

昨日一昨日と、地元綱島諏訪神社例大祭が盛大に行われました。
私は元々は東京の多摩は狛江の生まれで小さな頃から祭りが大好きでした。
1982年の中学生の時から中国武術を始めましたが、当時は週2回だけの練習で、それ以外はいつも自宅付近の空き地で毎日自主練習を行っていました。
まだ中学生の頃を振り返ると当時はまだ本当にごく普通の日本人の少年で夏祭りや秋祭りが来ると胸が高まったのを覚えています。
祭りでは御輿を担いで声を張り上げて、当時の地元の伊豆美神社での祭りがとても好きで、今でもたまに懐かしく思います。
今愛する地元横浜綱島に来たのは18年前の1996年の夏で当時は狛江の地域開発のために立ち退きになり、府中に転出し、そこから仕事で綱島のスポーツクラブまで通ってきていました。
この仕事先のスポーツクラブでの中国武術、太極拳スクールが実は横浜武術院の前身で、このクラブの運営会社が2001年の2月に倒産したことで独立したことから、今のスタイルでの原型だったのです。
私がこの地に来たのは16年前です。
実はこの街の雰囲気が好きになって、いちいち通うのが面倒になって、いっそこの地を自分の拠点にしようと思ったことがきっかけでした。
この地の祭り:綱島諏訪神社例大祭の勢いはものすごくて、初めての夏に感動したことをまだ覚えています。
しかしながら私の仕事では土日は今までずっといつも指導だったのでこの16年間の間、お神輿も移動の合い間や夜の祭りで置いてあるところしか見たことがありませんでした。
今年は交流会も終わり、日曜日は夏休みを2回とることにして、初めて綱島諏訪神社例大祭を朝から夜まで満喫しようと考えて楽しみにしていました。
そして初めて昨日は朝から諏訪神社の儀式から宮入りを拝見し、一日中お神輿と一緒に街を回りました。
お話しを聞いていた通りに本当に宮入りから胸が熱くなり、御輿と一緒に回るうちに、御輿担ぎの皆さんに本当に激励された感じで感動をしました。
確かに私は中国武術の道に深く入り込み、中国語を駆使し、中国との付き合いもとても長く、よくも悪くも考え方や行動も日本人離れし過ぎてしまった感があり、
たまにそんな自身の業を不憫に思うことがよくありました。
しかし昨日は、ずっと一日御輿と一緒に昼間っから夜まで酒を飲みながら一緒に街を練り歩きました。
最期の駅前に戻った時には、何故かもう一体化して一緒に大声を張り上げて楽しみました。
何か昨日はこの街にも繋がる関東武蔵国一帯の産土神からに呼び戻されたような感じがしてならなかった気がします。
そして御輿担ぎの皆さんの力には大いに感動しました。
昨日一日、いろいろとこの自身のすべてを中国武術に打ち込んで来た時間のことや、その間にこうして伝統日本的な文化を継承して頑張っている皆さんとの狭間で、
行っていることの中では、一致していることや、あるいはまったく反対だったことや、いろいろなことが頭をよぎりました。
でも本当に日本人として生まれて良かったな、という実感。
一緒に祭りを楽しむ、老若男女、全世代の皆さんとの一体感には本当に感動しました。
昨日は毎年、地元地域の例大祭は練習活動はやらずに皆で祭りを楽しもうということを決めました。
本当に祭礼の関係者の皆様、お疲れ様でした。
皆様の御蔭で大いに力を頂きました。
これからも私も地域発展、町おこしの中で中国武術で頑張れることがあったら貢献できることがありましたら大いに頑張りたいと思います。
本当に、有難う御座いました。感謝!