6月の初夏を迎え、春からシステム的にも練習活動でも改革をしました。やっぱり今の時点でいいタイミングだったと本当に思います。
最近改めて皆さんと確認しながらやっていきたいことがありました。
それは当然のことですが「日本」は中国にとっては外国である、ということと「中国の人」にとって日本人は外国人である、という認識を誤解を互いに招かないためにもしっかり意識した方が良い、ということです。
相互に他の外国同士よりは日本は漢字文化が伝統的にあるので、理解はし易い面はあると思いますが、
何とはなく、が相互間にあり過ぎること「・・かなぁ~と思ったが実は違った」というようなことが、相互関係の本当の理解に足を引っ張っていると思います。
(老若男女、日本人同士であってでも難しいのに海外では猶更です)
中国は日本に近い国で文化を2000年以上の往来の中で取り入れてきました。
遣隋使、遣唐使、日宋貿易、日明貿易、鎖国、日清戦争、日露戦争、第一次大戦、大東亜戦争という歴史的変遷を経て1972年の国交正常化があって今日があります。
ですから年代的において複雑な事情が横たわっています。
日本がここ30~40年ぐらいの間に中国武術(中国拳法)がもたらされた背景は台湾や香港から来日し、あるいは戦時中に中国に滞在されていた方が帰国して日本で指導を始めた、という流派と、
1978年の日中平和友好条約締結後に多くの文化交流事業が政府間で奨励され、ウーロン茶のCMの影響やテレビ番組では堺正明さんが孫悟空役を演じた西遊記、第一次カンフー映画ブームもこの頃です。
自分は東京生まれ東京育ちなのが幸いしました。
とにかく何とか正しく武術を学びたい、そればかりを思っていました。
13歳から、その頃有名だった団体を巡り、行っている拳種内容を知りました。
そこでとりあえずは隣町にあった日中友好協会の教室で学び、その後に武術の「縁」で九段下の日本武道館の地下道場で来日されていた中国人老師から学ぶことができました。
そして1985年、16歳の時に上海で発訪中して学びました。
1986年には専門武術学校の武術隊で学ぶようになり、中国語も勉強し始めました。
大学へ進学し、第二外国語で中国語を専攻し、ここでほぼ普通の会話ができるようになりました。
そこからずっと往来を繰り返してきました。
ここでとにかく重要なのは武術を正しく学ぶ時には「漢学」の素養が重要なことです。
現代社会日本人で印象的なのは「人の話を真剣に聞く人は少ない」という感じでした。
自分が学んでいた当時、一番思ったのは直接先生が「何を重視」して言葉に話し、それを指導しているかを、直接に理解したい、ということでした。
武術基本功で重視されるのは身体的な素質訓練、拳脚で「打つ」技法で当てるための正しい力の伝達のためのフォームづくりと相手の部位に当てるため的確に届かせる力点への意識:威力です。
伝統武術の先生方はここにおいて、とても繊細であるということでした。
武術のスポーツ競技出身のみの方は速さとか低さとか、停止した動作の美観をのみ重視しますが、それだけでは「武術」は成り立たないことは、
この日本では、日本武道も多くあり、欧米的格闘技の普及している誰の眼に見ても感じてしまうことです。
現代中国での武術スポーツ競技部門の専門学校では、大体、顧問や監督にあたる方は伝統武術出身で1976年頃に終えた文化大革命後の初期の武術競技化に選手として選ばれた方が多く(60~70代)
コーチはスポーツ要素を含んだ競技会になって選手としての訓練を受けた方(40~50代)が多いという事実です。
私が指導を受け始めた28年前ぐらいからの時に受けた印象は、必ず動作の名前、その意味、角度、力量、について詳細に説明をして先生方が実践してくれることでした。
今自分自身はその先生方の姿、あるいは著名な武術教育家の先生方の練拳光景や演武された時の気迫を思い出しています。
武術は兵法に精通していなければならないことで、昨日もそうでしたが対打の練習で「進一歩、退一歩」の正確な技法、歩法、歩型を強調しました。
それは「相手が進み入り、攻め打ってくる一歩」と「打」を認識判断し、自身はその進み入られる、攻めを「守衛、防御するための退く一歩」を空間距離的な反応を掴み、相互に学び技芸を高めることです。
