中国国内では2011年から始まった中国武術段位制の正式の新規定が2013年から国際段位制として移行の年が始まりました。
私共は2001年から日本の組織(純粋な日本人たちで構成する組織)では、どこも応対をしなかった中国武術段位制(旧段位制)を取り入れ、いち早くスタートして行ってきました。
更に新規定となった正式な段位制を、この8月の大会と花妙林先生からのアドバイスで完全に内容を把握できたので、これからどんどんと盛り上げて行っていきたいと思います。
今年の来月10月13日(日)の横浜武術院 中国武術・健身気功交流会から国内での考評会をスタートし、日本での第一人者達の組織:単位として確立させたいと考えています。
中国武術協会は2012年から新体制になり、今年の五輪候補項目から5月30日に外れたことがあって、前倒しで多くのプロジェクトをスタートしています。
気付いたのはヨーロッパ連盟などがもう既に応対していることでしたが、将来的に次回の五輪候補項目に名乗り出ていくことで欧州とアフリカのオリンピック委員の票の獲得を狙っていることが判ります。
日本のオリンピック委員会としては国のチームとしてでは武術よりも他のスポーツ(レスリング、野球)を重視していることで、あまり理解や協力体制が乏しいことがありますが、潜在的な中国武術、カンフーへの好感では国民意識としては他の国々よりもずっと歴史が長いこともあり、将来的な発展は民間から高まっていくことは大いに可能だと感じています。
そして先日に中国国内の全国運動会が終わったばかりですが、やはり感じたのはもう新体制へと移行する最後の競技大会の雰囲気を感じとりました。
日本国内の武術競技界は普及状況にてでは競技ルールを熟知している指導者が少なく、そして高難度競技への応対がとにかく遅く、普及も進まないこともありましたが、これはこれでよかったように感じています。
高難度ルールは中国国内で始まったのは2002年に試行、2003年から正式ルールとなり、2006年から国際ルールになりました。
2002年の上海国際武術博覧会では国際套路第二に力を入れていましたが、もう片方で難度ルールを準備していたことがありました。当時は競技ルールは国際第二に意識が向いている時期でした。
そして2003年~2004年頃には武術院では健身気功を取り入れ普及を始めました。当時の選手達は高難度ルールにチャレンジしてみるということで指導をしてみましたが、やはり日本人の生活環境には適さないことが判り、高難度競技には力を入れず、2006年の上海国際武術博覧会から伝統武術競技ルールに専念し、旧武術段位制、そして太極拳、健身気功に力を入れて活動を行ってきました。
2007年の8月に杭州国際武術大会が開催され、同時に行われた中国武術段位制考試へ参加しました。
大会では恩師の徐淑貞先生に再会出来て、とても嬉しかったことと花妙林先生が審判長になり、翌年2008年以降の武術界の中枢が考えている動きについて情報を教えてもらいました。
そして2007年から伝統気功の華侘五禽戯を学びに行き、活動に取り入れました。そこから2009年にまで3回亳州で学び、華侘五禽戯13式、54式と行うことで健身気功の延長に続く活動項目としました。
やはりこの5年間を振り返ると6年前に知った情報を受けて、自分の中でできること、そして日本国内で行っていない項目で広められること、仕事としてよい成果をもたらせることを考え、今の活動スタイルが出来上がりました。
2008年から年に一度交流会を始め、今年で5回目。
2010年の上海体育学院の研修中に教えてもらった、新規定がようやく始まったことで、今年の交流会から中国武術段位制の国内考評会が正式にスタートできます。
武術段位における技能資格を受験したい人は各自に向いた段位套路を行い、そこからまた練習をして近い将来に実際に本試験での合格を目指す、というシステムを日本で初めて行います。
昨日は太極拳班の練習がありましたが、もう充分に今の中国の専門学校のレベルになっているのを嬉しく思いました。
近い将来に武術段位制がフィットネス業界や教育界が興味をもたれた時に大きなチャンスになると思っています。
