私は6歳小学校1年4月の時分から、12歳小学校卒業の3月まで剣道を学び、同時に水泳をやっていました。

10歳ぐらいからは、独学で当時は中国拳法という名で紹介されていたものを練習するようになり、

今から32年前に中国武術界へ転向しました。

しかしながら2年前の中国武術修練30周年を経た記念にと、何かしら考えていたら、

日本武道の修養感覚が恋しくなり、現在の自分自身の感覚から新しく剣道を総編し、

日本武道神である、鹿島神宮と香取神宮へお参りし、兵法剣術と名付け、ご報告し、日本武道としての再出発も始めました。

それからというもの、何かしら無意識的な中にも心強さが向上するようになり、何事にも屈することなく、むしろ更に強く精進をしようと頑張りました。


私自身は何故かしら、中国武術の老師の皆さんに気にいってもらえて、とても可愛がってもらえて多くを教えてくれました。

最近気付いたことの中に、6歳から始めていた剣道での日本武道的感性が、礼の行いや姿勢にしても、道場にいつも一番に入り、一番最期に出る習慣、

動態視力などが、中国武術で更に活かされていたことを理解しました。


つまりは、伝統中国武術文化を愛し、伝統日本武道文化を尊び、関東人気質の日本人として、祖国日本の皆さんに奉仕し頑張っていこう、という気持ちが更に強くなれた気がします。


中国武術文化は歴史が長く、日本武道のルーツになるものも感じられ、感性的な感覚を重視する日本武道と、

伝統中国武術文化とは、中国古代信仰にも繋がっており、

二十四節季など、陰陽学説の考え方をとり、暦の基になった「易経」

具体的な実践感覚を持つ技法や理論を有する「道教」そして道教医学

「仏教」そして仏教医学。

人間関係や規範の精神を尊び、漢王朝の法律ともなった「儒教」

「儒教」は朱子学が日本武道での規範となった面においても、日本の武道などにも大いに関係があることで、その源流の思想哲学を学んだことで、

改めて日本らしい武道精神、そして現在は広い範囲での伝統アジア武術文化として、私の中に形成されてきた不思議な縁に感謝の思いを感じます。

中国武術を長く形成してきた過程:プロセスには、とても興味深いものがたくさんありました。

最近の本場中国武術界では「大中国武術観」として中国武術理論を本場では重視しています。その中でも「中国武術理論概論」を学んだことは、とてもよかったと思います。


中国武術精神での特徴というものは「健身」「修身」「防身」の3つの融合体であり、

健身は、ありとあらゆる身体機能全体での健全さを高め、修身は、伝統文化を尊ぶ精神修養、

防身は、武術技能としての攻防技術の体得、防衛体力としての免疫機能の向上を図ること、です。

総合して表現すれば仏教での六根清浄(眼根、鼻根、耳根、舌根、身根、識根を清める)になります。

そしてその実践方法としては、

「攻防技術:打つ、蹴る、関節技、体当たり、投げ・受身技の武術五元素」

「套路:拳術や器械・武器術などの単練や対練の型=套路」

「格闘技能」:散招、析招、推手などの用法、対抗性推手 散手攻防技術」

になります。

私達の活動では、試行錯誤を行ってきた結果、格闘技能としては各種拳術などで散招と析招、推手までは行い、

対抗性推手、散手攻防技術のみは上達し、単練や対練よりもステップアップをしたいという各自各自で行えるようになりたい人が出てきたら同レベル同キャリアぐらいで複数があったら行うようにしています。

そしてここまでを「武打」と総合して呼び、

套路競技会(比賽)、毎年の交流会などでの演武会などの腕比べ、コンテスト感覚では「武舞」という概念になります。

そして大切なことは、これらの「武打」「武舞」を備えて、次のステップが「武戯」といいます。

つまりは、武術活動での最終的な核心部分は「武戯」になることがわかります。

指導者や求道者、学生としての「戯」

拠点地域での練習交流活動としての「戯」

市区町村、都道府県の中での「戯」

国際交流、国際競技会、として国際交流の「戯」

つまりは「戯」の意味では、

コミュニケーションや各々同士での友誼を図り、共同発展のための活動ということができます。

もっと判り易くいえば「戯」のないものは、相手に思い遣りがなく、ただの暴力行為としての「喧嘩」

そして「戦争」です。

世界を見れば、今でも地球の何処かでは、ずっと戦争や紛争を繰り返し、人のモノを奪い、深い悲しみや絶望の連鎖を繰り返しています。

中国武術は長き、中国国内での戦争の連続から学んだ教訓を生かして「大中国武術観」を築きました。

現代日本社会を達観すると、

やはり、結果から見ると、国内での財界と行政組織は、組織的命令を受けては、同胞の日本人でありながらも、

人々の自由を奪い、経済的負担を強いて、そして人々同士が諍いを起こしてしまうような環境や状況を作り出してしまっています。

私は中学生になった時から学校の教師は自分たちの味方なのだろうか、社会での企業は味方なのだろうか、

と青年時代は悩んで考えていました。

今こうして武芸を身につけ、教養を身につけ、拠点は16年前に東京を離れ、孫文が身を寄せていた中華街を有し、中国文化交流に関心の高い地でもある横浜へ移し、コツコツと地道な活動を行ってきました。

やはり今想うことは、何とかここまでこぎつけられた嬉しさから感じるのは日本全体に国際社会全体に必要で大切にしたいのは「戯」

それは思い遣りであり、愛情であり、それらに満たされれば、この日本はもっともっと良くなっていくと思うのです。

今まで通りコツコツと頑張ります。


1980年の映像

少林寺 海灯法師、八卦掌 李子鳴老師 100歳老人 呉図南老師

孫式太極拳 創始者 孫禄堂の娘 孫剣雲老師らの武術交流

(※この周りにいる少年たちと私は同世代人です・・・)