今朝の野外太極拳教室(火曜日:日吉の丘公園 9:30~11:00)は中止になりました。いつも1時間開始前の8時半の時点で雨が上がらずだと電子メール、ツィッター、ブログの順ですぐに連絡をしております。
これは皆さん大体が地元の皆さんなのですが、雨が完全に上がった状態でなければ、途中で雨がまた降ってきて雨に濡れて練習中と帰り道に冷えてしまい、かえって風邪を引くようなことがあったらいけないこともあり、大事を取るようにしています。
もし開始直前に雨が上がった場合で何人かいらっしゃった場合は各自で自主練習をして頂きたいと思います。それはいずれはまた誰か別の曜日でも予習や復習を兼ねて行えるようになって新しいサブリーダーになれるようになるのもいいと思いますので、またよろしくお願い致します。
10月13日(日)の交流会まで残り12日。
だんだんと準備が整ってきました、多くの皆様のご協力本当に有難う御座います。今年の交流会でようやく完全に横浜武術院スタイルの確立が出来た記念すべき年のように思っています。
あともう少しですが、よろしくお願い致します。
こうして今までを振り返っていろいろと考えることが、よくあります。
何故に「横浜武術院」を創設したか、ですがそれはとてもシンプルな発想で、一番中国の本場のスタイルそのものにこれ以上は近づけないほど近づけた「日本スタイル」を完成させたい、というものでした。
それは私の今までの経歴や経験がそう感じさせたものでした。
中国との往来で思うことはやはり当然のことながら日本と中国とはとても多くの共通項や歴史的に長い付き合いがありますが、民族も人口も多く、広大な中国大陸の中国人と、
中国に比べて国土は大きくはないですが、日本も長い歴史を有し、海に囲まれて育った日本人独特の風土文化があり、全く同じように考えることができない歴史的文化背景があると思います。
私は初めはただ純粋に中国武術を学び、体得したいという理由だけで中国へ行きました。
しかしながらだんだんと中国武術運動や文化が素晴らしいと知り、日本に広めることを決意しました。
(現代日本では西洋スポーツ競技などはかなりの多くが普及しましたが武術運動特有の医学的見地からでも認められる大きな心身への良質な効果や効能の高い養生、健身項目はこれからの日本にとても有益なものばかりだと思います)
しかしながら中国武術世界は中華料理文化と同じく、非常に広い範囲があり、その範囲を理解することはとても長く、そして大きすぎるところから、標準化を図るということでもとても大変なものでした。
中国武術協会との関係は1985年の上海体育学院で初めに指導を受け、思えば長い期間の中で本当にお世話になった国家級裁判員の邱丕相先生との縁から始まり、当時所属した全日本太極拳協会での一流の先生方を招請し日本でも指導を受けられました。
そしてそれからの訪中では訓練は本当に大変でしたが武術隊、正式名称は省体育運動学校一大工作隊というところで中国国内の一流アスリートの皆さんと共に一緒に練習し、学ぶことが出来ました。
20代までは仕事をするようになってでも、一番重要なこととしてひたすら武術訓練だけに時間を費やしました。途中からは指導で教室を持つようにもなりました。
私の経験では最初の中国で学んで帰ってきてからはいつもすぐに後輩たちから指導を依頼されることがあり、そこで師範代のような存在に自然になりました。
30代になり縁があってフィットネス業界へ転進し指導の仕事を行うようになりました。
そういう経歴があったのでフィットネスの仕事は水を得た魚でした。
そこでフィットネス業界の仕事というのは今はあちこちにたくさんあるスポーツクラブ、フィットネスクラブですが、スクール教室とは異なり、圧倒的多数のたとえ興味のない、初めての人にでも指導ができなければならない環境の仕事です。
スポーツ・インストラクターの仕事というのはそういうもので、たとえ過去に良い成績を取ったスポーツ選手でもコーチでも、その環境でいい仕事をすることができなければ査定は下がり、誰でもクラスはすぐに閉鎖されます。
逆に名前はさほど知られていなくとも、フィットネスの環境でいい仕事ができれば、その人はいい指導者としてどのクラブからも重宝されて、当然に査定も上がり、報酬も良くなるという世界です。
