
今年も9月に入り、今年も残り4ヶ月になりました。やはり何かひたすらに打ち込んでいると、気付けばもうこんな時期か、あるいはこんな時間か、と感じます。
私自身の武術人生を思うと、本当に一途で良かったな、と思うことはたくさんあります。
それは何故なら、迷ったり、あれこれと比較しては考え込んだり、とかあまりしないで済んだ気がします。
後になっても「そうか、今度はこうしよう」というような反省はよくありますが、そのことでめげたりするようなことはあまりなく、むしろ「またチャンスがあるさ」という意識になっていくものです。
今年は活動も安定してきて、交流会でも次世代の皆さんのレベルアップがたくさんあって、将来が楽しみになってきました。
私自身は中国の先生方が何かしら期待をしてくれて、しかしそれが「こうしろ」とか「ああしろ」というものでなく、
総合的には「こうすると良い」というようなことを先生方のアクションでたくさん教えて頂き、日本人でそういう行動をする人はいなかったけれども、
日々の小さな積み重ねがだんだん大きくなっていくプロセスの実感を得ていく時に「功夫:時間、能力、腕前、工夫」というものは本当に自身の中で育ってくる事実を体感することは本当に大きな宝物です。
私の代より以前からは、やはり現代日本社会では「物質的価値観を善し」という方向へ誘導させられ、気付けばそちらが主流になる現実があります。
そして人それぞれの「自由な考え方」が認められる、という反面、精神力や目標設定を行える自身がしっかりしなければ「自由」も自由ではなく、
むしろ自由だから不安になってしまったり、誰も教えてくれたり、目標になれる人がいなければ、結局は圧倒的多数の歩く道や、それに近い道を進むことになってしまうようです。
私は常々マスメディアからの報道は目にしますが、重要なものとそうでないものを一早く峻別して、自身に一番重要なものから考え、そして優先順位的に分析して考えるようになっています。
これは以外に見えるかも知れませんが、武芸の稽古の中で行う感覚で、これをまったく同じように世間の情報分析をするようになると、どちらかというと人間でも動物的本能が磨かれていくことを知りました。
こうなってくると毎日の仕事の中でも、食事でも睡眠でも休日でも同じパターンでいくようになります。
こうなってくると楽しくなってきて、考えるヒントやチャンスはたくさん眼につき応用で考えるようになります。
例えば靴でも底が平らで履き易くて動きに良さそうでしたら、それは卓球シューズでもテニスシューズでも何でも応用ができる、と考えます。
現代日本社会は実は今チャンスだらけで、それを如何に活かそうか、というアイデアが浮かばないで、結局は世間の政財界のコントロールするパターンに載せられることになってしまうようです。
これからの日本国内では本格的中国武術活動やエンターテイメント的なカンフー感覚や健康法、競技スポーツなど、
ありとあらゆるパターンで応用できる大きな一つの産業が出来て、共に力を合わせてやっていけるようになれば、今のダンス業界以上に全世代の多くを取り込んで、とても大きな潮流ができるようになれば楽しみや趣味でも仕事でも何でも生まれていくだろうと思います。
次世代の皆さんのためのチャンス・機会を作る、これが私自身の目標でもあります。
今年はこのしっかりとした礎がようやく築けた感を思います。
先日の祭りではとても大きな学びと共通点を発見し、嬉しさを思いました。
それは、たとえ他人から見てどんなに無茶に思われた行動であっても、最終的には元々に目指したものに、しっかりと辿り着ければ、それは大いに善し、という共感でした。
皆さんと共に楽しく御輿を担ぐ、そんな気持ちで頑張ります。