上海博物館12


隋唐五代時期における武術発展の特徴は、器械の質がより改変され

今までの短兵器から長兵器へ、銅から鉄へという変遷から

更に戦術や方法が編み出され歩兵としての戦い方、

騎乗での戦い方では槍と刀が多用されるようになりました。


刀剣棍槍術も多く民間に広まりその範囲は広大になった時期でした。

武挙制度が始まり、それを更に中国全土に武術普及に繋がり、考試を行い

「勇猛な士」「機敏な士」「技術の士」というように人材発掘に力を入れました。

そこで職業武術家が誕生しました。

套路技術には新たな展開が起こりました。

唐の時代には「舞楽」が流行し国家も隆盛期を迎えました。

その中で武術動作にもその立ち方や姿勢や目の動きなどの

大きな表現形式が豊富な武術動作と結合し布局(場所の使い方)にも取り入れられ

演武に多くの技巧も入ってきました。


南宋・北宋時期

両宋時期は「尚武精神」を重要視した気風が促進された時代です。

宋に時代は戦争がまた頻繁に起きるようになり、武挙によって多くの士が集められ

更に明確な規定と試験が行われ尚武・建武の精神が尊ばれ武芸の高い人材は

重宝されるようになりました。


比武は多く催され、

軍事面でも優れた人材を選抜し更に武芸を促進させる時期になりました。

そして民間武術家からも優れた人材が輩出されるようになり、

ここから登用されることもありました。


武術組織も多く出現し、「社」の概念が習武者の間でも重要になり、

相互に技芸を切磋琢磨される場所となり、

多くの技術交流、伝授そして発展にとつながりました。


宋の時代にはもう套路形式は定着し、

練習形式・比武形式は完全に整った時代になりました。

中には拳術、棍術、対練套路、集体における套路などです。

武芸の種類も多くなり、現代のも伝承される刀剣棍槍に、

斧、槌、鞭などが出来、七節鞭、九節鞭、十三節鞭なども現れました。


武術理論書にも多くの経験から得た技法や理論が記術されるようになり

新たな展開が始まりました。

その代表作には「武経総要」「武経七書」「建炎系年要録」「武林旧事」

などが残されています。

そして、1271年にモンゴル帝国の国号を大元と改めたことにより成立し、チンギス・カンの孫でモンゴル帝国の第5代皇帝に即位したクビライが南宋を滅ぼし、約100年間を漢民族を支配し、中国武術活動も阻害を受け、停滞する時代となりました。

そしてこれは回復中華として明朝を建てた虹巾の乱にも加わっていた朱元璋の出現まで漢民族は忍耐をすることになりました。