今年2013年で中国武術の道へ進んで31年め。
その前の私は6歳から12歳と2ケ月ちょっとまで修練していた「剣道:日本剣術」の道から離れました。
実は昨年は、中国武術30年、しかし日本剣士の道から離れて30年、という年でした。
初めて中国大陸に足を踏み入れたのが16歳、1985年、この28年間で数多くの往来でひたすらに中国武術、太極拳、気功(導引術 健身気功、伝統気功 五禽戯)の研鑽だけに自分の意志を捧げて行ってきました。
時間というのは不思議なもので、ある時期を過ぎると精神性の感度や身体動作感覚などが変わることを知りました。
しかしそれは、私の個人的な感覚での変化ですが、
一年:春夏秋冬と12ヶ月。
それが12回で一回り12年、24年、36年、あと4年後が48年となりますが、人間年齢と私の続けた武芸経歴などの修練年齢とがだんだんと合致し始め、偉大なる大自然の素晴らしい周期:サイクルや人間界の素晴らしさや愚かな人間たちの行いなどでの周回パターンの連鎖などが読めるようになってきます。
これはたまに変人扱いを受けますが、もうかなり慣れました。
むしろそのものになってしまってきたと言う方が的確に感じます。
実は、昨年の初春頃の夢で、幼き自分が竹刀や木刀を振るって練習している姿を見ました。
「ハッと目覚めて」あれは何だろう、と思いました。
それから数日後、靖国神社に参詣し、横浜の名刀会を訪れ、そこから近くの武道具店を紹介され、訪ねたら木刀に眼に留まり、触ってみたら何か懐かしく、購入しました。
そのまま帰って河川敷で振っているうちに、何か懐かしい感性が蘇ってきて、夢中で少年剣士だった頃の技法をやっていました。
私の学んだ「剣道」は、東京は多摩、江戸幕末の新撰組があり「天然理心流剣術」の至誠館でした。
「天然理心流剣術」は実は「鹿島の剣」から生まれたことを近々知りました。
そうするうちに、何か毎日行うようになって春爛漫で暖かくなってから、どうしても「日本刀」を持ちたくなり、「居合い刀」を入手しました。
入手してから、道着が着たくなり、木刀を購入した武道具店で袴と道衣の上着を購入しました。
帰宅してから、すぐに道衣を着て刀を腰に差したら、余計に力が漲ってきて、自分のスケジュール表を見て、レッスンのない時間帯にかつて使った体育館の武道場で稽古をし始めました。
亡くなった父の口癖の言葉に、「三つ子の魂、百まで」
そして、我が家系の深谷上杉家と由縁ある、上杉鷹山の名言。
「成せばなる、成さねばならぬ、何事も、成さぬは人の成さぬ、なりけり」
成澤家の「成る」は、その「成る」なのだ。
昨年の秋に、自身での稽古の成果を初めて、武芸者としての日本剣士6年を加え合わせた自身での、「36年間の思い」を横浜武術院の交流会で披露させて頂きました。
その後に思い出したことに、かつての武道場にあった「香取大明神」「鹿島大明神」の文字。
そして解ったことは、長き歴史ある日本を護った武道神とは、
「香取神宮」の経津主神(ふつぬしのかみ)
「鹿島神宮」の「武甕槌大神 (たけみかづちのおおかみ)でした。
昨年の秋に、私は古くは唐の国、鎌倉時代には日宋貿易があり、そして元寇、日明貿易のあった中国の武術にずっと邁進していて、
忘れていた、日本の武道神に呼び戻された、そんな気がしています。
今日は、それから一年。
中国武術段位制という、中国の現代武挙の在り方を知り、学び戻ってきました。
そのことを日本国内、多くの伝統日本民族への心身的活用に発展できるからこそ、
日本武神にも伝えねばという思いと、またこれからも始まっていく、ご利益があるから行う、ということへのご報告と、
自身の更なる日本剣士としての修練を行っていく思いのことでの祈念を致しました。
そして来月は、私たちの年に一度の晴れ姿をご披露させて頂く交流会への祈願を行いました。
私自身にしか判らないことですが、何かとても有難い回帰の念。
あるいは、新しい展望、そんな感覚を 神武天皇の代から続く2000年以上の歴史ある、古えの香取と鹿島の「日本武神」から大きな力をまた頂きました。
