孫中山故居記念館

孫中山故居記念館


中華民国成立時期(1912年)~現代中華人民共和国までの武術界


中華民国(ちゅうかみんこく、繁体字: 中華民國)

通称台湾(たいわん)は、東アジアの太平洋沿岸に位置する共和制国家。

現在は台湾島と周辺の島嶼群、南沙諸島の一部などを実効統治し、日本やフィリピン、中華人民共和国(実際上であり、憲法では自国領)などと領海を接している。

中華民国を正式に国家として承認している国は少ないが、それ以外の多くの国とも事実上独立した地域として国交に準じた関係を結んでいる。


中華民国(1912年1月1日に革命家の孫文を臨時大総統として、中国大陸を中心とする中国を代表する国家として成立)~ウィキペディアより引用~



1912年、中華民国の成立時期は軍閥が割拠し戦争が頻繁に起こり政局にも大きく影響を与え、武術界にも影響を与えました。

上海には「精武会」「中華武術会」など30個ほど多くの武術会という「会」があり、

「社」では北京には「北京体育研究社」「中華尚武学社会」など25の「会」があり、天津には「中華武術会」「道徳武術研究会」など10ほどの武術会がありました。

その他大きな都市部には同様にそれらの「武術会」や「社」が建立されていました。後にこれらは中国各省、市、県などの「国術館」となって活動を促進させていったのです。


中国武術の拳種には強靭な身体づくりにおける鍛錬効果があることに着目し、

1923年4月 馬良、唐豪などの呼びかけに発起して上海にて「中華全国武術運動会」が開かれました。

これは長き数千年間の皇帝制を廃止し、孫文たちが起こした革命によって成立した中華民国にて、中国歴史史上初めて民意により、行われた中国武術大会になりました。

1928年には中華民国の首都南京に初めて、国術として「中華武術」として研究と有能な武術人士の養成のために「中央国術館」が 国民党政府によって発足されました。


(※日本国内ではある一部拳種のみが優秀のように、コミック原作者とか一部雑誌などで、内容を一部分を誇大的な紹介をされていて、現代日本では、その影響を受けている方々の少なくない、風潮を感じますが、実質、中央国術館 門長 少林門門長 は「王子平先生」で、そのお嬢様の「王菊容先生」と神拳大龍と称された「蔡龍雲先生」が上海体育学院にて、伝統武術系列を継承し、今日にまでの発展活動へと繋がっています。私の上海で恩師 邱丕相先生 中国武術九段はその愛弟子です)




「大力千斤王」 王子平(1881年 - 1973年)




1929年には第三回全国運動会の中に武術がエキシビジョン項目として初めて取り入れられました。

そして1933年には武術が正式に全国運動会の種目に入りました。

この時期から武術は学校体育に加えられ教材としても多く作られました。

その中には「国術概念」「国術理論」「中華新武術」「査拳図説」「青萍剣図説」

「少林武当考」「練歩拳」「八極拳」「太極拳」「八卦拳図説」などの書籍に進展しました。


この時期から中国武術を世界に宣伝紹介しようという活動が始まり、

民国中期に上海精武会が海外に武術名手を普及伝播のために分会を作りました。

1929年の秋に福建永春にて組成された国術団がシンガポールとマレーシアに巡回して演武会を行いました。

1936年1月には中央国術館と国立体育専門学校が組成したシンガポール、マレーシア、フィリピンなどの東南アジアを訪問し65回の武術公演を行いました。

そして1936年中国体育協会から選抜された国術表演隊がドイツで行われた、第11回ベルリンオリンピック大会でエキシビジョンを行い、フランクフルトやミュンヘンでも演武会を行い 中国武術を紹介しました。


当代における中国武術運動の新たな発展

1940年代は日中戦争が起こり、政治経済的には大混乱になりました。

第二次世界大戦終了後、中国国内でも内戦が起こり、

共産党軍と国民党軍で激しい戦闘が繰り広げられ

蒋介石率いる国民党軍と、伝統文化保存のための国宝と、退敗した国民党政府、財界要人、文化人、それらを守衛・警護するために数名の伝統武術家たちも一緒に台湾へと渡りました。


そして大陸では、1949年 中華人民共和国成立後、

中国武術協会が創設され、南京中央国術館出身の武術家たちが召集され、それまでの武術文化のすべてを継承、研究し、

膨大な数の国民のために、健身、防身、修身という中国武術文化に基づいた広大な普及計画を行い、より現代的なレベルアップのための様々な研究がなされました。

50年代には国家体育運動委員会が組織され、普及用に簡化24式太極拳、長拳、各項目系列の刀剣棍槍の初級、乙組、甲組の規定套路や基本教材が作られ広められました。

1959年に武術競技規則が制定され規格や基準が統一され、61年から全国体育学院の教科になりました。

その後に文化大革命の嵐が吹き荒れ、武術は一時期制限され民間での武術活動が禁止された時期がありました。

1970年後半の頃に、文革は治まるようになり 太極拳や南拳、形意拳などの伝統項目、更に徒手や兵器での対練項目、

そして対抗性項目として、散手、短兵や長兵などが加られるようになりました。

こうして中国武術界では、また新たな発展を遂げ始め、

1979年に競技規則が再編成され80年代から世界中に広まり国際スポーツとしての普及も始まったのです。

1990年の北京アジア大会からアジアオリンピック評議会が開催するアジア大会での正式競技種目なりました。

2006年には新たな高難度競技ルールと伝統武術競技ルールが制定され、2008年の北京五輪開催期間では高難度競技ルールと散打の競技が世界へ紹介する意味合いでのエキシビジョン競技会が行われました。

そして現在は国内外にて、温故知新の精神での中国武術段位制が制定され、今後の中国武術協会の計画では中国全土各地、海外の武術人士における全体での国際武術標準となりました。

今や世界各地で各国内、国際大会では伝統武術ルール部門がとても大きな発展を遂げており、昨年の2020年新規五輪候補種目としてIOC国際オリンピック委員会から認められました。

最終的には「レスリング」が除外、新規追加項目となったことで新規項目化への実現にはなれませんでしたが、

現在は、また更に改革の時期に入っており、今後の2024年の新規項目候補への準備が進められています。

これからは、また大きな発展を目指しての活動は国際的にも力強くなっていくと思います。