
昨日頂いた、偉大な華道家 勅使河原蒼風先生の「花伝書」をこの1日で一気に読み終わりました。
「もう何も怖れるものはない」
ここまでに集中して読書したことは久しぶりで、お会いすることもなかった勅使河原先生からの激励のお言葉に心強さと、
更なる自分自身の精神性を磨き高めるためだけの意気込みの数々が自分の中から沸き起こる感覚がありました。
何か、本当に「目に見えない何か」からの、働きに感謝に感謝の念を思います。
これから蒼風先生の「花伝書」のお言葉からの引用と、自身の思う素朴な所感とを合わせた「想い」を、
これから綴ってみたいと思います。
今日はその記念すべき1回目です。
あまりにも有名な文言はあえて、避けて、
その時々、感じた文言の中から綴りたいと思います。
「花伝書」より、
花はかならずしも、優しく、美しく、はかない、といったものがすべてではない。
実に執拗で、頑丈で、怪奇に満ちているものでもある。
人間は、花のもつ そのような謎に富んだ言葉から、はてなく空想を沸かすのである。
偶然か、必然か、
昨年2013年8月に日本へ訪問され、そこから新しい活動を行うきっかけになった、私にとっての最重要人物は「花妙林」老師でした。
花老師の名字は「花」
実は中国では結構珍しい名字です。
花老師は来日時に私に、こう聞きました。
「Chengze:成澤、日本で指導する仕事の中で何が一番大変か?」
私、
「花老師、日本人の多くはマスコミが右を向け、といえば迷わずみんなが右へ向き、左へ向け、といえば迷わず左へ向きます。それは間違いであってでも、向けといえば正しいと思うことで、自分は逆で怖くなります」
花老師「それで・・・」
私、
「私は衣食住、運動習慣、精神面・肉体面における、すべてによるすべてを研究し、日々朝昼晩とすべてをベストの状態で、武術、太極拳、健身気功の指導の仕事にあたっています」
花老師「素晴らしいことじゃないか、何の心配すらないじゃないか!」
私、
「実は、多くの現代日本社会人は精神的にも、肉体的にも不健康な人々が多く、彼等を如何に救おうか、と一生懸命にと考えていて 多くの善かれと思うことでのメッセージを発し、指導でも努力し、最新日本医科学データを常に収集しては、そこから分析し、
彼等にとって、本当に正しい情報だけを伝えたい、と努力していても、
彼等は私に同調するどころか、マスメディアから大量に流され続ける誤った情報ばかりを信じて、私がずっと学んで来た 尊き伝統中国の歴史ある養生のことや、リアルタイムでの中国での事実情報のことの多くを、疑い、嘘だと、感じて逆に 非難や批判の言葉を浴びせられるのです」
花老師「それで」
私、
「それらが、日本人における、私にとっては、大きなストレス:精神的不快感を覚えます」
「Chengze:成澤、違うよ、喜べよ!お前が正しいと実感していて実践をしていたのなら楽しめよ!安心しろよ、お前を非難する人間達の多くはお前よりも確実に早く不健康になって、自分自身の理由から、早死にするだけで、お前には全く関係ないじゃないか。大丈夫じゃないか。悩むことは、意味がない!」
「お前が悩むのは、意味がない!」
私「・・・」
「確かにそうだ、先生の言うことは正しい!」
「俺が祖国日本、日本人のことを想い、考え、正しく実践していることに、対し、7大疾患と呼ばれる生活習慣病は欧米食ばかりに依存し、運動不足から来る体質でなるだけなのに、俺が心配しても奴等が勝手になって苦しんでいるだけで、善くなるためにとアドバイスしているのに、逆に嫌悪感の言葉を浴びせてくる、歴史長きアジア文化を捨てての戦後の欧米文化に洗脳された現代日本社会人たちこそが、非国民じゃないか!」
勅使河原先生のお言葉。
花はかならずしも、優しく、美しく、はかない、といったものがすべてではない。
実に執拗で、頑丈で、怪奇に満ちているものでもある。
その通りだ、ふてぶてしさは大事だ。
そして、語録の中に、
花はともかく、シオレたらだめである。
シオレた花の美しさというものは絶対にない。
しかし、枯れた花、枯れ枝、枯れた草などには、美しいものがたくさんある。
本当に、まったくにおいてまったくがその通りであり、
私の尊敬する老師はすべてが美しく、功夫も素晴らしく、心身の活気をいつだって心身の中から沸き出て来る泉を与えてくれた、私の心のすべての支えである。
花老師の言葉は正しい、勅使河原先生も正しい。
シオレた花に興味はない。
シオレた武術や太極拳や気功を行う者たちに意識を置くべきではない。
私は、今年は記念すべき、大いなる力を得られた、そんな年になりました。
本当に、「花」を与えて下さった、皆様、有難う御座いました!
これからは、より強く、したたかに、したたかで強くやっていきます。
よろしくお願い致します。