上海博物館 戈

中国武術理論 「武」について

「武」の意味 「止戈為武」について 

「武術」の「武」という意味は、どのように理解しておられますでしょうか?

「止戈為武」つまり、「戈を止めることを武と為す」といい、 古来の意味では、戈を止める為に生まれた概念を指しており、 それを表現して「武」という文字になりました。

先ず、戈というのは、 古代中国で使われた武器。

軍事行動では、兵士が陣の先頭などに立ち、両刃の剣に柄をつけた、鍬の刃が縦についたかたちをして、刺突のための武器。 青銅器時代・鉄器時代の代表的な武器で、日本は弥生時代に銅矛・鉄矛が多くありました。

戦いは一度起きれば 多くの人々の身体や心を傷つけ、遺恨を残すもので、 避けなければならない、 そこでどうしたら「戈」を「止められるか」を人類は考え続けてきました。

世界では一時期、90年代まで「核ミサイル」を開発し保有しました。 そうすると敵対国も保有するようになります。 それが軍拡競争となって 互いの国家や同盟関係の国々まで巻き込むようになり ました。 相手を屈しさせることだけを求める軍備は、結果的に煽り合って、 互いに牽制し合い「不安」と「心配」の種子をばらまいただけに終わりました。

現代でも平和を大事にするためにも、これを常に考えられ続けています。

しかし、様々なところから考えてみれば、実は一番大切なことは、 ひとりひとりの「防身・自衛」意識が重要です。

「防身」とは、己自身の身体管理、病気予防、運動による活性化をいい、 「自衛」とは、危険を避け 攻防意識、技術を身につけ護身をすることです。

健全な精神は健全なる肉体に宿る、ともいいますが、 人間としての精神力を高めることを真剣に考えれば、生活習慣も規則正しく なるものであり、不摂生を避け 心身ともに大事なことは自ずから見えてくると 思います。

人は、常に日々に学び修正しながら 自らの心と肉体の全てを作り上げていきま す。 このように 生命は人々の愛情と多大な労力から築き上げるものであって、 自分の生命の大事さを気付けば、人は誰でもそれぞれの生命の貴さが解り、 他人を大事にする尊さに気がつきます。

そうすれば、他人を傷つけることの恐ろしさも理解できるように思います。

しかしながら 時代によって人は、戦いに巻き込まれることがあり、 起こされる毎に その戦いの愚かさを知るようになります。 「戦い」は選択の一つかも知れませんが、避けなければならないもので 望むものではありません。

ですが、備えあれば憂いなし の考えから 身体を鍛え 攻防技術を備え、 歴史や哲学から理知的な精神や処世術を学び身に着けるのも大事です。

そして結果として、 身に着けたものを使わずにいられることも幸福だと考えられます。

現代日本社会では、 平和の大切さの意識が薄れ「精神力」が弱くなっているように感じることもあり ます。

人々の、自分勝手なふるまいや傲慢さ、から始まる行動がたくさんの嫌悪感を引 き起こし、 諍いや争い事が起きるのを残念に思います。

願うのは、世界中のより多くの方々の平和や幸福を守るための「思いやり」から 始まる観点から、「武」を考えて欲しいと思います。