武術の対打を行うことで判るのは、その人の技法の能力が相互に理解できることです。
現代日本社会で政府要人たちの外交でも普通社会でも、相手が攻め入って進んでくる前に退却しているような企業や仕事をしている人たちが多いですが、兵法として大きな誤ちを既に行ってしまっています。
(最悪なのは組織でも個人でも、進むべき時に退いたり、退くべき時に進んでしまったのを見た時です)
攻める前に退却してしまい相手にはどんどん侵攻してくるチャンスを与え自身には不利になるだけで、そこで「気付かないことに判っていないこと」に「受験テストエリート」で育った者が役職につき人間的弱さを組織的にも感じることがよくあります。
私は日本武道の出身で剣道と柔道をやりましたが、対戦的稽古をする時に
相手に対する時、よくある「現代日本的な感覚」ではそこですぐに「負けず嫌い」を発揮してしまっているのを見た時です。
私は日本の武道出身ですが、これはかなり根底が深いです。
それは「やられるのは嫌だから」「意固地」になってしまうことです。
ですから、よくあるのは古武道の方に見られることですが「虚を突く」ということで相手に先に油断させておいて、いきなり技をかけるとか、マジシャンのように言動で先に相手を騙しておいて技をかける、という不審を起こさせてしまうことです。
私が中国の名師に指導をして頂いて思ったのは「深い」という感覚でした。
先生は本当に長い修練を経て、高齢であってでも謂わば「科学的眼力」を鋭く持っていることでした。
「打ってこい」という感じで自らに打たせて、改めて「こうだ」という感じでその示範として打ってきます。
その中で咄嗟に体感するのは、自身が修練しなければならない量や時間を思い知らされることでした。
最近気付くのは私が生きて来たライフワークがとても特殊だったことと、一般日本の国内全体での武術ニーズは広い、ということと、
様々な実験や交流が大事だということと、既得権益を持つ団体の行えることのこれからの限界を既に知り、今後を考えています。
今年はチャンス、ただそのことで確実に皆さんと共に頑張りたいと思います。
最近改めて皆さんと確認しながらやっていきたいことがありました。
それは当然のことですが「日本」は中国にとっては外国である、ということと「中国の人」にとって日本人は外国人である、という認識を誤解を互いに招かないためにもしっかり意識した方が良い、ということです。
相互に他の外国同士よりは日本は漢字文化が伝統的にあるので、理解はし易い面はあると思いますが、
何とはなく、が相互間にあり過ぎること「・・かなぁ~と思ったが実は違った」というようなことが、相互関係の本当の理解に足を引っ張っていると思います。
(老若男女、日本人同士であってでも難しいのに海外では猶更です)
中国は日本に近い国で文化を2000年以上の往来の中で取り入れてきました。
遣隋使、遣唐使、日宋貿易、日明貿易、鎖国、日清戦争、日露戦争、第一次大戦、大東亜戦争という歴史的変遷を経て1972年の国交正常化があって今日があります。
ですから年代的において複雑な事情が横たわっています。
日本がここ30~40年ぐらいの間に中国武術(中国拳法)がもたらされた背景は台湾や香港から来日し、あるいは戦時中に中国に滞在されていた方が帰国して日本で指導を始めた、という流派と、
1978年の日中平和友好条約締結後に多くの文化交流事業が政府間で奨励され、ウーロン茶のCMの影響やテレビ番組では堺正明さんが孫悟空役を演じた西遊記、第一次カンフー映画ブームもこの頃です。
自分は東京生まれ東京育ちなのが幸いしました。
とにかく何とか正しく武術を学びたい、そればかりを思っていました。
13歳から、その頃有名だった団体を巡り、行っている拳種内容を知りました。
そこでとりあえずは隣町にあった日中友好協会の教室で学び、その後に武術の「縁」で九段下の日本武道館の地下道場で来日されていた中国人老師から学ぶことができました。
そして1985年、16歳の時に上海で発訪中して学びました。
1986年には専門武術学校の武術隊で学ぶようになり、中国語も勉強し始めました。