「感謝」














その前の私は6歳から12歳と2ケ月ちょっとまで修練していた「剣道:日本剣術」の道から離れました。
実は昨年は、中国武術30年、しかし日本剣士の道から離れて30年、という年でした。
初めて中国大陸に足を踏み入れたのが16歳、1985年、この28年間で数多くの往来でひたすらに中国武術、太極拳、気功(導引術 健身気功、伝統気功 五禽戯)の研鑽だけに自分の意志を捧げて行ってきました。
時間というのは不思議なもので、ある時期を過ぎると精神性の感度や身体動作感覚などが変わることを知りました。
しかしそれは、私の個人的な感覚での変化ですが、
一年:春夏秋冬と12ヶ月。
それが12回で一回り12年、24年、36年、あと4年後が48年となりますが、人間年齢と私の続けた武芸経歴などの修練年齢とがだんだんと合致し始め、偉大なる大自然の素晴らしい周期:サイクルや人間界の素晴らしさや愚かな人間たちの行いなどでの周回パターンの連鎖などが読めるようになってきます。
これはたまに変人扱いを受けますが、もうかなり慣れました。
むしろそのものになってしまってきたと言う方が的確に感じます。
実は、昨年の初春頃の夢で、幼き自分が竹刀や木刀を振るって練習している姿を見ました。
「ハッと目覚めて」あれは何だろう、と思いました。
それから数日後、靖国神社に参詣し、横浜の名刀会を訪れ、そこから近くの武道具店を紹介され、訪ねたら木刀に眼に留まり、触ってみたら何か懐かしく、購入しました。
そのまま帰って河川敷で振っているうちに、何か懐かしい感性が蘇ってきて、夢中で少年剣士だった頃の技法をやっていました。
私の学んだ「剣道」は、東京は多摩、江戸幕末の新撰組があり「天然理心流剣術」の至誠館でした。
「天然理心流剣術」は実は「鹿島の剣」から生まれたことを近々知りました。
そうするうちに、何か毎日行うようになって春爛漫で暖かくなってから、どうしても「日本刀」を持ちたくなり、「居合い刀」を入手しました。
入手してから、道着が着たくなり、木刀を購入した武道具店で袴と道衣の上着を購入しました。
帰宅してから、すぐに道衣を着て刀を腰に差したら、余計に力が漲ってきて、自分のスケジュール表を見て、レッスンのない時間帯にかつて使った体育館の武道場で稽古をし始めました。
亡くなった父の口癖の言葉に、「三つ子の魂、百まで」
そして、我が家系の深谷上杉家と由縁ある、上杉鷹山の名言。
「成せばなる、成さねばならぬ、何事も、成さぬは人の成さぬ、なりけり」
成澤家の「成る」は、その「成る」なのだ。
昨年の秋に、自身での稽古の成果を初めて、武芸者としての日本剣士6年を加え合わせた自身での、「36年間の思い」を横浜武術院の交流会で披露させて頂きました。
その後に思い出したことに、かつての武道場にあった「香取大明神」「鹿島大明神」の文字。
そして解ったことは、長き歴史ある日本を護った武道神とは、
「香取神宮」の経津主神(ふつぬしのかみ)
「鹿島神宮」の「武甕槌大神 (たけみかづちのおおかみ)でした。
昨年の秋に、私は古くは唐の国、鎌倉時代には日宋貿易があり、そして元寇、日明貿易のあった中国の武術にずっと邁進していて、
忘れていた、日本の武道神に呼び戻された、そんな気がしています。
今日は、それから一年。
中国武術段位制という、中国の現代武挙の在り方を知り、学び戻ってきました。
そのことを日本国内、多くの伝統日本民族への心身的活用に発展できるからこそ、
日本武神にも伝えねばという思いと、またこれからも始まっていく、ご利益があるから行う、ということへのご報告と、
自身の更なる日本剣士としての修練を行っていく思いのことでの祈念を致しました。
そして来月は、私たちの年に一度の晴れ姿をご披露させて頂く交流会への祈願を行いました。
私自身にしか判らないことですが、何かとても有難い回帰の念。
あるいは、新しい展望、そんな感覚を 神武天皇の代から続く2000年以上の歴史ある、古えの香取と鹿島の「日本武神」から大きな力をまた頂きました。
「感謝」













