昨晩、天安門事件のことが新聞やニュースに取り上げられていて、ふと思い出しました。

そうあの年1989年の春は中国へ訪れるのは3度め、初めて自身で中国語が話せるようになってからの安徽省体育運動学校、安徽省武術隊への2回目の短期留学でした。

3度目のこの時から今でも続く中国国内、自由に列車に乗ったり行き来してでの単独行動が完全にできるようになりました。

上海に着いたらバスに乗り継いで上海体育学院へ行き、いきなり体育学院の招待所へ押しかけて「今日から○○日泊まる、これから安徽省に行くから、それから○月○日に帰ってきて、○○日泊まる、よろしく!」

こんな寅さんのような感じで入り口の服務員に勢いよくでかい声でドバッと依頼しておきます、向こうは「ハイ、ハイ!」って感じで「この人はただ者ではない」みたいな、顔をしています。

そのうち顔見知りのマネージャーが出てきて「おお!また来たか」と叫んでやってきて握手するから

「今年也、再来了!」なんて中国語で言うとこの年から「おお、お前はもう中国語を話せるのか!?」と感動されました。

それから武術館にいきなり行って、先生方に挨拶して「おお、また来たのか!」って言われて「今回は何をする?」と大体聞かれます。

「おお、そうか で、誰に学ぶんだ、と聞かれるので、楊承冰老師。と言えば、おお~楊老師にもよろしくな!」「ハイ!」

これを大体学校内で知り合いに会うと繰り返します。

そして南京東路にある列車のチケット売り場で、一度中国人用の切符売り場で並んでみようとしてみますが、あまりにも長い行列をみて「駄目だ、こりゃ」となってやっぱり外国人用の売り場でスッキリとすぐに買う、てな感じです。

当時は同じ武術師兄弟の渡辺成人さんが1987年から長期留学をしていて、復旦大学の寮へいきなり押しかける、そんな無茶をよくやりました。

当時の中国の大らかさは楽しかったです。

この年の武術隊でのトレーニングを終えて、日本へ帰る前に、上海体育学院へまた戻ってから復旦の渡辺さんと合流しました。

この時上海の大学生武術大会が行われていて、渡辺さんに誘われて、いきなり飛び込みで出ました。

この頃は、勢いで何でもOKな時代でした。

大会が終わって先生方と今は何もかも変わってしまった五角場で宴会をして、渡辺さんと二人で街角で用を足していたら、当時は若き花妙林老師に「バカ~」と何故か日本語で言われました。

何かのびのびとした青春時代でした。

しかし帰り際「北京の天安門前で学生がいっぱい集まっていて、軍が出てきている、そのうちドンパチになるかも知れない・・」と聞きました。

そして24年前の6月5日の朝の新聞に「天安門事件」の報道がありました。

思うと、24年前の日本でのこと、実際の中国のこと。

今の日本のこと、中国のこと。

思いは複雑になります。