この環境に武術や太極拳、健身気功を持ち込むには随分と工夫が必要でした。
内容的には他のプログラムにはないマンネリもなく、3年は5年、5年いけば10年と長く担当する利点がありますが、あまり目にする機会も業界そのものも日本では小さい世界なので、如何に皆さんのモチベーションを高めてあげられるかが大事でした。
当然に中国の武術隊の世界とはまったく別の世界で、同じ価値観を共有するのは難しいと直感で思いました。
私が一番の参考になったスタイルは今までに3回訪問し学んだ神医華侘の故郷、安徽省亳州市の曹操の一族の墳墓がある曹氏公園の五禽戯教室と、
上海の外灘での太極拳や気功、伝統拳の練習活動や上海体育学院の学内で地域の皆さんに行っている朝の教室風景でした。
最近よく考えるのは日本国内での武術活動は趣味としての愛好者の活動。
スポーツ競技としての活動。
中国でも同様ですが、仕事と両立しながら専門性をより高くしている伝統武術の活動。
現代日本社会では今現在多様なライフワーク:生き方を尊重されるいい時代になったと感じています。
人もそれぞれ、武術もそれぞれにあると思います。
その中ではありますが、本来のものから、考え方や技能があまりにも、かけ離れていたり、独創的であっても効能や効果のない乏しいもの、という、
かつてによくある武術世界ではなく、
「横浜武術院スタイル」というものは、各自各自の生活のペース、やり方でコツコツと頑張ることができて、
趣味でもいいし、専門を目指すのもいいというもので、そして人によっては中国の本場で正式な競技会や武術段位制国際考試でも良い評価を得られる存在にもなれる、というものです。
悲観的、自虐的になるように仕向けられた戦後教育がありましたが、それはそれで戦後日本人がそうされるようにさせられてきた背景があっても、
そしてやはり日本人としての祖国の歴史、文化の誇りを大事にしていきたい、と考えています。
2013年横浜武術院 中国武術・健身気功交流会 是非、ご来場をお待ちしております!
●2013年 横浜武術院 中国武術・健身気功交流会(入場無料)は
10月13日(日)港北公会堂で開催致します(東急東横線 大倉山駅下車 徒歩7分)
開場:13:00~ 開演:13:30~
これは皆さん大体が地元の皆さんなのですが、雨が完全に上がった状態でなければ、途中で雨がまた降ってきて雨に濡れて練習中と帰り道に冷えてしまい、かえって風邪を引くようなことがあったらいけないこともあり、大事を取るようにしています。
もし開始直前に雨が上がった場合で何人かいらっしゃった場合は各自で自主練習をして頂きたいと思います。それはいずれはまた誰か別の曜日でも予習や復習を兼ねて行えるようになって新しいサブリーダーになれるようになるのもいいと思いますので、またよろしくお願い致します。
10月13日(日)の交流会まで残り12日。
だんだんと準備が整ってきました、多くの皆様のご協力本当に有難う御座います。今年の交流会でようやく完全に横浜武術院スタイルの確立が出来た記念すべき年のように思っています。
あともう少しですが、よろしくお願い致します。
こうして今までを振り返っていろいろと考えることが、よくあります。
何故に「横浜武術院」を創設したか、ですがそれはとてもシンプルな発想で、一番中国の本場のスタイルそのものにこれ以上は近づけないほど近づけた「日本スタイル」を完成させたい、というものでした。
それは私の今までの経歴や経験がそう感じさせたものでした。
中国との往来で思うことはやはり当然のことながら日本と中国とはとても多くの共通項や歴史的に長い付き合いがありますが、民族も人口も多く、広大な中国大陸の中国人と、
中国に比べて国土は大きくはないですが、日本も長い歴史を有し、海に囲まれて育った日本人独特の風土文化があり、全く同じように考えることができない歴史的文化背景があると思います。
私は初めはただ純粋に中国武術を学び、体得したいという理由だけで中国へ行きました。
しかしながらだんだんと中国武術運動や文化が素晴らしいと知り、日本に広めることを決意しました。
(現代日本では西洋スポーツ競技などはかなりの多くが普及しましたが武術運動特有の医学的見地からでも認められる大きな心身への良質な効果や効能の高い養生、健身項目はこれからの日本にとても有益なものばかりだと思います)
