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今日は「鎌倉詣で」を行いました。

鎌倉歩きに行く時には前日の降雨があったり、雨の日には土地柄に合わないので、ここ数日の天気予報では台風の影響で今日も雨降りになるかな、と思ってはいましたが、一昨日ぐらいから道筋がそれることが判り、鎌倉に参詣してきました。

人の縁とは妙なもので、「何気なく」が「何の気である」ということに気付く不思議な「縁」があるものです。

私は生まれ育ちは東京の人間でした。

有名な新撰組のあった多摩の土地で日本武士の卵として少年剣士の道を歩み、途中で自身の本能から中国武術の道へ転向してしまいました。

思うに、それもまた不思議な縁で長い時間を経て今、不思議であったが、それはまったく不思議でなく「自然」だったように思います。


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今日は、この自身が行ってきた、日本武道における、少年剣士の行を経てから後の中国武術修行を経て 昨年に香取・鹿島神宮の日本武道神に参り、元々の日本武士へと回帰した、今までの37年間での武芸者人生の大願成就の御礼をするために鎌倉参詣をしました。

この社は私の本籍地、埼玉県深谷市から出た平安時代~鎌倉時代、鎌倉幕府での有力な御家人であった武将「畠山重忠」が源頼朝の命を受けて建立した神社で、源頼朝はここで平氏打倒を決心し、

源平合戦の後に、ここ鎌倉に幕府を建てて武士による初めての武家政権を行いました。

後に、戦国時代に深谷上杉家がこの鎌倉に紫陽花寺で有名な明月院を建てました。

私はまだインターネットの普及する前の14年前に、東京に別れを告げて、今の横浜の地に一人来て武術活動を始めました。

横浜に移ってからはなかなかいい感じが続いていて、2001年に米国へ1ヶ月間勉強で行き、サンフランシスコ、フロリダ:オーランド、ロスアンゼルスへ滞在しました。

途中、勤めていた企業倒産があり、不本意な思いでも耐えなければならない時間がありました。

その時に、鎌倉の地を訪ね当て所もなく、ただひたすらに歩き周ることをよくしました。

そこで思わぬ出会いに気付き、私の血筋として鎌倉はとても縁が深く、参詣する毎に何か自身の遺伝子と向き合う機会になりました。

私は意外に思われるかも知れませんが、武術界では技能の習得だけでは飽き足らず、深い精神世界や功法の深奥な分野にも研究をしていました。

意外なことで、米国で得た本当に大きなメリットは「何でも金、金、金」であって、不況になると何でも商品で出て来るものでした。

私がロスアンゼルスに滞在していた時にあるセミナーに参加しました。

講師は米国人でしたが、身につけていた技能は明~清時代に大成された、武当山道教系の気功で東南アジアに渡ったマスターからの受けたという技法の内容では淡々とシンプルに進みましたが、

私は今までに日本でも中国の資料でも公表されにくいものですが、この地であるからこそ知ることの出来た偶然性に感動をしました。

そして、武芸の本当の専門家なら、伝統中国思想哲学文化の根幹を成す、易教と兵法。

そして 道教、仏教、儒教を理解しなければならず、

更に分類として中国武術界系としては、老子の道教的意識、少林武術に代表される仏教:禅の意識、現代中国にも根付く、儒教的規範意識をしっかりと把握しなければならないことです。

私は今日、鎌倉の山歩きをしながら、膨大な知性教養が、この地に一気に集約されていることに気付きました。

途中、鎌倉五山の建長寺の前にある陰陽師:安倍清明の碑の前で改めて気付きました。

「そうか・・」

後は、言葉にならない言葉が、頭の中で膨大な情報が、シンプルに一つにまとまりました。

そして「鶴岡八幡宮」

「感謝!」

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