大学へ進学し、第二外国語で中国語を専攻し、ここでほぼ普通の会話ができるようになりました。
そこからずっと往来を繰り返してきました。
ここでとにかく重要なのは武術を正しく学ぶ時には「漢学」の素養が重要なことです。
現代社会日本人で印象的なのは「人の話を真剣に聞く人は少ない」という感じでした。
自分が学んでいた当時、一番思ったのは直接先生が「何を重視」して言葉に話し、それを指導しているかを、直接に理解したい、ということでした。
武術基本功で重視されるのは身体的な素質訓練、拳脚で「打つ」技法で当てるための正しい力の伝達のためのフォームづくりと相手の部位に当てるため的確に届かせる力点への意識:威力です。
伝統武術の先生方はここにおいて、とても繊細であるということでした。
武術のスポーツ競技出身のみの方は速さとか低さとか、停止した動作の美観をのみ重視しますが、それだけでは「武術」は成り立たないことは、
この日本では、日本武道も多くあり、欧米的格闘技の普及している誰の眼に見ても感じてしまうことです。
現代中国での武術スポーツ競技部門の専門学校では、大体、顧問や監督にあたる方は伝統武術出身で1976年頃に終えた文化大革命後の初期の武術競技化に選手として選ばれた方が多く(60~70代)
コーチはスポーツ要素を含んだ競技会になって選手としての訓練を受けた方(40~50代)が多いという事実です。
私が指導を受け始めた28年前ぐらいからの時に受けた印象は、必ず動作の名前、その意味、角度、力量、について詳細に説明をして先生方が実践してくれることでした。
今自分自身はその先生方の姿、あるいは著名な武術教育家の先生方の練拳光景や演武された時の気迫を思い出しています。
武術は兵法に精通していなければならないことで、昨日もそうでしたが対打の練習で「進一歩、退一歩」の正確な技法、歩法、歩型を強調しました。
それは「相手が進み入り、攻め打ってくる一歩」と「打」を認識判断し、自身はその進み入られる、攻めを「守衛、防御するための退く一歩」を空間距離的な反応を掴み、相互に学び技芸を高めることです。
武術の対打を行うことで判るのは、その人の技法の能力が相互に理解できることです。
現代日本社会で政府要人たちの外交でも普通社会でも、相手が攻め入って進んでくる前に退却しているような企業や仕事をしている人たちが多いですが、兵法として大きな誤ちを既に行ってしまっています。
(最悪なのは組織でも個人でも、進むべき時に退いたり、退くべき時に進んでしまったのを見た時です)
攻める前に退却してしまい相手にはどんどん侵攻してくるチャンスを与え自身には不利になるだけで、そこで「気付かないことに判っていないこと」に「受験テストエリート」で育った者が役職につき人間的弱さを組織的にも感じることがよくあります。
私は日本武道の出身で剣道と柔道をやりましたが、対戦的稽古をする時に
相手に対する時、よくある「現代日本的な感覚」ではそこですぐに「負けず嫌い」を発揮してしまっているのを見た時です。
私は日本の武道出身ですが、これはかなり根底が深いです。
それは「やられるのは嫌だから」「意固地」になってしまうことです。
ですから、よくあるのは古武道の方に見られることですが「虚を突く」ということで相手に先に油断させておいて、いきなり技をかけるとか、マジシャンのように言動で先に相手を騙しておいて技をかける、という不審を起こさせてしまうことです。
私が中国の名師に指導をして頂いて思ったのは「深い」という感覚でした。
先生は本当に長い修練を経て、高齢であってでも謂わば「科学的眼力」を鋭く持っていることでした。
「打ってこい」という感じで自らに打たせて、改めて「こうだ」という感じでその示範として打ってきます。
その中で咄嗟に体感するのは、自身が修練しなければならない量や時間を思い知らされることでした。
最近気付くのは私が生きて来たライフワークがとても特殊だったことと、一般日本の国内全体での武術ニーズは広い、ということと、
様々な実験や交流が大事だということと、既得権益を持つ団体の行えることのこれからの限界を既に知り、今後を考えています。
今年はチャンス、ただそのことで確実に皆さんと共に頑張りたいと思います。