武術の「武」という概念の言葉は「戈:か」という文字と「止:止める」という文字を合わせてできた言葉です。

古代兵器の「戈」は農具の鍬の刃を縦にしたようになっていて、それを軍隊では大勢が横並びになり、左右と上から、それらで攻撃して来て真ん中は矛が突いてくるようにして、軍勢は侵攻して来るのです。

これらは今現在でも何らかのかたちを変えてはいませんが、人類がある以上なくならないような気がします。

そういった非情でもあった時勢の処世があって本来の中国語:漢語の意味で「戈」を「止める」のが「武」であり、その「術:方法」が「武術」なのです。

願望で平和を望むことは私自身はありますが、優しく思いやりのある日本人も最近は少なくなってきた感じもあります。

それはいつしか多種多様の現代日本社会となったように、グローバル化というきれいごとの背景には、何でもありの弱肉強食化となって、

誇りある日本の道徳も礼儀も廃れてきている感じもあります。

私は元々は日本武道の出身で、剣道と柔道を学びました。

私が好きな日本武道はやはり剣術、柔術、少林寺拳法や日本拳法、あるいは相撲やプロレスもスタイルとしても豊富な素晴らしい人材を排出するところはすべて好きになります。

昨年に中国武術生活30周年を記念に自身の日本武道回帰を思い、剣術を総編し回帰しました。

道着と袴を付け、居合い刀と木剣で自身や教え子と稽古する時間は至福のひとときでもあります。

日本武道の基本は対戦形式です。

世間一般での日本語では対戦ですが、「対戦」の概念は中国武術では、またかなり種類があり、

真剣勝負で技を繰り出し合うのを「対抗性武術」といい、現在は拳脚での打ち合い、投げ技、受身技の自由攻防を「散手」

国際武術競技では「散打」

太極拳の技芸では「推手」

器械で行うのは短器械では「短兵」長器械では「長兵」とあり、棍を両手で持ち綱引きのような力比べは「推拉」があります。

この2年間で一番レベルの上がっていると感じた教え子たちにはこの対抗性武術を行ってもらいました。

やはり日本人としての武道精神は必要だと思うからです。

そして今年度から改めて対打を重視して行っています。

今現在は、拳脚での攻防技能に加えて、先月からは関節技の掛け合い、棍での対打練習を行っています。

当然、太極拳においてでも武術なので対練をしています。

中国武術の対打は空手の約束組み手と組み手を足して2で割った感じです。

ですから当然安全面では、かなり良いと思っています。

こうして今現在、現代日本社会で一番良い面だと思っているのは武術は相互研究のし易い、かなりいい環境にあると思います。

ですから経験として思うに、これからの日本では質の高い東洋、西洋の武芸活動のすべてを推進し、

個人個人の広範囲な武芸レベルがジャンルを超えて交流し会えるようになって、多種多様でレベルが高くなれる人が多く排出される国を目指せば、治安も良く、国際武術・武芸天国になれることを実感しています。