「善は急げ」という言葉は本当だと思います。
私共は2001年から日本の組織(純粋な日本人たちで構成する組織)では、どこも応対をしなかった中国武術段位制(旧段位制)を取り入れ、いち早くスタートして行ってきました。
更に新規定となった正式な段位制を、この8月の大会と花妙林先生からのアドバイスで完全に内容を把握できたので、これからどんどんと盛り上げて行っていきたいと思います。
今年の来月10月13日(日)の横浜武術院 中国武術・健身気功交流会から国内での考評会をスタートし、日本での第一人者達の組織:単位として確立させたいと考えています。
中国武術協会は2012年から新体制になり、今年の五輪候補項目から5月30日に外れたことがあって、前倒しで多くのプロジェクトをスタートしています。
気付いたのはヨーロッパ連盟などがもう既に応対していることでしたが、将来的に次回の五輪候補項目に名乗り出ていくことで欧州とアフリカのオリンピック委員の票の獲得を狙っていることが判ります。
日本のオリンピック委員会としては国のチームとしてでは武術よりも他のスポーツ(レスリング、野球)を重視していることで、あまり理解や協力体制が乏しいことがありますが、潜在的な中国武術、カンフーへの好感では国民意識としては他の国々よりもずっと歴史が長いこともあり、将来的な発展は民間から高まっていくことは大いに可能だと感じています。
そして先日に中国国内の全国運動会が終わったばかりですが、やはり感じたのはもう新体制へと移行する最後の競技大会の雰囲気を感じとりました。
日本国内の武術競技界は普及状況にてでは競技ルールを熟知している指導者が少なく、そして高難度競技への応対がとにかく遅く、普及も進まないこともありましたが、これはこれでよかったように感じています。
高難度ルールは中国国内で始まったのは2002年に試行、2003年から正式ルールとなり、2006年から国際ルールになりました。
2002年の上海国際武術博覧会では国際套路第二に力を入れていましたが、もう片方で難度ルールを準備していたことがありました。当時は競技ルールは国際第二に意識が向いている時期でした。
そして2003年~2004年頃には武術院では健身気功を取り入れ普及を始めました。当時の選手達は高難度ルールにチャレンジしてみるということで指導をしてみましたが、やはり日本人の生活環境には適さないことが判り、高難度競技には力を入れず、2006年の上海国際武術博覧会から伝統武術競技ルールに専念し、旧武術段位制、そして太極拳、健身気功に力を入れて活動を行ってきました。
2007年の8月に杭州国際武術大会が開催され、同時に行われた中国武術段位制考試へ参加しました。
大会では恩師の徐淑貞先生に再会出来て、とても嬉しかったことと花妙林先生が審判長になり、翌年2008年以降の武術界の中枢が考えている動きについて情報を教えてもらいました。
そして2007年から伝統気功の華侘五禽戯を学びに行き、活動に取り入れました。そこから2009年にまで3回亳州で学び、華侘五禽戯13式、54式と行うことで健身気功の延長に続く活動項目としました。
やはりこの5年間を振り返ると6年前に知った情報を受けて、自分の中でできること、そして日本国内で行っていない項目で広められること、仕事としてよい成果をもたらせることを考え、今の活動スタイルが出来上がりました。
2008年から年に一度交流会を始め、今年で5回目。
2010年の上海体育学院の研修中に教えてもらった、新規定がようやく始まったことで、今年の交流会から中国武術段位制の国内考評会が正式にスタートできます。
武術段位における技能資格を受験したい人は各自に向いた段位套路を行い、そこからまた練習をして近い将来に実際に本試験での合格を目指す、というシステムを日本で初めて行います。
昨日は太極拳班の練習がありましたが、もう充分に今の中国の専門学校のレベルになっているのを嬉しく思いました。
近い将来に武術段位制がフィットネス業界や教育界が興味をもたれた時に大きなチャンスになると思っています。
「善は急げ」という言葉は本当だと思います。