しかしながら中国武術世界は中華料理文化と同じく、非常に広い範囲があり、その範囲を理解することはとても長く、そして大きすぎるところから、標準化を図るということでもとても大変なものでした。
中国武術協会との関係は1985年の上海体育学院で初めに指導を受け、思えば長い期間の中で本当にお世話になった国家級裁判員の邱丕相先生との縁から始まり、当時所属した全日本太極拳協会での一流の先生方を招請し日本でも指導を受けられました。
そしてそれからの訪中では訓練は本当に大変でしたが武術隊、正式名称は省体育運動学校一大工作隊というところで中国国内の一流アスリートの皆さんと共に一緒に練習し、学ぶことが出来ました。
20代までは仕事をするようになってでも、一番重要なこととしてひたすら武術訓練だけに時間を費やしました。途中からは指導で教室を持つようにもなりました。
私の経験では最初の中国で学んで帰ってきてからはいつもすぐに後輩たちから指導を依頼されることがあり、そこで師範代のような存在に自然になりました。
30代になり縁があってフィットネス業界へ転進し指導の仕事を行うようになりました。
そういう経歴があったのでフィットネスの仕事は水を得た魚でした。
そこでフィットネス業界の仕事というのは今はあちこちにたくさんあるスポーツクラブ、フィットネスクラブですが、スクール教室とは異なり、圧倒的多数のたとえ興味のない、初めての人にでも指導ができなければならない環境の仕事です。
スポーツ・インストラクターの仕事というのはそういうもので、たとえ過去に良い成績を取ったスポーツ選手でもコーチでも、その環境でいい仕事をすることができなければ査定は下がり、誰でもクラスはすぐに閉鎖されます。
逆に名前はさほど知られていなくとも、フィットネスの環境でいい仕事ができれば、その人はいい指導者としてどのクラブからも重宝されて、当然に査定も上がり、報酬も良くなるという世界です。
この環境に武術や太極拳、健身気功を持ち込むには随分と工夫が必要でした。
内容的には他のプログラムにはないマンネリもなく、3年は5年、5年いけば10年と長く担当する利点がありますが、あまり目にする機会も業界そのものも日本では小さい世界なので、如何に皆さんのモチベーションを高めてあげられるかが大事でした。
当然に中国の武術隊の世界とはまったく別の世界で、同じ価値観を共有するのは難しいと直感で思いました。
私が一番の参考になったスタイルは今までに3回訪問し学んだ神医華侘の故郷、安徽省亳州市の曹操の一族の墳墓がある曹氏公園の五禽戯教室と、
上海の外灘での太極拳や気功、伝統拳の練習活動や上海体育学院の学内で地域の皆さんに行っている朝の教室風景でした。
最近よく考えるのは日本国内での武術活動は趣味としての愛好者の活動。
スポーツ競技としての活動。
中国でも同様ですが、仕事と両立しながら専門性をより高くしている伝統武術の活動。
現代日本社会では今現在多様なライフワーク:生き方を尊重されるいい時代になったと感じています。
人もそれぞれ、武術もそれぞれにあると思います。
その中ではありますが、本来のものから、考え方や技能があまりにも、かけ離れていたり、独創的であっても効能や効果のない乏しいもの、という、
かつてによくある武術世界ではなく、
「横浜武術院スタイル」というものは、各自各自の生活のペース、やり方でコツコツと頑張ることができて、
趣味でもいいし、専門を目指すのもいいというもので、そして人によっては中国の本場で正式な競技会や武術段位制国際考試でも良い評価を得られる存在にもなれる、というものです。
悲観的、自虐的になるように仕向けられた戦後教育がありましたが、それはそれで戦後日本人がそうされるようにさせられてきた背景があっても、
そしてやはり日本人としての祖国の歴史、文化の誇りを大事にしていきたい、と考えています。
2013年横浜武術院 中国武術・健身気功交流会 是非、ご来場をお待ちしております!
●2013年 横浜武術院 中国武術・健身気功交流会(入場無料)は
10月13日(日)港北公会堂で開催致します(東急東横線 大倉山駅下車 徒歩7分)
開場:13:00~ 開演:13:30~