
そこで己は何をしている。